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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/matsuiism (3)

  • 鹿島田真希『冥土めぐり』 - heuristic ways

    鹿島田真希さんの小説は、以前『六〇〇〇度の愛』を読んだことがある(2005-08-20)。その少し前に私は、こうの史代の漫画『夕凪の街 桜の国』を読んで、改めて広島・長崎への原爆投下とその記憶というテーマに関心を持つようになっていた。『六〇〇〇度の愛』は、一見「原爆の街・長崎を舞台とする恋愛小説」というフレームを借りて書かれているようにみえるので、その点からも興味があったが、実際にはこの小説は、「原爆でも長崎でも、そもそも恋愛ですらない」テーマと取り組んでいるという当惑や疑念を覚えさせるものだった。だが、私にはむしろそれが作者固有のテーマを導くための序詞のように思えて、この作者が抱える「語りえない謎」の深さのようなものを感じたのだった。  ある意味で、『冥土めぐり』は、『六〇〇〇度の愛』の謎の種明かしのように思えるところがある。たとえば『六〇〇〇度の愛』には、かつて自殺したアルコール依存症

  • heuristic ways

    土井健司氏は、『キリスト教を問いなおす』(ちくま新書、2003年)の中で、「平和を説くキリスト教が、なぜ戦争を引き起こすのか」という問いを取り上げ*1、聖書の記述や過去の歴史的事例をいろいろ検討しながら、この問いに答えようとしている。氏の答えは両義的なもので、まず、「キリスト教とキリスト教を信じる者とは必ずしも一致しません。具体的なキリスト教の中にはさまざまな考え方があるのです」という前提を置きながらも、「しかし、いかなる理由からでも積極的に戦争、紛争、暴力を行うことは、キリスト教的ではありません。十字軍はたしかにキリスト教徒が行ったことですが、キリスト教が行ったことではないはずです。ここで言う「キリスト教」とは、イエスの教えのことです」と原則を述べるとともに、「しかし、例えば十字軍に関わらなかったとしても、イエスを信じる者はその事実を確認し、「キリスト教」の名のもとに行われたことを反省し

  • フロイトのドストエフスキー論 - heuristic ways

    フロイトがドストエフスキー論を書いているのは知っていたが、今回初めて読んだ。図書館で中山元訳の『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』(光文社古典新訳文庫)を見かけたので、借りてみたのである。「ドストエフスキーと父親殺し」は一九二八年、フロイト(1856−1939)が七二歳のときに書かれている。年譜を見ると、一九二七年には『幻想の未来』、三〇年には『文化への不満』を刊行しており、後期フロイトが精神分析の理論を宗教や文明批判、政治理論などにも応用していた時期に当たることがわかる。  フロイトはドストエフスキーを「詩人」としてはきわめて高く評価しながらも*1、「道徳家」や「罪人」としては手厳しく批判し、結局のところ、「神経症患者」として精神分析の対象としている。 私が興味深いと思ったのは、ドストエフスキーの「道徳家という<顔>」を批判しているところで、フロイトは、「道徳性の高い人物というも

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