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ブックマーク / tsushikaneko.blogspot.com (1)

  • 南直哉著「語る禅僧」 慈しみと縁

    P69 ”こう考えると、私が何であるかは、自分が自分以外の「他のもの」と、どのような関係をつくり出していくのか、によることになる。その実践の結果ではなく過程を、私は「主体性」と呼びたい。 われわれの存在とはわれわれの関係である。よって、その存在の充実はその関係の充実である。そして関係の充実とは、すなわち「他者」とのかかわりの対等性と多様性をできうる限り求めていくことである。ならば、われわれの豊かな生とは、関係が実際にはお互いの異なりとして成り立つがゆえに、その異なりに耐え、そしてそれを受け容れ合って、ついにはともに楽しめることである、と私は思う。” ◇ P113 ある禅寺に仲の良い兄弟弟子がいた。あるとき、弟弟子のほうが兄弟子の部屋に遊びにいくと、兄弟子がお茶をたてている。 「誰のためにお茶をたてているんですか」 「飲みたいという人がいるんだよ」 「だったら、その人にたてさせればいいじゃな

    akihiko810
    akihiko810 2015/02/22
    その矛盾と摩擦こそが我々の存在の実相だと断言するのが、仏教の縁起。摩擦があってもなお関わり続け、互いに異なることを怖れず、あえて出会いを求めるには、決意と想像力が必要だろう。これを仏教は「慈悲」
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