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ブックマーク / turntokyo.com (14)

  • 映画『ディナー・イン・アメリカ』漫画のような国、壊れた家族に中指を立てるパンク精神に貫かれたボーイ・ミーツ・ガール | TURN

  • ガスター・デル・ソル『We Have Dozens of Titles』徹底解説 | TURN

    音楽好きなら誰にでも何枚かの「夢のアルバム」があると思うのだが、私にとって「ガスター・デル・ソルのニューアルバム」は、まちがいなく「夢の一枚」だった。実際、過去に何度も想像したことがある。だが「夢」であるからには、けっして実現されることはないだろう、とも思っていたので、作のリリースがアナウンスされた時には、ほんとうに驚いてしまった。 ガスター・デル・ソルは、デヴィッド・グラブスとジム・オルークのデュオ・ユニットである。デヴィッドはアメリカ、イリノイ州シカゴ生まれだが、ケンタッキー州のルイヴィルで10代半ばにしてハードコア・パンク・バンド、スクワロル・バイトのメンバーとして頭角を現した(それ以前にも複数のバンド経験がある)。その後、ワシントンDCに移ってバストロを結成、スティーヴ・アルビニ録音のソリッドなサウンドで注目された。バストロは当時のポスト・ハードコア・シーンの重要バンドのひとつと

    ガスター・デル・ソル『We Have Dozens of Titles』徹底解説 | TURN
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  • 「教授とは社会を見るまなざし、文化を見るまなざしでつながることができた」後藤正文が語る、社会に生きる人間としての自分と坂本龍一 | TURN

    「教授とは社会を見るまなざし、文化を見るまなざしでつながることができた」 後藤正文が語る、社会に生きる人間としての自分と坂龍一 後藤正文が初めて名名義でのアルバム『Recent Report I』を発表した。ASIAN KUNG-FU GENERATIONでもGotchでもなく、ただ、後藤正文として。だが、その作品を耳にすれば、これを何も纏わない自身の名前で制作する必要があったことに気づくだろう。そのくらいプライヴェートなアルバムであり、現代に生きる個人の想いがそのまま音に反映された作品だ。 ここには歌もなければメロディもない。リズムやビートもない。一般的な概念としてのポップス、ロック的な形式やスタイルもない。自らフィールド・レコーディングを重ねて収集した音のカケラを取り込みながらスタジオに籠ってたった一人で制作したという今作は、強いて言えば、いわゆるドローン作品、あるいはアンビエント

    「教授とは社会を見るまなざし、文化を見るまなざしでつながることができた」後藤正文が語る、社会に生きる人間としての自分と坂本龍一 | TURN
  • 「音楽的発見は時が経つにつれてアーティストとしてのDNAに常に刻み込まれていく」マンチェスターの現在を支える重要人物・レイニー・ミラーに訊く | TURN

    音楽的発見は時が経つにつれてアーティストとしてのDNAに常に刻み込まれていく」 マンチェスターの現在を支える重要人物・レイニー・ミラーに訊く イギリスで最もボヘミアン(型にハマらず自由)な街はどこだかご存知だろうか。それはマンチェスターだと言われており、20年前の《The Guardian》の記事ではあるが、その理由として性的マイノリティの流入数と寛容さ、英国一の特許出願数、民族の多様性が挙げられている。古いデータだが非常に重要で、80年代のアシッド・ハウスや《The Haçienda》などによるクラブ・シーンの勃興以来、その風土を形成したとされており、現在も継承、あるいは発展している。現在のマンチェスター・シーンは《The Warehouse Project》が象徴的に君臨し、新種のドラッグが流通というニュースがあった時には、発生源は大抵ここだ。斜め向かいの存在として、《Soup》や《

    「音楽的発見は時が経つにつれてアーティストとしてのDNAに常に刻み込まれていく」マンチェスターの現在を支える重要人物・レイニー・ミラーに訊く | TURN
  • 初期ビートルズ音楽の魔法のエッセンスがより濃密になった入門編、『赤盤』の新装版 | TURN

    1962年のデビューから1969年の解散以降も、時の洗礼をものともせず今なお世界中で聴き継がれているビートルズの音楽は、それ自体が録音技術の高度化を基にしたポピュラー音楽における創造性の追究と革新への挑戦であったと同時に、音楽の聴取環境の変化の歴史とも軌を一にする。特に60年代前半における「ステレオ盤」は立派なサウンド・システムを自宅に完備するクラシック音楽やジャズの好事家向けとして存在し、ビートルズに熱狂した当時のティーンエイジャーのような一般的なリスナーが夢中になっていたのはモノラル盤の音だった。ビートルズのほとんどの音源もリリース当初からステレオ/モノラル両盤発売されていたものの、1967年ごろまではメンバー自身もモノラル盤を重視していたようだ。 1987年のオリジナル・アルバム初CD化ではデビュー作から4枚目の『Beatles For Sale』まではモノラル、『Help!』以降は

    初期ビートルズ音楽の魔法のエッセンスがより濃密になった入門編、『赤盤』の新装版 | TURN
  • 「サザン・ゴシックと三島由紀夫には共通点がある」ナタリー・メーリング自ら語るワイズ・ブラッド文化論 | TURN

    ワイズ・ブラッドことナタリー・メーリングはとてもチャーミングで、とても聡明な女性だった。今年の《フジロック・フェスティバル》出演の前々日、都内某所に現れた彼女は、チェックのミニ・スカートに大きなリボンタイのついた白いブラウス……まるで日のスクール・ガールのようなファッション(日の古着店で購入した洋服らしい)。大きな瞳と長いヘアスタイルもあいまって、まるでキュートなアイドルさながらだ。 だが、ひとたび口を開くと、キビキビとした話し方、鋭い切り返しで自分の意見を述べる。Weyes Bloodという名前の由来となった小説の話から、三島由紀夫、キリスト教思想、さらにはフェミニズムへと持論を展開させ、しかもそれらが全てWeyes Bloodという旗印のもとに紐づいていることを聞き手であるこちらにしっかり植え付けていった。白いドレスを身に纏い優雅にステージに立つ姿からは想像つかない、自立した一人の

  • ポップ・シーンをオルタナティヴな表現でハックするNewJeansと奇才ディレクター、ミン・ヒジン | TURN

    2020年代に入り、メインストリームの音楽市場は完全にアメリカからグローバルへと開かれた。2012年、PSYの「江南スタイル」がYouTube経由で世界的ヒット。同時期に、ダディー・ヤンキーを筆頭にグローバルでのレゲトン・ムーヴメントが始まり、「外国語」のポップスを世界が許容し始めた。グローバル化以降のK-POPに限って言えば、フックありきのソングライティングがメソッド化し、「インダストリー・プラント」となった10年間であったが、BTSは今や世界最大のボーイ・バンドとなり、BLACKPINKはコーチェラのヘッドライナーを務めるなど、国家戦略としても促進されてきたこのカルチャーは、大成功と言える形で一つの周期が終わりを迎えたと言っていいだろう。 そんな中、2022年7月にNewJeansは「Attention」のMVと共に文字通り彗星の如くデビュー。BTSも所属する、韓国最大手のレコード会社

  • 「80年代初頭、僕らはジャズに行った、ラテン音楽に走ったとか叩かれたけど、結果として時代を先取りしていた」ア・サートゥン・レシオ12年ぶりの新作リリース | TURN

    「80年代初頭、僕らはジャズに行った、ラテン音楽に走ったとか叩かれたけど、結果として時代を先取りしていた」 ア・サートゥン・レシオ12年ぶりの新作リリース 1979年にデビューし、ニュー・オーダーと共にマンチェスターにおけるポスト・パンク・シーンを牽引したア・サートゥン・レシオ(ACR)。かの《Factory》が初めてリリースしたシングルがACRの「All Night Party」であり、そのクールなジャズ・ファンク・サウンドはコールド・ファンクと呼ばれ、全英のダンス・フロアを沸かせた。それから40年の月日が流れ、ACRが再びフロントラインへと帰還した。《Soul Jazz》レーベルによる再評価の高まりを経て、《Mute》と契約。12年ぶりとなるオリジナル・アルバム『ACR Loco』を発表した。現在のUKジャズ・シーンともリンクするサウンドはACRが80年代に打ち立てたものが源流だとも言

  • 80年代の細野晴臣を綴る「汚し」のプロセスを経た音の刺激 | TURN

    2019年、細野晴臣デビュー50周年記念展(『細野観光 1969-2019』)が、六木ヒルズ展望台で1ヶ月に渡って開催されました。そこでは氏の所有するギターやキーボード、民族楽器や果ては玩具に至るまで、世界中のありとあらゆる音の鳴るものが、さながら万博のように陳列されていました。その中で個人的に印象深かったものが、E-mu Systems社のサンプラー「Emulator Ⅰ」です。フロッピーディスクからサンプルを読み込んで使用するこの電子楽器は、1981年の発売当時、メモリー容量はたったの128KB、サンプリング可能な時間も2秒程という、今から考えれば非常に制限的なものでした。 当時このEmulatorが画期的とされたのは、以前のサンプリング・マシンと比べて安価であり、また持ち運びもしやすいサイズであるなどの、即物的な面が大きかったようです。ライヴにおいても重宝され、YMOの1981年の

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    「今やりたいのは“点”ではなく“波”の音楽」 ファースト・アルバム『Dwellers Of The Seabed』徹底解説! Stones Taro ロング・インタヴュー

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  • 「1975年まで世界を半周し、クレイジーなアナーキストになり、6年間アンダーグラウンド映画の制作に携わり、修道院に住んだりトラックで生活したりしていたんだ」 アンソニー・ムーア(ex-スラップ・ハッピー) 再発された幻のソロ作『Out』を語る | TURN

    「1975年まで世界を半周し、クレイジーなアナーキストになり、 6年間アンダーグラウンド映画の制作に携わり、修道院に住んだりトラックで生活したりしていたんだ」 アンソニー・ムーア(ex-スラップ・ハッピー) 再発された幻のソロ作『Out』を語る アンソニー・ムーア。“ノスタルジックでモダーンな響きを秘めた”この名前に心がはやる人はきっと、70年代に10代を過ごしプログレッシヴ・ロックの形骸化からパンクの勃興と衰退をリアルタイムで感じてきた世代だろう。マイク・オールドフィールド、ゴング、ヘンリー・カウ、タンジェリン・ドリーム、ファウストetc……アンダーグラウンドな未知のロックを繰り出すヴァージン・レコードの日登場はピンク・フロイドやキング・クリムゾンだけでは飽き足りない探究心旺盛な少年の心を悩ましく揺さぶった。そんな異類異形の中から凛としたモノクロ写真のジャケットをまとって現れた英米独の

    「1975年まで世界を半周し、クレイジーなアナーキストになり、6年間アンダーグラウンド映画の制作に携わり、修道院に住んだりトラックで生活したりしていたんだ」 アンソニー・ムーア(ex-スラップ・ハッピー) 再発された幻のソロ作『Out』を語る | TURN
  • 「僕らの音楽は批評精神が全てだった」 ヤング・マーブル・ジャイアンツが今語る“憂鬱の渋滞”たる美学 | TURN

    なんと、ヤング・マーブル・ジャイアンツ(YMG)のスチュアート・モクスハムとアリソン・スタットンの最新インタビューである。ダメもとでレーベルを通じてオファーしたら受けてくれただけでなく、こんなにもしっかり当時のことを振り返って話をしてくれた。しかも、彼らが話しているのはただの昔話などではなく、行き詰まりと突破を繰り返してきたポップ・ミュージックの、その絶対的な推進力となってきた不変のスタンス、意識ではないか。残念ながら現在の新しい音楽についての話を聞く時間はなかったが、そんな質問はもはや野暮だということがわかる。 スチュアート・モクスハム、フィリップ(フィル)・モクスハム、そしてアリソン・スタットンによるヤング・マーブル・ジャイアンツがウェールズの首府、カーディフで結成されたのは1978年のこと。尻切れとんぼのように終わる2分台を中心とした短い曲、ドラムマシンを使用した無機質で乾いたビート

    「僕らの音楽は批評精神が全てだった」 ヤング・マーブル・ジャイアンツが今語る“憂鬱の渋滞”たる美学 | TURN
  • ザ・バンドかつて彼らは望郷の仲間だったオリジナル・アルバム・ガイド | TURN

    先ごろ公開されたザ・バンドのドキュメント映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』が好評だ。カナダ出身、現在27歳という若きダニエル・ロアーが監督したこの作品は、確かにザ・バンドの全盛期の活動にフォーカスし、当時の映像アーカイヴ、メンバーや様々な関係者へのインタビューなどで構成された非常にスタンダードなドキュメンタリーではある。もちろん興味深い発言も多いし、何より貴重なフィルムには何度も心を揺さぶられるが、一時期だけとはいえ一つの家に住み、次第に袂を分かっていっても、最後までどこかで信頼し合っていたことが伝わってくる人間ドラマのような側面が強いのが魅力だ。映画は『ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春』を原案にしたとされているが、カメラを前に素直に話をするロビー・ロバートソンの穏やかで優しい眼差しからはエゴは一切感じられない。 そこで、TURNでは改めてザ・バンドのオリジナル・アルバム

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