説得力のある「夢」に乗ることは、ソニー・スピリットの実践に他ならない。法務、コンプライアンス、人事、ソフト営業、アーティスト・リレーション……プレイステーションを立ち上げ、大きな産業にしていくプロセスのなかで、久夛良木健がつくづく実感したのは「ソニーがすごい人たちを惹き付けていた」という事実だった。本誌2012年11月号に開始した人気連載「盛田昭夫 グローバル・リーダーはいかにして生まれたか」(のちに単行本化を予定)。 「プレイステーションという名前はダメだ」 1993年3月には、米国ソニーに赴任していた徳中暉久が任期途中で呼び戻され、コンピュータ・エンタテインメント準備室長に就任。EPICソニーの移転で空いた青山ツインタワーのフロアーにエンジニアを集め、技術の完成を急ぐ久夛良木健たちを、「“徳”の徳中」と呼ばれる人柄と明快な論理で守り、本社からの厳しい風当たりを和らげた。 一方、丸山茂雄
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