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ブックマーク / blog.hix05.com (3)

  • 悪の華 Les Fleurs du Mal :ボードレール詩集 (壺 齋 閑 話)

    「悪の華」 Les Fleurs du Mal はボードレ-ルが発表した唯一の韻文詩集である。だがそれは万巻の書にも匹敵するインパクトをもった。それほど、西洋の詩の歴史にとって、この詩集の持った影響力は巨大であった。この詩集は19世紀から20世紀にかけて、西洋に留まらず、世界中の詩人たちにインスピレーションを与え続けたのである。 「悪の華」の初版が出たのは1857年、時にボードレールは36歳であった。詩人としては遅いデヴュであった。だがボードレールが実際に詩を書き始めたのは20歳台始めのことであると思われる。それらの詩は24歳の年から断片的に発表されている。初期の詩は、インドに向かう旅行から着想を得たものが多い。 1845年10月、「レスボスの女たち」 Les Lesbiennes という題名で詩集の刊行を予告し、著者名としてボードレール・デュファイ Baudelaire Dufays と

  • 壺 齋 閑 話

    筆者のブログ「壺齋閑話」は、エントリーが4200件を超えて、重量オーバーとなりました。そこで、新しいブログを別途立ち上げました。「続壺齋閑話」といいます。今後はそちらの方を閲覧いただきたく、ご案内申し上げます。リンクは、こちら(続壺齋閑話) をクリックしてください。 大嶽秀夫氏の著作「日型ポピュリズム」(中公新書)は、1990年代以降に現れたポピュリズム型政治家についての分析であり、小泉純一郎と田中真紀子に焦点を当てて、主に彼らの政治姿勢について考察を加えているのであるが、その前段として、戦後日政治における政策軸というべきものをお浚いしている。筆者にはその部分が興味深く受け取れた。そこで、氏の分析を参考にしながら、戦後日政治を貫いていた政策軸を、筆者なりに改めて整理してみようという気になった。

  • 夏目漱石のロンドン滞在日記 (壺 齋 閑 話)

    夏目漱石は33歳の年(明治33年)にイギリス留学を命じられ、その年の10月から明治35年の12月まで、2年あまりの間ロンドンに滞在した。その時の事情を漱石は日記のようなメモに残しているが、あまり組織立ったものではなく、ほんの備忘録程度のものなので、読んで面白いものではない。しかもその記録は明治34年の11月で途切れており、その後の事情については何の記録もない。漱石はロンドン留学の後半はひどいノイローゼに悩まされていたので、日記をつける気にもならなかったのだろう。 これを森鴎外のドイツ留学記と比較すると、両者の間には歴然たる差がある。鴎外は始めからこの留学の記録を発表する意思を持っていたらしく、毎日の見聞を漢文を以て整然と記録した。そしてその一部については、帰国後直ちに発表している。体ともいうべき「独逸日記」については、そのままの形で発表するのをためらい、漢文で記した原文を和文に直して発表

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