タグ

ブックマーク / onmymind.hatenadiary.org (2)

  • 文学は面白いのか(仮題)

    しょうもない言葉遊びはなくなったのだけは良かったが、前作で書いた事以外に書くことは殆どない。ようするに、何の区切りもなく視点を切り替えたり時空を行き来するような、読者を自由にするというよりは結果として混乱に縛りつけるような「技術」以外に、いったいこの作家に書く事があるのか、ということだ。 (ところで、いつもこの作家のことを悪く書いているが、それでも私は読んではいるのだ、ということは念のためここで書いておきたい。以前とは異なり、文芸誌に載っていても全部は読んでいない。それらの読んでない作品の評価よりは、まだこれはマシということなのだ。) 地方の工場労働者の話。というと暗い何かを予感させるが、東海地方といえば北陸の一部とならんでじつは世界有数の技術集積地帯でもあるし、実態以上に深刻方面に傾き加減になるのも文学の陥りやすいところで、この作者と同年代かそれ以上の年代の者にとっては、それなりに俺らは

    文学は面白いのか(仮題)
  • 2007-12-03

    11/12の日記に条さんという方が言及されているのに最近になってTB見て気付きました。読んで頂いてありがとうございます。 条さんのおっしゃる事を完璧に理解できていませんので、あまり深く考えずに書かせていただくと、「格好よい」の基準は各人それぞれという事を前提にいえば、皆が格好悪いと思うようなことを「格好よい」と思ってやるなら、それもアリかな、とは思います。 ただ余程の人でないと、他人の眼が、基準が知らない間に紛れてしまっている、とも思います。(余程の人、つまりたまに異性人みたいな周りから隔絶した基準をもった人もいます。)しかし文学は、コミュニケーションの意志無しに存在しないだろうと考えると、やはりそこで「格好よさ」を目指すとすれば、誰かにとっての「格好よさ」が入ってきます。 しかも、そもそも「格好よさ」というのは「美しさ」と同じかどうか迷うところです。他人の目を気にしないような「格好よさ」

    2007-12-03
    akihiko810
    akihiko810 2008/10/14
    『乳と卵』>言葉というものはいったいどこまで表現できるのかできないのか、とか、単刀直入にいえば、言葉ってなんなんだ、というそういう問題意識が見事に小説としてストーリーのなかで消化されている。
  • 1