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bookと:川上未映子に関するakihiko810のブックマーク (5)

  • 『乳と卵』川上未映子(文藝春秋) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「言葉と体を貼り合わせる」 受賞作とかベストセラーとか、世が騒いでいるものにはなかなか素直に手を伸ばせないひねくれ者の私だが、今回の芥川賞受賞作は気になってすぐに買って読んだ。 一読して頼もしい女性作家が登場したものだと思った。関心領域が広く、それを作品に盛り込むことにも意識的だ。女の生理感覚を切り札にたらたらと書いているようにみえて、まったく逆なのだ。筋立て、着想、構成、言葉のセンス、文章のリズムなど、小説を成り立たせるさまざまな要素が緊密に結び合い、ひとつの建築物を見るようだった。 語り手の「わたし」のところに、大阪に住む姉巻子とその娘がやってくる。その二泊三日の短い滞在中に巻子と娘の確執が溶解する、と言葉にすると単純なストーリーだが、細部を描き込んで濃密に仕上げている。 巻子は娘の緑子がまだ小さいころに夫と離婚し、ホステスをしながら娘を育てている。最近、体がやせ

    『乳と卵』川上未映子(文藝春秋) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 夕方の光と蛍光灯の光が交差する湯気のなかで顔以外の全部を鏡に映してみること/形而上の誘惑と形而中の反映/川上未映子『乳と卵』 - 感情レヴュー

    今回『乳と卵』で芥川賞を受賞した川上未映子の文章には、叙述のあいまあいまに、「あいだ」や「狭間」や「隙間」といった言葉が間隙を縫うようにしばしば現れてきて、そこに立ち止まって注入される言葉の数々は渦を巻きながら叙述を滞留させつつ、途切れる間際に叙述をつなげていく。 こんなことを書くと、川上氏のことを凡庸な構造主義や関係主義者のように言っているようだけれど、それは誤解だ。彼女は、あるものとあるものの間に注意を向けるのではなく、あるものに「あいだ」や「隙間」や「狭間」を見出すことに長けているのである。どういうことか? たとえば、川上未映子はとりわけ「私」について考察する文章で知られているが、彼女にとっては、この「私」は社会的関係の中に生きており、その一項にすぎない、とか、この「私」と「あなた」は相対的な関係にある、というのでは足りない。この「私」を(社会的な関係の中において)「あなた」と相対的

    夕方の光と蛍光灯の光が交差する湯気のなかで顔以外の全部を鏡に映してみること/形而上の誘惑と形而中の反映/川上未映子『乳と卵』 - 感情レヴュー
    akihiko810
    akihiko810 2008/10/15
    >彼女は、あるものとあるものの間に注意を向けるのではなく、あるものに「あいだ」や「隙間」や「狭間」を見出すことに長けているのである。
  • 川上未映子著 『乳と卵』 - 犯罪被害者の法哲学

    犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。 「あたしは勝手にお腹がへったり、勝手に生理になったりするようなこんな体があって、その中に閉じ込められているって感じる。んで生まれてきたら最後、生きてご飯をべ続けて、お金をかせいで生きていかなあかんことだけでもしんどいことです。・・・それは妊娠ということで、それはこんなふうに、べたり考えたりする人間がふえるってことで、そのことを思うとなんで、と絶望的な、おおげさな気分になってしまう。ぜったいに子どもなんか生まないとあたしは思う」(p.32) 「受精して、それが女であるよって決まったときには、すでにその女の生まれてもない赤ちゃんの卵巣の中には(そのときにもう卵巣があるのがこわいし)、卵子のもと、みたいのが七百万個、もあって、このときが一番多いらしい、・・・生まれるまえの

    川上未映子著 『乳と卵』 - 犯罪被害者の法哲学
    akihiko810
    akihiko810 2008/10/14
    >・・・生まれるまえの生まれるもんが、生まれるまえのなかにあって、かきむしりたい、むさくさにぶち破りたい気分になる、なんやねんなこれは。(p.71~72)
  • 高山宏の読んで生き、書いて死ぬ:『わたくし率 イン 歯ー、または世界』川上未映子(講談社)/『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』川上未映子(ヒヨコ舎)

    →『わたくし率 イン 歯ー、 または世界』を購入 →『そら頭はでかいです、世界 がすこんと入ります』を購入 関西弁のマニエリスムかて、や、めっさ、ええやん ぱらっとめくったページにいきなり、 それまでの季節を洗濯機に入れたのは二十歳のこと。それをきしめんにして、きざんで乳液にまぶす。で、君の粒だった背中を保湿したのもいつかの荒れ狂う最大の四月のことであった。 という文章があっては、取り上げる他ない。むろんT.S.エリオットの「残酷な四月」を知っていればの話でもあるが、この散文は完全に詩である。ランボーの「季節」(おお季節よ、おお城よ)と洗濯機との、きしめんとの無体な組み合わせは詩というものの機能をさえ定義している。このイメージの疾走は何なのかと思うと、「イメージが結ぶ早口で興奮してゆく物語が何十万回目の腹式呼吸を追い越してゆくのを」掴まえられない自分とあって、そのわけは「そいつの首ねっこを

    高山宏の読んで生き、書いて死ぬ:『わたくし率 イン 歯ー、または世界』川上未映子(講談社)/『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』川上未映子(ヒヨコ舎)
    akihiko810
    akihiko810 2008/10/14
    >ランボーの「季節」(おお季節よ、おお城よ)と洗濯機との、きしめんとの無体な組み合わせは詩というものの機能をさえ定義している。
  • 『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』刊行記念 川上未映子さん×穂村弘さん トークショー@三省堂神保町本店2008年1月12日 - Emulations

    歌人の穂村弘さんを迎えての同書のトークショー。失礼な言い方かもしれないけど、穂村さんは写真よりもさらに素敵な方でした。順不同で思い出すままに。あまり正確ではないと思いますので、ほかの方のサイトを読まれたほうがいいかもしれません。 ・最初に穂村さんが指摘したのは、未映子さんが言語感覚とテンションで書いている、ということ。言語感覚については後述。 ・タイトルの中にテンション(という言葉だったかどうか、これが怪しい。でもたぶんそれ系の言葉)の違いがあるということ。「そら」の部分でその前とあとで言葉の感覚が違ったものになる。あるいは「先端で、」という硬い言葉のあとでくだけた言葉が出てくることで同じような効果が出ているということ。 ・上記と類似して、文でも敬語になったり大阪弁になったり、省略して普通の日語の文としては成り立たないものが導入されることにより、やはり同じような効果が出ているということ

    『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』刊行記念 川上未映子さん×穂村弘さん トークショー@三省堂神保町本店2008年1月12日 - Emulations
    akihiko810
    akihiko810 2008/10/09
    >最初に穂村さんが指摘したのは、未映子さんが言語感覚とテンションで書いている、ということ。
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