谷口稜曄(たにぐち すみてる、1929年1月26日 - 2017年8月30日)は、長崎原爆を体験した被爆者のひとり。1929年に福岡県で生まれる。 概要[編集] 被爆により大やけどを負った谷口稜曄を撮影した報道写真(1946年1月撮影) 1929年(昭和4年)1月26日、福岡県糟屋郡志賀島村で谷口家の三人目の子供として生まれる。「光が届かない場所を隅々まで照らす」という意味を込めて、稜曄と名付けられた[1]。翌年母が亡くなり、父は一人満州に渡り南満州鉄道(満鉄)に就職。稜曄を含む三人の子供は長崎市の母方の実家に預けられる[3]。 1943年(昭和18年)、淵国民学校(高等科)を卒業し、本博多郵便局で働き始める[2]。 1945年(昭和20年)8月9日、16歳のとき自転車に乗って郵便物を配達中、爆心地から1.8km地点の長崎市東北郷(現:長崎市住吉町)で被爆[4][5]。原爆の爆風で自転車は