ブックマーク / reki.hatenablog.com (5)

  • 墓が見つかっていない世界史の超有名人物10人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    未だに捜索が続く世界史の英雄の墓 歴史に名だたる英雄の墓は後世の人に敬われ大切にされれる、ということであればいいのですが、全然そんなことありません。 盗賊に盗掘されたり、政敵や敵民族によって暴かれ遺骸や遺骨を燃やされて捨てられたりすることもありました。そういうわけで死後の安寧のために、自分の墓を隠す権力者は多くいました。 その他にも、どういうわけか墓の場所が紛失して見つからないケースなど、歴史上の偉人だけど墓がまだ見つかっていない人物をピックアップしてみます。 1. アッティラ 「神の災い」と恐れられた男の墓 アッティラはご存じの通りフン族の大王。ゲルマン民族を圧迫しつつ、ローマ帝国に侵入を繰り返し、ハンガリー平原を拠にして現在のロシアからドイツにまで至る大帝国を築いた傑物です。そんな傑物は453年に有名な拍子抜けするような死を迎えました。 このエピソードはゴート人の歴史学者であるヨルダ

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  • かつて存在した7つの「国際管理地域・自由地域」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    列強のエゴが交錯する戦争と平和の象徴 21世紀の現在はさほど多くありませんが、19世紀~20世紀前半には複数の国の管理下にある「国際管理地域」と、複数の国の影響下にありつつも独自の主権が認められる「自由地域」がいくつもありました。 これらの地域は戦略的要地にあったり、重要な貿易港だったりしていたため常に大国から狙われ、戦争発生の原因になるため国際的な合意のもとで厳重に管理されました。それでも二つの大戦で列強の取り合いになった地域もあるので、いかに重要な場所だったか分かります。 世界史に登場する代表的な国際管理地域・自由地域をピックアップします。 1. クラクフ共和国(1816~1825) ポーランド分割後、唯一残ったポーランド人政権 クラクフ共和国は1815年から46年までの31年間だけ、ポーランド分割後に存在した唯一のポーランド人の共和国です。 正式には「自由にして独立した完全に中立なク

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  • ソ連時代のマッド・サイエンティストたち - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    「進歩的国家」ソ連が生んだ狂った科学者 マルクス主義理論では、社会主義そして共産主義は人類が普遍的に向かうべき社会であり、成熟し堕落した資主義が倒されるのは必然であるとされました。 そのため社会主義国であるソ連では、アメリカやイギリスといった資主義国よりもあらゆる面で進歩的であるのが当然とされ、学術・産業・文化・芸術など科学的であることが尊ばれました。 確かにソ連時代は科学の進歩が著しく進んだ時代ではあるのですが、中には行きすぎてとんでもないマッドサイエンティストが出現しました。 1. イリヤ・イワノビッチ・イワノフ (1870 - 1932) 人間と猿の交配動物を作ろうとした男 イリヤ・イワノビッチ・イワノフはソ連(ロシア)の獣医学者で、異種間の人工授精の先駆者です。 1898年、イワノフはモスクワに動物学研究所を設立し、家畜の性器の構造や生命現象、受精時の付属性腺の分泌物などを研究

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  • 中東の伝統料理「フムス」をめぐる歴史と戦争 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Paul Goyette 愛ゆえに人は苦しまねばならぬ、愛ゆえに人は悲しまねばならぬ フムスという料理をご存じでしょうか。 トルコ料理やシリア料理などでメゼ(前菜)として出される料理の一種で、ひよこ豆のペーストにタヒニ(ごまペースト)、にんにく、オリーブオイル、レモン汁を加えたもの。 中東圏を中心に、バルカン半島や東地中海沿岸地域でよくべられています。 中東ではあまりに愛されすぎて、民族主義と結びつき、「フムスは我々のものだ」としてアラブ人とユダヤ人の間で抗争が繰り広げられています。 1. フムスとはなにか フムスは、ホムス、フンムス、ホンムスなどと言われることがあります。 どの呼び方でも基の作り方は同じで、 ひよこ豆のペーストにタヒニ(ごまペースト)、にんにく、オリーブオイル、レモン汁を加えてペースト状にしたものです。 レシピは非常にシンプルですが、豆の煮る時間、ペ

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  • ノルマン人の南イタリア征服 -ノルマン朝シチリア王国の成立- - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    南イタリアの支配者となったヴァイキングの末裔たち 西ローマ帝国崩壊後、現在の西ヨーロッパと北アフリカはゲルマン系民族によって大部分が占領されました。 イタリア半島ではオドアケルの王国を廃した東ゴート王国が建国されましたが、東ローマ帝国によって倒され再び皇帝の下に再統一されました。しかし6世紀半ばにロンゴバルド族が北から侵入してロンゴバルド王国を築きますが、彼らはイタリア半島を統一できず、北イタリアとスポレート公国、ベネヴェント公国を支配しました。一方で東ローマ帝国はシチリアやカラブリアをはじめ、断片的な領土を支配しました。 その後、ロンゴバルドと東ローマ帝国の領土からは都市国家や公国が分裂していきます。このような複数の勢力が対立する政治的状況が、北方のノルマン人が南イタリアに地盤を築く機会を提供することになります。ノルマンディからやってきたロベール・ギスカールや弟のロジェール一世、息子のロ

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