ホーム読書日記/コラム/対談・鼎談ジャン=ポール・サルトル 『奇妙な戦争―戦中日記』(人文書院)、エーリッヒ・ケストナー『ケストナーの終戦日記』 (福武書店) この二つのまったく異質な日記には、ひとつ共通点がある。もちろん第二次大戦下の生なましい局面を皮膚でじかに触れている場所から記述されていることだ。だがわたしがいいたいのはそういう記述の環境のことではない。戦争が頭上を通り過ぎようが、兵士として巻きこまれようが、要監視の人物として間近にさし迫ろうが、国家の戦争行為とは次元のちがったところに一個の私人として居るという記述の場所を、はっきりとした輪郭でもっている。これは日本のどんな文学者や哲学者ももつことができないことだ。たぶん日本人が(一般に東洋人が)全般的に貫けなかった場所だといって過言ではない。このことが印象深かったので、はじめに記しておきたい。 あとはこの二つの日記のちがいを強調すれ