前回、高村光太郎と智恵子にふれたことからすれば、その『智恵子抄』に言及しなければならないだろう。しかも昭和十六年の初版のかたちをそのまま残している夫婦函入の龍星閣版が手元にあり、しばらく前に浜松の時代舎で買い求めているからだ。 ただその前に断わっておけば、私の場合、日本の近代詩は萩原朔太郎の『月に吠える』から読み始めているので、高村の『道程』や『智恵子抄』は素通りしてしまった感が強い。それは教科書などにおける『道程』の印象、『智恵子抄』がかもし出していた社会的モードなどにもよっている。例えば、昭和四十三年の通版六十五刷の帯にもつきまとい、そこには「全国学校図書館協議会選定/必読図書」として、次のようにしたためられていた。「初版発行以来27年間、『永遠のベストセラー』といわれる決定版!/『智恵子抄』は永い間、結婚祝いのおくりものとして感謝されてきました」と。 (『月に吠える』 もちろん新潮社
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