2021年3月2日のブックマーク (4件)

  • ご丁寧にありがとうございます。 わたしが嫌いとする根拠が差別的であった..

    ご丁寧にありがとうございます。 わたしが嫌いとする根拠が差別的であったということは指摘されて理解しました。素直に反省しています。 ただ、来自分がそうしたいと思っている振る舞いを抑制するのは、マジョリティ・マイノリティに関係がないと思うんです。 そこをあえて「嫌い」と公言しあえることで、「嫌いな人」が多ければ抑制、少なければ自由にっていう使い分けもできると思います。 今の世の中は、「嫌い」の公言が抑止されていることで、自分の振る舞いや出で立ちを「嫌いかもしれない」という考えにかえって抑圧されてしまっていると思うのですがいかがでしょうか。 「嫌い」であることを言えない世の中より、お互いの「嫌い」という意見を許容しあえる世の中のほうが自由だと思います。 それよりも、コメントでもいくつか見られるように「嫌いと言われるのはかまわないけど、言われたら反撃する」という考えが許容されていることにどうして

    ご丁寧にありがとうございます。 わたしが嫌いとする根拠が差別的であった..
    anatadehanai
    anatadehanai 2021/03/02
    なんでそこまで「嫌い」と言い合いたいのか素朴にわからなくなってきたなあ。自分が嫌われているのを知るのが大切だみたいなことまで言ってるけど、そんなの知らずにすむならその方がいい。
  • バッハ会長を「ばっ墓」と投稿 京大名誉教授、ツイート削除 | 共同通信

    高松市美術館の館長を務める篠原資明京都大名誉教授が自身のツイッターに、国際オリンピック委員会のバッハ会長を「ばっ 墓萎凋」(ばっはかいちょう)、東京五輪の開会式を「かいかい 死期」などと書き込んでいたことが2日、篠原氏への取材で分かった。篠原氏は「アートの表現で、批判する意味はない」としている。投稿はすでに削除された。 聖火ランナーを「世禍乱 なぁ」、五輪に関わる人を「すぽ お通夜」(スポーツ屋)とも投稿。篠原氏は、自身が提唱した「超絶短詩」という一つの語句を別の語句と間投詞に分解する表現方法だと主張し「言葉狩りされる気がしたので削除した」と説明した。

    バッハ会長を「ばっ墓」と投稿 京大名誉教授、ツイート削除 | 共同通信
    anatadehanai
    anatadehanai 2021/03/02
    この人ずっと前からこれやってるんで。こんなん記事にしてどうする。しかし日和って消すのはかっこ悪いな。
  • LGBTを嫌う自由はあるのか

    LGBTが嫌いだと口にしたら、差別はよくないと周囲から総攻撃をらった。 おかしい。それこそが差別ではないか。 LGBTを差別するつもりはない。存在もしているだろうし存在しないでほしいとも思わない。 しかし嫌いなものは嫌いだ。 特にゲイはどうしても好きになれない。 できれば身近にはいないでほしいし、いたとしても近づきたくはない。 別に外見でゲイとわからないならいい。 だけど、男性なのにクネクネしていたり、男性なのに女性みたいな服装をしたりしているのはどうしても受け入れられない。 もちろん存在はしていてもよい。しかし、あなたの存在が認められるのと同じで、わたしがあなたを嫌いだということも認められるべきだ。 わたしが入る学校や会社に、LGBTを禁止する規則がないなら、その中にLGBTがいても仕方ないと思う。 だけど、LGBTを禁止する規則があるなら、わたしはそういう学校や会社を選びたい。 わた

    LGBTを嫌う自由はあるのか
    anatadehanai
    anatadehanai 2021/03/02
    "マジョリティ・マイノリティ関係なく、お互いが「嫌い」と表明しあえることが許容される世の中" そのためにこそ「ゲイは嫌い」みたいな雑な発言を抑制する必要があるのだが。「お前が嫌い」と「ゲイは嫌い」は別物。
  • 日本に来て1ヶ月くらいの頃、謎の念仏を唱える車と遭遇した台湾人。宗教かなって思ったけど実は日本に馴染み深いあの屋台だった!

    teabloom @teabluebloom @kai_chiawei @itoi_shigesato 「い〜しやぁ〜きいもぉ〜」という言い方だとお経っぽく聞こえるのかなぁ。電車内でのアナウンス同様、独特な発音ですよね。 ff外から失礼しました。 リンク Wikipedia 念仏踊り 念仏踊り(ねんぶつおどり)は、念仏を唱えながら踊る日の伝統芸能で、さまざまな様式で全国に分布している。踊り手と歌い手が分かれているものと、自ら念仏を唱えながらおどるものがあり、後者は踊念仏とも言う。 踊り手と歌い手が別れている念仏踊りの起源は、菅原道真が886年から889年の4年間、讃岐国司を務めた時に行った「雨乞いの踊り」とされ、翌年から村人達が感謝の意味で踊ったのが今に残るとされる。「念仏踊り」となったのは1207年に法然上人が宗教上の争いから讃岐に流され、この踊りを見てセリフとして「念仏」を唱える 2

    日本に来て1ヶ月くらいの頃、謎の念仏を唱える車と遭遇した台湾人。宗教かなって思ったけど実は日本に馴染み深いあの屋台だった!
    anatadehanai
    anatadehanai 2021/03/02
    ww確かに念仏っぽい。自分では覚えてないけど、子どもの頃あれをひどく怖がって逃げ回っていたらしい。割といろんな人に恐怖を与えているのでは。