擬態するものが、自らの振る舞いについてまったくなにも意識しておらず、それどころか、お前のその行為はほかならぬ擬態と呼ばれる所業以外の何物でもない、と指摘したところで、きょとんとした顔で「擬態ってなんですか」と問い返され、逆にこちらが顔を赤らめなくてはならない、そうした事態がごく頻繁に現出する。ここに至って、わたしたちは言葉の一切を失うしか身の振り方はない、と悲壮な覚悟を固めざるを得ないところだが、それよりもむしろ、ゆっくりとだが確実に動きつつある巨大なうねりから目を離すことは許されないと釘を刺しておくべきだろう。そこに「おそらく」という留保があってもなくても、さしたる違いはあるまい。 ある種の貴種流離譚とも、あるいはシンデレラ・ストーリーともみなしうる物語が、わたしたちの身近で猛威を奮っている。100円コンヴィニの棚に三馬鹿大将のように並んでいるハチ食品のグリーンカレー、レッドカレー、キー
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く