江戸時代には行商人が天秤棒に様々な商品をぶら下げて町の中を売り歩いていました。 火を持ち歩いて暖かい食べものを売り歩く商人もおり、蕎麦も夜間に屋台で売られていたのです。 夜蕎麦売りの屋台は、天秤棒の両端に道具入れになる縦長の箱がつき、この箱の上に雨よけの屋根がのせられたつくりになっていました。 蕎麦売りは天秤棒をかついで移動し、これが降ろされると天秤棒の両端に付いた箱が屋台の柱となりました。 ○ 火を扱う屋台は度々火事の元になったため、江戸時代を通じて徳川幕府は夜蕎麦売りなどを再三禁じようとしましたが、この規制はあまりうまくいかず、蕎麦の屋台売りも排除されることはありませんでした。 むしろ江戸の火事は屋台を増やす切っ掛けになったともいわれています。 1657年に江戸の町の三分の二が焼失してしまう大火事があり、これ以降、江戸の屋台店が増加したのです。 大火後の再建による復興景気で職人の給料が