2016年9月24日(土)、およそ2年の歳月をかけて修復作業が完了した「世界初の量産小型四輪駆動車」である「くろがね四起・前期型」が、ついに一般向けにお披露目されました。2013年に傷みが激しい状態で「再発見」され、クラウドファンディングで集められた1300万円を超える資金をもとに修復作業が進められた車体がどんな様子になったのか、現地に行って見てくることにしました。 くろがね四起完成お披露目会 - Google Docs 修復が完了し、当時の姿をほぼそのまま再現したという「くろがね四起・前期型」が公開されました。修復のもとになったのは1939年ごろに当時のメーカー「日本内燃機(現・日産工機)」によって製造された「前期型・最後期」の車体で、今年でおよそ80歳になろうというもの。残せる部分は残し、傷みの激しかった部分は鉄板を叩いて作り上げる作業を行って当時のままに再現されています。 この車体は
中国東北部遼寧省小河口の「修復」を終えた万里の長城の一部。IMAGINECHINA提供(2016年3月9日撮影、資料写真)。(c)Imaginechina/Wang wei 【9月23日 AFP】(写真追加)世界遺産(World Heritage)にも登録されている中国の史跡「万里の長城(Great Wall)」で、700年の歴史を誇る一画が修復作業の結果コンクリートで真っ平らに塗り固められてしまったことが判明し、中国のソーシャルメディア・ユーザーの間で激しい非難が渦巻いている。 問題となっているのは、中国東北部・遼寧(Liaoning)省の小河口(Xiaohekou)に8キロにわたり、大自然の中に手付かずのまま残った城壁が続く区画だ。明(Ming)王朝下で1381年に建設され、「万里の長城」の中でも最も美しい場所として知られている。 インターネットに最近投稿された写真を見ると、修復前には
第一次世界大戦後にパリ講和会議によってドイツの植民地から日本の委任統治領になったミクロネシアの島国パラオ。その歴史的背景から、パラオで話される言葉には日本語由来の言葉が多くあります、アンガウル州では日本語が公用語に設定されているほど。おまけに面白く伝わってます。今回はそんなパラオと日本の関係とパラオの魅力に迫りたいと思います。さて、パラオに行ってツカレナオーシましょう! 情報は記事掲載時点のものです。施設によって営業時間の変更や休業などの可能性があります。おでかけの際には公式HP等で事前にご確認ください。また、当サイトではアフィリエイトプログラムを利用しており、ご紹介するお出かけスポットや商品に、アフィリエイトリンクを設置している場合があります。RETRIPでは引き続き、行き先探しに役立つおでかけ情報を提供していきます。
世界一裕福な島国が最貧国に転落するまでの歴史を綴った本です。真実は小説より奇なりとはよく言ったもので、この国が辿った歴史も小説に負けない奇特なものになります。 舞台はナウル共和国。 太平洋に浮かぶ、国土面積がわずか21km²の独立国家でバチカン、モナコに次いで小さく人口も1万人程度しかいない。こwww.amazon.co.jp ユートピアの崩壊 ナウル共和国―世界一裕福な島国が最貧国に転落するまで : リュック・フォリエ, Luc Folliet, 林 昌宏 : 本 : Amazon https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4787710176 アマゾン公式サイトでユートピアの崩壊 ナウル共和国―世界一裕福な島国が最貧国に転落するまでを購入すると、Amazon.co.jpが発送する商品は、配送料無料でお届け。Amazo... 世界一裕福な
空襲で焦土と化した東京。本所区松坂町、元町(現在の墨田区両国)付近で撮影されたもの(資料写真、出所:Wikimedia Commons) 今から71年前の今日、日本は終戦を迎えた。太平洋戦争は民間人を含めると300万人を超える犠牲者を出したといわれるが、経済的な損失も計り知れないものだった。戦費総額は国家予算の74倍に達しており、空襲によって生産設備の50%以上が失われていた。 この天文学的なレベルの経済損失を日本政府はどのようにして穴埋めしたのだろうか。 実質ベースの戦費総額は国家予算の74倍 太平洋戦争(日中戦争を含む)の名目上の戦費総額は約7600億円だった。日中戦争開戦時のGDP(当時はGNP)は228億円なので、戦費総額のGDP比率を計算すると33倍、国家予算(一般会計)に対する比率では何と280倍という数字になる。 現実には過大な戦費調達から財政インフレが進んでおり、実質ベース
太平洋戦争の終結を知らないまま、30年近くフィリピンのジャングルに潜伏を続けた旧日本陸軍の元少尉、小野田寛郎さん。1974年、小野田さんが日本に帰国したときは、日本中が沸き立ちました。 小野田さんの帰国を巡って、日本とフィリピン政府との間で極秘の交渉が行われていたことが、外交文書から新たに分かりました。さらに、この交渉を経てフィリピン側に支払われた3億円の資金を巡って知られざる事実が浮かび上がってきました。(国際放送局 照井隆文記者、広島放送局 関根尚哉記者) 残留日本兵 小野田寛郎さん 7月23日、日本とフィリピンは、国交正常化から60年を迎えました。太平洋戦争末期、最も過酷な戦場の1つとなったフィリピン。日本人50万人余りが死亡、100万人を超すフィリピン人が犠牲になったと言われています。 当時22歳だった小野田寛郎少尉は戦争が終わったことを信じず、3人の仲間とともに、フィリピンのジ
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