2014年2月1日。立浪監督の評論家生活は12年に及んだが、臨時コーチだった昨季を含め、必ずキャンプ取材は北谷からスタートしていた。唯一の例外がこの8年前。前年、日本一の楽天に敬意を払い、北谷より先に久米島に足を運んだ。星野監督は専用室に招き入れ、歓待してくれた。が、おもむろに「和義、ついてこい。監督の仕事を見せたるわ」と言った。向かったのはブルペン。話題のドラ1・松井裕樹の投球が始まるところだった。 しかし、腕を組み、何度かうなずいただけ。投げ終えるとブルペンを出た。拍子抜けする立浪監督に、星野監督は「あれが監督の仕事や」とニヤリ。実は闘将にも「監督の仕事」を教えてくれた人がいた。立浪監督がルーキーだった1988年。中日は米フロリダ州ベロビーチでドジャースとともにキャンプを張った。朝食の席で、ラソーダ監督が「星野、ゴルフに行こう」と誘ってきた。「今からですか?練習はどうするんですか」。戸