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ブックマーク / gitanez.seesaa.net (5)

  • メディア論―人間の拡張の諸相/マーシャル・マクルーハン: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 2010年大晦日。 今日は、1980年12月31日に亡くなった、カナダ出身の英文学者であり、文明批評家であるマーシャル・マクルーハンの没後30年にあたります。 そして、明日になれば、1911年生まれのマクルーハンの生誕100周年を迎える。 その節目の今日こそ、これまで何度となく取り上げてきたマクルーハンの『メディア論―人間の拡張の諸相』を紹介にふさわしいのではないかと思い、このエントリーを今年の最後のエントリーとして選びました。 書でマクルーハンが「話されることば」や「書かれたことば」、「道路と紙のルート」、「数」、「衣服」、「印刷」、「漫画」、「印刷されたことば」、「写真」、「新聞」、「自動車」、「広告」、「タイプライター」、「電話」、「蓄音機」、「テレビ」などのさまざ

  • 火の賜物―ヒトは料理で進化した/リチャード・ランガム: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ジョルジュ・バタイユは『エロティシズム』(書評)のなかで、べることと調理することは連続的な行為ではなく、その間には切断があることを指摘した上で「この切断が人間と動物を区別しているのです」といっている。「動物はすぐに媒介なしにべ、そのべ方は貪欲」であるのに対し、人間はべる前に「調理」という媒介的な行為を挟むことを対比する。この人間のみが行う調理というものが動物と人間を隔てる区別だという指摘だ。 この区別が単なる哲学的な思弁ではないことを、著者は書で科学的に論述してみせる。 ヒトは確かに料理によって進化し、ほかの動物と区別される存在になったのだ、と。 180万年前、ヒトは料理で進化した著者の論点はめいかいだ。 180万年前、それまでの類人猿型の体型をしたハビリスから、

  • 接続詞のない世界: DESIGN IT! w/LOVE

    「情報考学」の「文章は接続詞で決まる」というエントリーを読んでいて、これを思い出しました。 我々が文章のあたりまえのつなぎ方だと思っている「接続」表現を、列挙の方法は用いない 田中優子さんは「日には古代末期から様々な列挙の方法が」あり、「それは近世に至るまで、まさにそれぞれの時代特有の機能をもった」ことを述べ、さらに列挙の方法は、時代や、表現ジャンル、表現内容によってさまざまな形式をとったため、ひとくくりにしては言えないがということを前置きした上で、列挙の方法の大きな共通点のひとつとして、上の引用にある列挙という方法の特徴をあげています。 接続詞がつくる関係性「文章は接続詞で決まる」というエントリーではこんなことが書かれています。 接続詞の一般的な定義は「接続詞とは、文頭にあって、直前の文と、接続詞を含む文を論理的につなぐ表現である」というほどのものだが、書では「接続詞とは、独立した先

    animist
    animist 2008/11/08
  • なぜ量が質を生み出す可能性を持っているのか?: DESIGN IT! w/LOVE

    ある陶芸のクラスで、質を追求するグループと量を追求するグループに分けたところ、実際に質の良い作品が数多く見られたのは、量グループだったという話。 質を求められていたのは「質」グループのはずだったのに,なぜ質を求められていなかった「量」グループの生徒たちが,質で上回る結果になったんだろう? これが事実として成り立つからこそ、ブレインストーミングでもアイデアの質より量を問うんですよね。このブログでも、再三にわたって「まずは手を動かそうよ」といってるのもそういうこと(cf.「小さなアウトプットの蓄積で完成形を生み出すための5つのプラクティス」「みんなで手を動かしながら考えるということを図にしてみました。」)。 先の記事中にも「質」より「量」が結果として「質」を生む理由として「多くの作品を作り出す過程において失敗を繰り返し、その失敗から多くのことを学ぶことができた」と書かれていますが、そのことにつ

  • 反復練習が脳力を高める: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 何かしらの知識を身につけ、自在に扱えるようにするには、反復的な練習が有効なことは今更いうことでもないでしょうか? でも、そうした反復練習そのものを自分の生活に意識的に取り込んでいる人はすくないような気がします。 反復を生活のなかに取り込む反復をするには、毎朝毎晩歯を磨くとか、1日何キロ走るとか、週に1冊はを読むとか、生活の中である程度は習慣化していかないと反復そのものが成り立ちにくいでしょう。 スポーツ選手の練習というのは、まさにこうした意味での反復ですよね。営業マンが1日の外出件数を決めて行動するのも同じような意味があるのかもしれません。そして、何より日々、ブログを書くことも反復練習を可能にする習慣化の1つの方法です。 前に「ブログを書くことはスポーツをすることと同じだ

    animist
    animist 2007/01/22
    結局楽して得するってのはムズカしいってコトなのかな。
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