「努力量」は勝負を決めない――「方向」を探り、定めよ よく思うんだが、もしも私が全財産を失って、英語圏のどこかの通りに置き去りにされたとしても、5年か10年すればまた富を得ているだろうね。 なぜなら富を生み出すことは私が身につけたスキルセット[知識や能力]であり、誰でもそれを身につけられるのだから[※1]。 努力は富とはほとんど関係ない。週80時間食堂で働こうが、リッチにはなれない。リッチになるということは、「何をするか」「誰とするか」「いつするか」を理解するということなんだ。 努力するより、理解するほうがずっと大事だ。もちろん努力は大事だし、おろそかにはできない。でも努力は正しい方向に向けなくてはならない。 もし君が取り組むべきことをまだ見つけていないのなら、それを見つけるのが先決だ。取り組むべきことが見つかるまでは、身を粉にして働きすぎてはいけない。 私が(以下の)連投ツイートで紹介し