直紀が後継ぎとして入社したのは、25歳の時だった。工場には、祖父、父、母がいつもいた。日に日に成長していく直紀を、家族は汗をかきながら働く傍らで、大切に見守り続けてきた。そこは、家族みんなの居場所だった。 祖父がその原型を形づくり、父が機能を加え、池田工業のピックは数多くの楽器メーカーからOEMでの製作を依頼されるようになった。時には、アーティストが直接、工場見学に足を運ぶこともある。あるアーティストは、1枚1枚、丁寧に作られていくピックの製作工程を見てこうつぶやいたという。「ピックについて考え直さないと。ライブで投げるのがもったいない」。 直紀は、特別な形状が求められるピックを作る時は、祖父が作った古い足踏み式の型抜き機に向かう。足元のペダルをひと踏みすれば、1枚の型が抜ける。効率は悪いが、この機械でしか作れない型がいくつもある。祖父と父が、代わる代わるこの機械に向かっていた背中を、直紀
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く