Ⅱ 「親指のマリア」=鎖国下の白石との出会い 1952年、北海道から上京した父は、私たち家族を率いて、建築さなかの碑文谷教会に通っていた。 スターたちの結婚式で今はすっかり観光名所になった華麗な聖堂だが、当時は野っ原に建つ、装飾もまだ少ないただ大きいばかりの教会だった。 創設した修道会の名をとって通称サレジオ教会、正式には「江戸のサンタマリア聖堂」。その名前は、1715年鎖国下来日したイタリア人宣教師シドッチが所持した「悲しみの聖母」に由来するという。 そういえば、右脇祭壇に、その複製画がひっそりと飾られてあった気がするし、教会の記念行事の際など、その「御絵」が配られ、「江戸のサンタマリア」の歌を歌った想い出がある。 父はこの聖母像が好きで、晩年にはこの絵を題材にしたステンドグラスの下絵を何枚も色紙に描いては親しい人に贈り、そして色紙の裏には「江戸のサンタマリア」の歌詞を記していた。 父の