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  • 本能寺の変の後、なぜ秀吉は滅亡しなかったのか? - みずおのアレコレ話

    能寺で織田信長が横死した後、羽柴秀吉は瞬く間に天下人まで駆け上がった印象を受けます。 でも、「能寺の変」直後の状況をみると、秀吉が滅亡しなかったのが不思議なくらいです。 能寺の変の知らせを聞いたとき、秀吉は備中(岡山県西部)で毛利の大軍と対峙していました。 このとき、秀吉の軍は、宇喜多勢1万を含め合計約3万です。毛利は約4万の大軍で陣を張っていました。 信長の死を知ったならば、兵力で勝る毛利は、猛然と秀吉軍に襲いかかるはずです。 また、信長の死が広まれば兵士の逃亡が相次ぎ、軍は崩壊します。農民も土寇(どこう)と化し、秀吉に襲いかかるはずです。 まさに、秀吉の命は風前の灯・・・・となるところでしたが(゚□゚;) 広範な情報網を敷いていたのか? 秀吉は運に恵まれた、とも言えます。しかし、秀吉が信長から学んだ「情報戦略」も見逃せません。 秀吉は、独自の緻密な情報網を敷いていたのではないでし

    本能寺の変の後、なぜ秀吉は滅亡しなかったのか? - みずおのアレコレ話
    aoikawano
    aoikawano 2017/10/15
    なるほど~秀吉は切れ者だったのか、信長のそばにいて学んだのか?運がいいのは確かですね?
  • 戦国時代、上杉謙信は織田信長をメチャクチャ助けていた! - みずおのアレコレ話

    織田信長が美濃の斉藤氏を滅ぼして、100万石の大名になったとき、隣国の信濃は、武田信玄に支配されていました。 当時、戦国時代最大の大名といわれていた武田信玄は、最強の戦国武将でもありました。 もし、信長が信玄と戦えば、ほとんど勝ち目がありません。信玄の兵は、一人で三人の敵を倒せる、といわれるほど強かったからです。 逆に、信長の尾張兵は、弱いことで有名でした。戦で少しでも不利になると、逃げだす臆病者が多かったのです。 だから信長は、信玄にやたらとゴマをすります。贈り物を届けたり、自分の養女を信玄の息子に嫁がせます。 弱肉強の戦国時代は、ゴマをすったからと安心できるわけではありません。ゴマすりは、単なる時間稼ぎといえましょう。 ところが、信長に幸運が舞い込みます。それは上杉謙信という化け物みたいに強い戦国大名が、武田信玄と戦い続けたからです。 信玄は信長の領土を狙う余裕がなくなりました。上杉

    戦国時代、上杉謙信は織田信長をメチャクチャ助けていた! - みずおのアレコレ話
    aoikawano
    aoikawano 2017/10/14
    こうして揃えてみると、本当にたくさんの有名な人たちがいたんですね。なんか歴史の1つの山場ですね~(^^)
  • なぜ、武士が生まれたのか? - みずおのアレコレ話

    には、弥生時代から戦う兵士が存在しました。しかし、武士が生まれたのは、平安時代ごろからです。 そもそも兵士と武士の違いとは、何なのでしょうか。どちらも同じような感じがします。 まず字が違いますが、「兵」と「武」にどんな違いがあるのでしょうか? 兵士は、軍隊に属して敵と戦う者のことです。 武士も敵と戦う点では同じですが、主に反乱を収めるために戦うという説があります。 「武」は、「戈(力、ほこ)」と「止」を組み合わせた合意文字です。 「戈」とは、長棒の先にピッケル状の穂先がついた武器です。古代中国で使われていました。 武器である「戈」の中に「止」という文字が入って、争いを止める、という意味があるといわれています。 他にもいろいろな説がありますが、「兵士」と区別するためにつけられた呼び方であることは間違いありません。 兵士は身分の低い者が多かったので、天皇の子孫など身分の高い者が戦をする場合

    なぜ、武士が生まれたのか? - みずおのアレコレ話
    aoikawano
    aoikawano 2017/10/14
    そうか~世界的に見ると確かに征夷大将軍という立場って珍しいのですね?私は武士道?心構えとかが違うからかな?なんて考えたりしていましたが、それだけでは無理ですね?う~ん。
  • 織田信長は宣伝マンだった\(^ ^)/ - みずおのアレコレ話

    戦国時代に広告代理店はありませんが、戦国大名は誰でも宣伝マンのような仕事に熱心でした。 ある意味、兵の数よりも重要だったのです。 兵の数が少なくても、宣伝(情報戦)が上手ければ、兵をより多く集めることができ、戦に勝利できます。 逆に、宣伝が下手だと、兵が多くても裏切ったり、逃亡したりします。 とくに接戦の場合、宣伝力の差で戦の勝敗を決めることもあったのです。 織田信長は、この宣伝マンとしての能力も、他の戦国大名を圧倒していました。 民衆の口コミを最大限に利用した信長 戦国時代は、現代のようにテレビや新聞、インターネットもありません。宣伝媒体は、人間の口から口に伝えられる口コミでした。 この口コミを最大限に利用する仕組みを、信長は作りました。 つまり、民衆を味方につけ、信長に有利な口コミが起こる仕組みをつくったのです。 ちょっとAmazonのレビューに似ているかもしれません。レビューが商品の

    織田信長は宣伝マンだった\(^ ^)/ - みずおのアレコレ話
    aoikawano
    aoikawano 2017/10/11
    宣伝ですか~なるほど。信長に息子がいたことを知りませんでした。えへへ(^^;)ところで夏にどんな薬を買われたんですか(・ω・`)?大丈夫ですか?
  • 維新後、ドイツをモデルにした日本(´△`) - みずおのアレコレ話

    明治維新後、日は新たな国家を築くために模索していました。 西洋の近代化に追いつくため、使節団を欧米に派遣しました。岩倉具視を正使とした岩倉使節団(明治4年~明治6年、1871年~1873年)です。 アメリカやイギリス、フランスなど視察しましたが、あまりにも日との文明の差が大きいことに、愕然としました。 当時の日は、燃料は薪、明かりはロウソク、通信は飛脚、陸の交通は馬か人力、船は帆船でした。 ところが西洋は、燃料は石油・石炭、明かりは電気・ガス、通信は電気通信、陸の交通は鉄道、船は蒸気船です。 圧倒的な差がありました。 その産業の担い手は、国営だけでなく民間企業も多数占めていました。民間企業が自由に競争して、産業・経済を活性化させていたのです。 日の使節団の誰もが、いきなり西洋をマネするのは不可能だ、と考えました。 いったい、西洋のどの国をモデルとしたらいいのか、悩みました。 日

    維新後、ドイツをモデルにした日本(´△`) - みずおのアレコレ話
    aoikawano
    aoikawano 2017/10/11
    維新の後のことって何も知らないです。西郷さんが明治10年?に亡くなったってくらいかなあ?続編があるとうれしいです(^^)
  • 内閣という漢字は、明(中国)がつくった(´∀`me)?? - みずおのアレコレ話

    明日、10月10日に衆議院選挙が公示されます。テレビや新聞を見ていると、なんか、メチャクチャな選挙になりそうです。 9月28日に衆議院が解散されましたが、それと同時に衆議院議員は、全員クビになりました。現在、日に衆議院議員が存在しないのです。 そんなときに北朝鮮からミサイルが飛んできたり、災害が起きても大丈夫なのか、と疑問がわきます。 でも、昨日、テレビを見ていたら、池上彰がそのことを解説していました。衆議院が解散しても、「内閣」は存在しているので、通常どおりの対応ができるとのこと。 「内閣」って便利なものだな、と、ちょっと感心しました。 この「内閣」という漢語は、日ではなく、中国の明王朝がつくったのです。 明の洪武帝は権力を集中させた 明(みん、1368年 - 1644年)は、洪武帝(朱元璋)が建国した中国の王朝です。 この洪武帝は、たいへんな勉強家でした。過去の中国の王朝が滅亡した

    内閣という漢字は、明(中国)がつくった(´∀`me)?? - みずおのアレコレ話
    aoikawano
    aoikawano 2017/10/10
    そうそう、今って何かあったらどうするの?と思っていました。内閣はあるんですか!なるほどです。
  • なぜ、江戸幕府は鎖国をしたのか(・・?) - みずおのアレコレ話

    江戸時代、江戸幕府は、オランダを除いて西洋の国々と鎖国をしました。長崎に出島を設置して、そこでオランダだけと貿易を行ったのです。 東アジアでは、琉球(沖縄)と対馬藩をとおして、明(中国)、李氏朝鮮(朝鮮半島)と貿易を続けていました。 でも、戦国時代には、スペインやポルトガルとも、盛んに交流があったのです。 なぜ、西洋は、スペインやポルトガルを排除して、オランダ一国だけの鎖国体制になったのでしょうか? 鎖国など行わないで、西洋と積極的に貿易を続けていれば、日でも優れた産業が発展したはずですが・・・・? 豊臣秀吉がバテレン追放例を出した 織田信長は、ポルトガルのバテレン(神父)と良好な関係にありました。豊臣秀吉も信長の政策を継承して、キリスト教の布教を容認していました。 しかし、天正15年(天正15年)に、豊臣秀吉はバテレン追放令を発します。 秀吉が九州を平定した後、長崎がイエスズ会の領地に

    なぜ、江戸幕府は鎖国をしたのか(・・?) - みずおのアレコレ話
    aoikawano
    aoikawano 2017/10/08
    やっぱり、奴隷にされたりってあったんですね~面白かったでーす(^^)
  • iPhone5からiPhone8に替えて、月額料金が下がった(*´д`)?? - みずおのアレコレ話

    今朝、眼科検診の帰り、携帯ショップの呼び込みのお姉さんから、声をかけられ、iPhone8をすすめられました。 私はiPhone5を、もう5年も使っています。最近、あちこち故障が多いので、話を聞きました。 「ただし、今より料金が下がるなら考える!」との条件つきで、お店のカウンターに座ったのです。 結局、iPhone8を購入しました。カウンターのお姉さんの口がうまかったのもありますが、月々の料金が下がり、サポート面でも納得できたからです。 iPhone8なんか高価だから、いらない!・・・・と思っていましたが、話は聞いてみるものだな、と思いました。 iPhone5で5年間、余計な料金を払っていた お店のお姉さんに、現在の契約内容を調べてもらいました。すると、無駄が多かったことがわかりました。 私のiPhone5の契約は、7GBのデーター通信サービスに入っていました。しかし、実際、私は毎月、0.8

    iPhone5からiPhone8に替えて、月額料金が下がった(*´д`)?? - みずおのアレコレ話
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    aoikawano 2017/10/08
    良かったですね~(^^)ケースを買って落とさないようにしてくださいね?
  • なぜ、中国や韓国ドラマには奴婢が多いのか(*´д`)?? - みずおのアレコレ話

    韓国中国歴史ドラマを見ていると、やたらと奴婢(奴隷)が登場することに驚きます。 日歴史ドラマや映画漫画で、奴婢が出てくるシーンを見たことがありません。 これはいったい、どうゆうことなのでしょうか。日には、奴婢はいなかったのでしょうか? ネットで「奴婢-ウィキペディア」を見たら、日にも奴婢がいたことがわかりました。 でも、日の奴婢は、中国や朝鮮と比べると、扱いが寛容だったようです。 江戸時代には、人身売買を犯すと死罪になり、公に奴婢は存在しなくなりました。 といっても江戸時代は、300前後の藩が独自に領地を支配していました。 なので「人身売買の禁止」が、すべて藩で実行されていたかどうかは、定かではありません。 少なくとも幕府の支配地では、実行されていたのでしょうね。 日は奴婢の廃止が早かった 中国や朝鮮は、古代から異民族との争いが絶えません。戦で負けた側は、奴婢として扱われ

    なぜ、中国や韓国ドラマには奴婢が多いのか(*´д`)?? - みずおのアレコレ話
    aoikawano
    aoikawano 2017/10/07
    あ、遠い欧米の話で、関係ないことと思っていました!中国韓国はあったのですね?大陸(陸続き)は難しいですね?
  • ブログ記事を電子書籍化したい(´▽`;) - みずおのアレコレ話

    他の方のブログを拝見していると、ブログ記事を電子書籍化している人がいます。 正直、うらやましいです(*゚0゚) 私も、ヘタウマ小説電子書籍Amazonに出版しましたが、続編が書けません。 ヘタウマ小説を書いたのが、はてなブログを始める前だったので、執筆に集中することができました。 でも、今は仕事の合い間にブログ記事を書いているので、そんな時間はありません。 そこで、ブログ記事を電子書籍化することを考えました。これなら一石二丁です。 カテゴリーの記事が20個で電子書籍化 記事の電子書籍化のため、私のブログは、下記のようにカテゴリーを少し細かくしました。 この中で「織田信長」や「豊臣秀吉」、「徳川家康 」、「剣豪」など、自分が興味があって、一つの文章として、まとめられそうなカテゴリーを電子書籍化したいと考えています。 また、来年のNHK大河ドラマは「西郷どん(せごどん)」ですので、「西郷隆

    ブログ記事を電子書籍化したい(´▽`;) - みずおのアレコレ話
    aoikawano
    aoikawano 2017/10/06
    電子書籍化、頑張ってくださいね。いつも面白いです。
  • 古代中国と日本の合従連衡(・∩・)? - みずおのアレコレ話

    中国を初めて統一した秦(しん、紀元前778年 - 紀元前206年)は、戦国時代に周辺の六ヶ国(楚、韓、斉、魏、趙、燕)と戦いを繰り広げていました。 六ヶ国が同盟して、強国・秦に対抗しましたが、なかなか優勢に立つことができません。 この六ヶ国が同盟することを「合従(がっしょう)」と呼びました。 秦は、六ヶ国の合従を切り崩そうと、六国の間を対立させるように仕向けました。これを「連衡(れんこう)」といいます。 結局、合従は失敗に終わり、連衡が成功して、秦が中国を統一します。 なかなか足並みが揃わない合従(同盟) ある時、六ヶ国の合従が効果をもたらして、秦に大打撃を与えます。 しかし、六ヶ国は互いに疑心暗鬼になり、漁夫の利を得ようと団結にヒビが入りました。 追い詰められた秦からの反撃で、自国の兵の損害をできるだけ少なくしたい、と逃げ腰になったのです。 真っ向から戦い、秦を滅亡させたとしても、他の五

    古代中国と日本の合従連衡(・∩・)? - みずおのアレコレ話
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    aoikawano 2017/10/05
    紀元前の話とかって、果てしないですね~(^^)どんな国だったんでしょう?
  • 猫は、砂漠からやってきた(*´д`)?? - みずおのアレコレ話

    ブログ記事の更新を5~6日も休むと、脳みそが「ブログお休みモード」になります。 更新するのが面倒くさい!・・・・という感じになってくるのです。 だから少し肩の力を抜き、日常のことも書きたいと思いました。 でも、私の日常生活はワンパターンです。仕事も法人がお客さんなので、ブログ向きではありません。 しかたがないので、私の家の裏でフンをする黒のことを書きます。 この夏は、家の後ろの窓を開けると、とてものフンが臭かったです。雨が多かったので、湿気が原因だと思いました。 どこからやってきたのか、近所の黒が家の裏で昼寝をしたり、用を足したりするのです。 を追い払うため、薬局でを近づけなくする薬を買い、家の裏に散布しました。 また、黒を見つけると、家の壁を叩いて脅かしてやりました。 その甲斐あって、黒は、最近やってこなくなりました。めでたし、めでたし、です(⌒o⌒) しかし、心配なことが

    猫は、砂漠からやってきた(*´д`)?? - みずおのアレコレ話
    aoikawano
    aoikawano 2017/10/03
    ネコさんの人気はすごいですよね?私はワンさん派なので、ネコかわいいけれど、どう接すればいいかがわからないです(^^;)
  • 織田信長は、変人で発達障害なのか? - みずおのアレコレ話

    織田信長は、発達障害だった、という噂があります。 発達障害の症状を簡単にあげると、落ち着きがない、衝動的な行動と発言、物事へのこだわりが強い、空気が読めない・・・・などがあります。 発達障害の代表的なものに、ADHD(注意欠陥・多動性障害)やAS(アスペルガー症候群)があります。 たしかに織田信長に関するを読むと、発達障害にあてはまりそうな部分があります。 少年のころは学問が嫌いで、寺子屋から抜け出し、遊びに行くことが多かったのです。 町中で、握り飯をべながら歩いたりします。衣服にも無頓着で、腰にヒョウタンやお菓子が入った袋をぶらさげていました。 また、人にあだ名をつけるのが大好きで、初対面の人にも平気でつけていました。 だから「うつけ」と人々から呼ばれ、アホだと思われていたのです。 そんな信長が、尾張半国の領主から天下の大半を制覇するとは、誰もが想像しませんでした。 天才に発達障害

    織田信長は、変人で発達障害なのか? - みずおのアレコレ話
    aoikawano
    aoikawano 2017/09/27
    http://aoikawa.hatenablog.com/entry/2017/07/13/173514 暇な時にでも読んでくださいね(^^)みずおさんを応援する気持ちは変わりません。ただ、なんて書いたら?と思ってしまって。
  • 幕末、薩摩藩は、なぜイギリス軍に負けなかったのか(ー_ー? - みずおのアレコレ話

    19世紀、イギリスは大英帝国(だいえいていこく)と呼ばれ、植民地・海外領土を合わせると、世界最大領土をもつ超大国でした。 東アジアの大帝国・清は、そのイギリスに対抗できる軍事力がなく、あっさりと「アヘン戦争」で負けてしまいます。 負けた清は、多額の賠償金を払い、香港島を割譲しました。香港島はイギリスの植民地になったのです。 その世界最強の軍事力を持つイギリスに、日の小さな地方政権でしかない薩摩藩が、「薩英戦争」で、負けるどころかイギリス軍を追い払ってしまったのです。 薩摩藩はイギリスの艦砲射撃により、鹿児島城下の約一割を焼かれ、軍事施設にも損害を受けました。 しかし、「ちっぽけな薩摩なんか、すぐ降伏してくるだろう」と油断していたイギリスは、予想外の損害を被ります。 薩摩藩の放った砲弾がイギリス軍の旗艦ユーライアラスに命中したのです。艦長・司令や次官司令などの士官が戦死しました。 その後、

    幕末、薩摩藩は、なぜイギリス軍に負けなかったのか(ー_ー? - みずおのアレコレ話
    aoikawano
    aoikawano 2017/09/23
    すご~い!日本が植民地化しなかったのは、武士魂のおかげかと思っていたら、薩摩藩のおかげだったのですね?面白いです(^^)
  • セブンイレブンと織田信長(*´д`)?? - みずおのアレコレ話

    世の中には革新的な経営者は、たくさんいます。ソフトバンクの孫正義氏や三木谷 浩史氏などが有名ですね。 でも、一番、身近に感じるのは、セブンイレブンを創業した鈴木敏文氏です。 なぜならば、私はセブンイレブンで、よく買い物をするからです。マンガの立ち読みもします。 弁当やお茶、ビール、ATM、公共料金の支払いなど、当、よく利用します。 とくに、トイレが我慢できないときにコンビニを見つけると、神様に出会ったような気持ちになります\(^ ^)/ もし、日にコンビニがなかったら、日常生活はもっと不便だったことでしょう。24時間営業で近所にあるコンビニは、ありがたい存在です。 そして、日のコンビニ業界を牽引する、セブンイレブン創業時の話が、とても興味深いです。 仕組みをつくるのに苦労した セブンイレブンは、1974年に東京の江東区豊洲に1号店をオープンさせました。 しかし、同社初のコンビニを出店

    セブンイレブンと織田信長(*´д`)?? - みずおのアレコレ話
    aoikawano
    aoikawano 2017/09/23
    確かに織田信長は才能があるなあと思いますが、考えたら農業の季節に戦になってたら、食物が作れない国が出てきて、大変だったろうなあ・・まさに乱世ですね?
  • 秀吉は信長を「気配り」でコントロールした(^◇^) - みずおのアレコレ話

    家臣にとって、生殺与奪の力を持った権力者ほど恐ろしいものはありません。虎と一緒にいるようなものです。 「狡兎死して走狗烹らる」は、古代中国・越の范蠡(はんれい)が残した言葉です。 兎(うさぎ)がいなくなれば、猟犬も必要がなくなるので、猟犬は釜で煮られてべられてしまう・・・・という意味です。 権力者が、必要がなくなった家臣を殺害したり、追放する、ということですね。粛清(しゅくせい)と言われたりもします。 この言葉に当てはまる権力者のなかで、とくに有名なのが漢王朝を興した劉邦です。 漢の三傑である韓信(かんしん)をはじめ、従兄弟の盧綰(ろわん)、彭越(ほうえつ)、英布(えいふ)など多くの功臣が犠牲になりました。 逆に相国の蕭何(しょう か)は、高い身分を保ったまま、劉邦のもとで粛清されることもなく、生涯を終えます。 過去、日でも、このような粛清は、たくさんありました。 織田信長が天下統一に

    秀吉は信長を「気配り」でコントロールした(^◇^) - みずおのアレコレ話
    aoikawano
    aoikawano 2017/09/22
    粛清という制度というか、考えたらあたり前なんですが、みずおさんに聞いて初めて知ったのでした(^^)信長の配下は大変ですね?
  • 19世紀、中国は西洋に、なぜ負けたのか(*´д`)?? - みずおのアレコレ話

    羅針盤、火薬、紙、印刷は、中国の四大発明と呼ばれています。 古代、この四大発明は東洋だけでなく、西洋にまで伝わりました。 東アジアの中国の周辺国は、中国を師の国として、文化・文明を学びました。もちろん、日も含まれます。 ところが19世紀、中国(清)は、欧米の列強に領土を蚕(さんしょく)されます。 あれほど中華文明を誇った中国が、なぜ、19世紀に西洋に手も足もでない状況に陥ったのでしょうか? 競争原理が活発でなかった中国 17世紀ごろまでは、中国と西洋の間で、工業技術に大きな差はなかったといわれています。 しかし、徐々に中国と西洋の差がひらいてきます。その主な原因は、競争原理の活性化の差でした。 つまり、中国は国内での工業や様々な技術の競争が活発でなかったため、発展が停滞したのです。 一方、西洋は、中国より狭い面積の地域で、いくつもの国がしのぎを削り、競争が活発になりました。 数十カ国(

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    aoikawano
    aoikawano 2017/09/19
    そうか、ヨーロッパがたくさんの国に分かれてるのは、山脈とかがあったからですね?
  • 転職の苦い経験を生かした豊臣秀吉(*´д`)?? - みずおのアレコレ話

    もし、日一の転職成功者を選ぶとしたら、誰でしょうか?とくに基準があるわけではないので、とても難しいです。 でも、戦国時代は、豊臣秀吉が日一の転職成功者、と言っても過言ではないでしょう。 なにしろ農民から天下人になったのですから、まぎれもない日一です。 それでも秀吉は、すんなりと転職を成功させたわけではありません。 何回か奉公先(就職先)を点々としました。 しかし、転職先で味わった苦い体験を生かし、織田信長の家臣として秀吉は、最大限に力を発揮して、やがて天下人になったのです。 織田ではなく、今川を選んだ 秀吉は、尾張・中村の百姓の子として生まれました。 ところが秀吉は、農作業が大嫌いでした。また、義父の竹阿弥と仲が悪く、ある日、突然、家を飛び出してしまったのです。 「俺も、いつか出世してやる!」という野心を抱きながら、武家へ仕えることを考えました。 高い年貢を武士から搾り取られる百姓は

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    aoikawano
    aoikawano 2017/09/18
    自分の行動を完全にコントロール出来たんですね?さすが天下とるはずです!
  • 曹操の活躍は、日本の文化にも影響を与えた!? - みずおのアレコレ話

    三国志といえば、蜀の諸葛孔明と劉備玄徳が主人公のような感じです。 そして悪役が曹操ですね。 しかし、歴史に与えた影響から見たら、曹操は悪役どころか英雄です。 そして、その影響は、中国だけではなく、時代を経て古代の日にも及んだのです。 後漢が衰退していたころ、曹操は、蜀や呉と戦うため、兵力の増強の策を考えます。 その策は、それまでの古代中国のどの王朝も、あまり積極的にやらなかったことですが・・・・? 曹操は、騎馬民族を配下にした なんと曹操は、中国北方の騎馬民族を、積極的に自軍に加えたのです。 秦の始皇帝が建設した万里の長城は、中国北方の騎馬民族の侵入を防ぐためのものです。 中国の王朝は、北方の騎馬民族の略奪に、いつも頭を悩ませてしました。 しかし、後漢が衰退して天下が乱れると、中国北方の袁紹(えん しょう)や董卓(とう たく)が、北方の騎馬民族とともに、勢力を増大させます。 当初、曹操は

    曹操の活躍は、日本の文化にも影響を与えた!? - みずおのアレコレ話
    aoikawano
    aoikawano 2017/09/15
    む、難しい~です!にしても鮮卑族って、なんか良くない呼び名に感じました。
  • 三国志の戦わない戦い方が面白い? - みずおのアレコレ話

    最近、無料動画の「三国志」を見ました。面白かったです。 漫画やドラマ、人形劇で三国志は何度も見ているのですが、飽きないです。 喫茶店や床屋、コンビニでも三国志に関する漫画や書籍が多いので、なんとなく読んでしまいます。 孔明と司馬懿の戦いが好き! 三国志のなかでも諸葛亮孔明(しょかつ こうめい)と司馬懿仲達(しばい ちゅうたつ)の戦いが面白いです。 まるでゲームのような駆け引きを繰り広げ、最終的に仲達が率いる魏軍が勝ちます。 勝ちはしましたが、引き分けに近いような勝ち方です。孔明の死によって蜀軍が退却したからです。弓や槍を交えての勝利ではありません。 でも、勝ちは勝ちです。この勝利によって、魏は2度と蜀に脅かされることはなくなりました。 その後、魏から皇位を簒奪した晋によって、中国は統一されます。 戦わない戦いをした仲達 仲達は、孔明からも恐れられるほど、すぐれた将です。しかし、実力は孔明の

    三国志の戦わない戦い方が面白い? - みずおのアレコレ話
    aoikawano
    aoikawano 2017/09/14
    いつか読もうと思っていた三国志。読みたい本が多くていつ手が出せるんでしょう?