――改めて藤井将棋をどう見ていますか。 「本当に強いですよ。…膨大な時間を研究に費やしているんだろうなというのは、棋譜を見れば伝わってきます」(羽生善治)
![羽生善治は藤井聡太20歳の将棋をどう見ている? 「棋譜を見れば伝わってきます」「32歳差ですか。だいぶ離れてはいますけど…」(高川武将)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/1d2d1345b8e5f71f44fbcb99cd8ab5be69ea4aae/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnumber.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F8%2F2%2F-%2Fimg_82f65b2557c6f731b219a054b516ce76219371.jpg)
将棋界に真剣師と呼ばれるものたちがいた。賭け将棋で小遣いや生活費を稼いだアマチュアのことで、一部はセミプロのレベルまで達していたという。筆者が将棋を始めたのは2001年だが、実際には見たことがない。どうやら昭和50年代までは全国各地にいたものの、時代が進むにつれて風当たりが強くなり、数は減っていったようだ。筆者はその世界を文献を辿るよりほかに知る方法がない。 「最後の真剣師」と呼ばれた大田学(1914~2007年)は、1978年に第1回朝日アマ名人戦に出場して63歳ながら見事に優勝した。終戦後に30歳を過ぎてから、アマ初段だった将棋に本格的に取り組んだという。小中学生で奨励会に入るのが当たり前の現代を思うと、かなりの晩学だ。同氏は1996年に放映開始されたNHK朝ドラ「ふたりっ子」のヒロイン・香子に将棋を教える、「銀じい」のモデルになったことでも知られた。真剣師を廃業してから92歳でこの世
あの平野歩夢2本目採点…日本人審判はどう見た? 北京五輪のスノーボード男子ハーフパイプで平野歩夢が悲願の金メダルを獲得してから約2カ月半が過ぎた。五輪史上初となるトリプルコークを成功させて頂点に立った平野の勇姿は、今もなお記憶に鮮明だ。けれども一方で、平野の2本目の点数がスコッティ・ジェームズ(オーストラリア)より低かったのはおかしいのではないか、という疑念も人々の心にモヤモヤとしたまま残っている。 なぜ、あの採点になったのか。ジャッジルームで何が起きていたのか。北京五輪でジャッジを務めたFIS(国際スキー連盟)公認審判の橋本涼氏が自身の見解を明かした。 「平野選手の2本目の採点については、実際に僕が選手だったとしたら納得できないと思います。ただ、スコッティ選手の方に高い点を出した審判の判断も理解できます」
昨年放送された『水曜日のダウンタウン』おぼん・こぼんTHE FINAL。ベテラン漫才コンビが解散宣言から、仲直りするまでのストーリーで“神回”とされる。 そして今回、1965年結成・57年目のおぼん・こぼん、1975年結成・47年目のオール阪神・巨人。東西を代表する漫才コンビの“超ビッグ座談会”が実現。『水ダウ』を見たという阪神・巨人のお2人から、「じつは私たちにも解散危機があった」という告白から話は進んでいく(全3回の1回目/#2、#3へ)。 こぼん「殴り合いですよ」 ――漫才コンビにおける相方って、いつ聞いても、たとえようがないんだな、と思います。友だち同士ではないし、夫婦関係に似ているようで、それも少し違う。かといって、ビジネスパートナーというほどドライでもないと思うんです。 おぼん 漫才コンビって、基本、仲悪いと思うねん。あれだけいつも一緒におったら。夫婦よりも、兄弟よりも、誰より
Number最新号「新しい金メダリストのつくり方」では、堀米雄斗を筆頭に東京五輪で金メダルを獲得したスケートボーダーたちを大特集。パークとストリートの種目で初代女王に輝いた四十住さくらと西矢椛をインタビューし、彼女たちにゆかりあるスケートパークを取材したフォトグラファーの近藤篤氏が実感した、国内のリアルなスケボー事情とは? かくいう僕もその一人だった。 別にスケボーを子供の遊びだと思ってはいなかったし、他のスポーツと比べて下に見ていたわけでもない。公園や歩道で夜遅くまで滑り倒すスケーターたちに敵愾心を抱いたこともない(若者に偉そうに言えるほどちゃんとルールを守って生きてきたわけじゃないから)。 でも、スケボーとオリンピックという組み合わせはなんだかしっくりこなかった。 陸上だってある、体操だってある、サッカーだって、アーチェリーだって重量挙げだってある、なのになんで今更スケボーが必要なんだ
東京2020オリンピック卓球女子団体で銀メダルを獲得した石川佳純が、9月11日放送の『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送 深夜1時~3時)にゲスト出演した。オードリーの若林正恭が、以前から石川の大ファンだと番組で公言していたことがきっかけで実現したものだ。 事の発端は1年前に遡る。2020年8月29日放送の同番組にて、若林が『プロフェッショナル仕事の流儀「石川佳純スペシャル」』(NHK)の素晴らしさを語ったことに始まる。 『Number』の愛読者だという若林。メンタルを特集した号にて、さまざまなアスリートがポジティブ思考の大切さを語っているのを読み、ひとりひとりが生まれ持った才能と強いメンタルを持っていることを実感した。 一方、石川のさまざまなインタビューや『プロフェッショナル』などで、自分の気持ちが負けている事や少し迷っていた事など、弱い部分を見せていることを知り、彼女のさ
本来ライバル同士であるはずの出場スケーターたちがお互いの健闘を称え合う姿に感動したという声が相次いだ女子パーク。そんなシスターフッドあふれる話題の種目でイギリスの最年少オリンピアンとして銅メダルに輝いたのが、13歳のスカイ・ブラウンだ。 多才すぎる13歳「ダンス大会で優勝」「サーフィンも」 イギリス人の父親と日本人の母親のもとに宮崎県で誕生したスカイは、物心がついた3歳頃にスケートボードを始め、現在はアメリカ・カリフォルニアを拠点に活動している。 弟のオーシャンとスケートボードやサーフィン三昧の毎日を送り、ふたりの日常を切り取ったYouTubeチャンネル「Sky & Ocean」の登録者数は29万人超え(8月6日現在)。2018年には米テレビ番組のダンスコンテストで優勝したこともあるという多才ぶりだ。そして時代の寵児としてメディアに引っ張りだこの彼女はローティーンであるにもかかわらず、大人
「ディエン」は表ソフトラバーでのスマッシュで、30パーセントほどの力で打つ。 「ファリー」は70パーセントで、コースをコントロールしたスマッシュ。 「コウシャ」は100パーセントで、一撃で仕留める。 では、120パーセント、マックスで力を発揮する単語はなにかと聞けば、こんな漢字を書くという。 発死力。 相手を死に追いやるスマッシュ。 ちなみにバックハンドスマッシュは「抜刀」。腰に位置する剣を抜く鮮やかなイメージが浮かぶ。 中国の卓球は、剣を持ったスポーツなのだ。 「32個の金メダルのうち28個が中国」 東京オリンピック混合ダブルス決勝、水谷隼・伊藤美誠組の相手である許昕・劉詩雯組のふたりは、剣術家のイメージにぴったりの選手だ。 サウスポーの許昕は、大きな青龍刀さえ操りそうなダイナミックなプレーを展開する。一方で劉詩雯は表情をほとんど変えず、安定性が持ち味。どんな攻撃を仕掛けられても、巧みに
「ディエン」は表ソフトラバーでのスマッシュで、30パーセントほどの力で打つ。 「ファリー」は70パーセントで、コースをコントロールしたスマッシュ。 「コウシャ」は100パーセントで、一撃で仕留める。 では、120パーセント、マックスで力を発揮する単語はなにかと聞けば、こんな漢字を書くという。 発死力。 相手を死に追いやるスマッシュ。 ちなみにバックハンドスマッシュは「抜刀」。腰に位置する剣を抜く鮮やかなイメージが浮かぶ。 中国の卓球は、剣を持ったスポーツなのだ。 「32個の金メダルのうち28個が中国」 東京オリンピック混合ダブルス決勝、水谷隼・伊藤美誠組の相手である許昕・劉詩雯組のふたりは、剣術家のイメージにぴったりの選手だ。 サウスポーの許昕は、大きな青龍刀さえ操りそうなダイナミックなプレーを展開する。一方で劉詩雯は表情をほとんど変えず、安定性が持ち味。どんな攻撃を仕掛けられても、巧みに
「ロジャー・フェデラーは、〇時△分にメインインタビュールームで会見を行います」 「ノバク・ジョコビッチが第一会見室に向かっています」 テニスの大会のプレスルームには、そのようなアナウンスがひっきりなしに流れてくる。人気選手の会見ともなれば、早めに行かないと席が埋まってしまう。負ければその足でコートから会見室に直行する選手もいるので、記者席からインタビュールームまで、我先にと競うように走ることもある。 コロナ禍により会見もリモートが主流になった現在だが、かつてはそれが、プレスルームで見慣れた光景だった。 テニスの記者会見はどう行われているか? 大坂なおみが、全仏オープンで「記者会見は行わない」と宣言したことにより、グランドスラム・ルールブックに明記されている「メディアから要望がある場合、選手は試合直後、もしくは30分以内に会見を行なわなくてはいけない」の文言は、多くの人が知るところとなった。
「写真の投稿とかで、私がひとつ難しいなと感じたのは、選手の鍛え抜かれた肉体の美しさは陸上を知らない人に知ってもらうためのキッカケにもなるということです。これは陸上に限らず、水泳やボクサーなどにもそういう側面があると思いますが、そこに悪意があるのか、ないのかはすごく判断が難しいなと。私も雑誌で取り上げていただいたことがあるのですが、ありがたい・嬉しいと思う人もいれば、撮られ方などによっては嫌な思いをする選手もいると思うので……」 さらに卜部は、被害を恐れて自主的に過剰な規制を設けることで、SNSなどのソーシャルメディアで選手の発信が自由にできなくなることに危惧を抱いている。 「嫌な思いをしないために、選手のSNSを良しとしない実業団もありますが、それは可能性を狭めてしまうのではないかなと思うんです。選手は競技だけしていればいいという見方もありますが、『どんな思いで、どんな取り組みをしているの
そのひとつが、産後のアスリートの復帰だ。 「これは日本だけに限らず、世界的に見てもそうなんですが、出産を経て、競技を続ける人の数が非常に少ないんです」 そう言われてみると確かに女性アスリートの場合、妊娠して、出産し、子育てに入ると、もう競技者としては“上がり”のような風潮がある。 「ほんと、そうなんです。日本で女性の社会進出が改めて問われている中で、アスリートが育児を挟んで復活するために、もっとサポートできる環境が生まれて、理解が広がっていけば、陸上に限らず、産後も競技を続けたい人、戻りたい人がけっこう出てくると思うんです」 「いろんな人の思いがあって生まれた1枚だと思うんです」 そう願うなかで、卜部には最近、忘れられない印象的なシーンがあったという。 「寺田(明日香)さんが織田記念で日本記録(100mハードル)を出した時、娘さんとタイム表示板の前で写真を撮られていたのがすごく素敵だなって
東京五輪開幕まで4月14日でちょうど100日となった。本来ならば開催国では機運が最高潮に高まり、自国選手たちの調整ぶりやメダル獲得予想に大きな注目が集まる時期だろう。しかし、「ウィズコロナ」で初めて行われる今回は状況が全く異なる。人々の関心は、「五輪をやれるのか、やれないのか」にある。 世論調査では大半が今夏開催を疑問視 毎日新聞などが3月に行った世論調査では、東京五輪を「予定通り開催すべき」と答えた人はたった9%だった。朝日新聞が4月10、11日、東京五輪・パラリンピック開催について3択で尋ねた世論調査の結果は、「今年の夏に開催する」が28%、「再び延期する」は34%、「中止する」は35%。日本では今なお、大半が今夏の開催を疑問視している。
(※この記事では本文中に一部、猟師が仕留めた動物の写真などが掲載されています。血が見えているものもあります。ご注意ください) 本を出していちばんの衝撃は“こんなに隠されるのか”ということだった。 生き物を殺して食べている。そんな当たり前の事実が、伝えられないとは。 猟師と山に入り、殺した獣を家で料理する。あるいは、山の獣の肉をもらって食べる。そんな暮らしを約10年してきた。大きな脚を台所で解体しながら、肉の匂いを嗅ぎながら、どんな料理にしようかと考え、家族が集まる食卓に出す。こうした日々を綴った単行本『山と獣と肉と皮』(亜紀書房)を出したのは昨年秋。山と台所を行き来する中で、当たり前に思えていたことが少しずつ違って感じられるようになり、“いま”を取っておきたくなった。消えゆく風景を写真に撮るみたいに、本を書いた。 <人間の住む世界で“悪いこと”とされていることが、山では当たり前の風景として
女性アスリートの撮影被害や画像拡散などの問題に焦点があてられるようになった。 陸上競技も、問題視される競技のひとつだ。 主に短距離やハードル、走幅跳や走高跳などの女性アスリートが着用している、上下が分離したタイプのユニフォーム、いわゆる「セパレート型」のユニフォーム姿が撮影の標的とされてきた。 全国大会で活躍するレベルにある選手は、今ではたいがいセパレート型を着用している。学生でも多くの選手がこのタイプのユニフォームを選ぶ。スタンダードと言っていいだろう。 肌が出ている割合が多いがゆえに、撮影の被害を受けてきた。でもセパレート型を着用するのには、競技上の根拠がある。 もともとはセパレートのユニフォームはなかった セパレート型のユニフォームはもともとあったものではない。昔はランニングシャツにランニングパンツが主流であった。 最初にセパレートタイプを着用した選手が具体的に誰かははっきりしないが
今回は、ロッテのお話である。 と、いきなり話が脇にそれるが、筆者は阪神ファンだからロッテ打線はとてつもなく強力だと思っている。言わずもがな2005年の日本シリーズ、33-4とかいうアレで、阪神はロッテに4連敗してしまった。そのインパクトが強すぎて、15年経った今でもロッテ打線など抑えられるはずがないと恐怖におののいている。そういうわけで、ロッテの話をするのはなかなかツラいものがある。せめてもの救いは、今回のテーマがロッテはロッテでもその前身「東京オリオンズ」と呼ばれていた時代の物語であること。安心して話を先にすすめることにしよう。 (味スタじゃない方の)東京スタジアムとは? 今の千葉ロッテマリーンズが東京オリオンズと名乗っていたのは1964年から1968年の5年間。ホーム球場は東京スタジアムだった。東京スタジアムというと、京王線の飛田給駅の近くにあるアレか、と思う人もいるかも知れない(「味
1981年4月23日、蔵前国技館。タイガーマスクvs.ダイナマイト・キッド戦。この日、日本プロレス界に革命が起こった。 タイガーマスクが新日本プロレスのリングでデビューしたのは、1981年4月23日、蔵前国技館だった。あれから39年経った。 あの日、タイガーマスクは実は周囲からそんなに期待されていなかった――と言ったら、多くの人は不思議に思うかもしれない。しかし、事実、タイガーマスクは期待されていなかったし、ファンにも受け入れられないんじゃないかという不安視する見方が大半だったのだった。 新日本プロレスも「IWGP(インターナショナル・レスリング・グランプリ)」という大きなプロジェクトに向けて邁進している時代で、劇画やテレビのアニメ番組の主人公がプロレスのリングで実際に戦うというプランは、そんなに重要な位置づけではなかったのだ。 今では、タイガーマスクが佐山聡(サトル)だったことは、ファン
マクラーレン・ホンダ最後のレースとなったアブダビGPにて、ホンダのチーフエンジニア中村聡は最後まで仕事を貫いた。 ホンダがマクラーレンと組んで戦う最後のレースとなった2017年アブダビGP。チェッカーフラッグが振られた瞬間、思わず涙を流した男がいた。ホンダのチーフエンジニアを務める中村聡だ。 込み上げてきたのには、理由があった。アブダビは'15年にホンダがF1に復帰するにあたって、マクラーレンと組んで初めてテストを行なった場所だった。 エンジンを始動することさえままならない、最悪のスタートとなった'14年のアブダビ・テスト。そんなホンダに、マクラーレンは温かい手を差し伸べ続けた。開幕までホンダの負担を軽くしようと、エアボックスやバッテリーパックなどの製作をサポートしたのである。 「もし、彼らのサポートがなかったら、われわれはレースできていなかったかもしれません」(中村) 2年目までは「間違
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