エルトゥールル号遭難者救助一世紀にわたり語り継がれたトルコの思い 当時、トルコと日本の頭上には、帝政ロシアの南下政策があり、ともに脅かされていた。1887(明治20)年、後に陸軍元帥となる小松宮彰仁親王夫妻は、トルコ(オスマン・トルコ帝国)を訪問し、国王のアブドゥル・ハミト二世に会見した。その返礼として、国王はオスマン・パシャ海軍少将を全権特使とする609人の使節団を、新生日本に派遣した。 木造フリゲート艦エルトゥールル号(1864年建造、全長76m)は、1889(明治22)年7月、イスタンブールを出港。航海の途上に立ち寄ったイスラム諸国で熱烈な歓迎を受け、11ヶ月をかけて翌1890年6月7日横浜港に到着し熱狂的な歓迎を受けた。横浜港に入港したエルトゥールル号の司令官オスマン・パシャを特使とする一行は、6月13日に皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として日本帝