以前に一連の原発問題の議論の中で、われわれの社会において「科学の民主化」と「民主の科学化」がいずれも大きく遅れている問題が指摘されたことがあった。 「民主の科学化」については一般の市民が科学的な思考をする習慣が身についていないことを、「科学の民主化」では科学者が科学的に正しいことだけに目が行くことで、民主主義にとって何が正しいかの視点が欠けていることが問題になっていることを学んだ。 そしてそれが、日本が原発問題で一つの方向性を打ち出すことを難しくしているのではないか、という論点だった。 どうもその問題が司法の世界にも持ち込まれているようだ。そして、それは人を裁きその自由を奪ったり、場合によっては死刑という形で合法的に人の命を奪うこともあり得る司法の場では、取り返しが付かないほど重大な事態に発展しかねない危険性を孕んでいる。 夏祭りの炊き出しのカレーに猛毒のヒ素が混入し、4人の死者と
![和歌山カレー事件に見る、科学鑑定への誤解が冤罪を生む構図 (ビデオニュース・ドットコム) - Yahoo!ニュース](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/bf373dca43f82745c14f7f8155976a9b0c9b3e3f/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fi.yimg.jp%2Fimages%2Fnews%2Fcobranding%2Fvideonewsv.png)