ブックマーク / wallerstein.hatenadiary.org (4)

  • 「無用なていねいさ」 - 我が九条

    飛騨屋久兵衛に関する議論についてタカマサ氏より批評されたhttp://tactac.blog.drecom.jp/archive/1498。タカマサ氏の高い見識は私としても学ぶところは多く、以前より折りに触れて拝読してきた。今回のエントリも非常に学ぶべきところの多い議論であり、私の年齢に関する錯誤を別にすれば、非常に有用な議論であった。ちなみに私は40になったばかりである。 ただ私としては少しひっかかることがある。それは「無用なていねいさ」「ていねいな目配りは不要」という氏の拙論に対する論評である。氏は岐阜県における北方領土の返還運動に関して「のちの北海道開拓の経緯や北方領土問題の「地ならし」系「歴史的経緯」に動員=悪用される」と拙論における飛騨屋再検討を批判される。私も悪用される可能性は感じている。しかしそれを「無用」として無視することが、「地ならし」系「歴史的経緯」に悪用されることを防

    「無用なていねいさ」 - 我が九条
    arkanal2
    arkanal2 2012/11/17
    「無用なていねいさ」として切り捨てることの方が、悪質なプロパガンダに力を与えることになるのではないかと考える。 一人一人の人間は与えられた運命を懸命に生きてきた。しかしそれが収奪にも破壊にもつながるの
  • 「制度」としての「天皇制」と「身体」としての「天皇」 - 塾講師のつぶやき

    反天皇制運動の困難さは「制度」としての天皇制への動員が「身体」を通じて機能する点にある。「制度」に対する批判が「身体」としての天皇批判にすり替わる時、反天皇制運動は「非人間的」として非難される。しかし昭和という時代は「戦犯」という視点で昭和天皇を批判することで、「制度」としての天皇制批判に直結しえたのだ。「戦犯ヒロヒト」なる言い方がある程度(かなり限定的だっただろうが、少なくとも天皇制批判をその中核に据えていた歴史学においては比較的よく聞かれた言説)有効性を持ったのには、昭和天皇という「身体」を批判することが可能だったからだ。昭和から平成に変わった時、「反天皇制」を掲げる時に、もはや「身体」への批判は「制度」批判としての有効性を持ちえない、ということを意識すべきであった。私がある学会の委員をしていた時、今上天皇が戦争責任について論及した時、学会の委員の多数派が今上天皇批判を展開した。私はそ

    「制度」としての「天皇制」と「身体」としての「天皇」 - 塾講師のつぶやき
    arkanal2
    arkanal2 2012/11/17
    自分の政治思想に合致するように紡ぎ出された「伝統」という物語を正当化する「制度」としての天皇制が彼らの欲しい物なのである。だから自分の意思と反する天皇の発言は全力を挙げて抹殺しようとする。その動きは匿
  • この十年ほどの歴史知識 - 我が九条

    私は1995年に大学院博士課程を単位取得退学してから、塾の仕事をはじめた。最初は高校受験の社会。翌年からは中学受験の社会の塾に変わり、さらに1997年からは大学で非常勤講師として日史を教え始めた。高校受験の社会は2年半でそこの塾が閉鎖されたのでそれ以降はやっていないし、中学受験の方は3年目からは国語中心に転じたので社会からは基的に外れ、社会に関してはサポートに回っている。この十数年ほどはそれでも小学生と大学生の歴史意識に関わる仕事をやっているわけだが、痛感するのはこの十年ほどで歴史に関する知識が大幅に減少していることである。大学で日の通史を教えているわけだが、北条時宗を知らない学生が過半数。一応有力大学とみなされる大学で、新たに静岡県知事に就任した研究者も褒めちぎる大学である。そこの学生でも北条時宗の認知度は半数以下。小学校で学ばないのか、学んでも速攻忘れるのか。あげくに「高度すぎる

    この十年ほどの歴史知識 - 我が九条
    arkanal2
    arkanal2 2012/08/09
    この十年間「自虐的な内容が改善され」た反動として、歴史が、「美しい虹を見せる」ことに特化された結果、「いい話」という「道徳的」なものになっているのではないか、と邪推している。小学生でもそこそこの知性の
  • 左が左を嫌いになる時 - 我が九条

    私はかつて次のように書いた(「扇動されやすい人2 - 我が九条」)。抜粋しておく。 情報弱者で論理的な思考力が欠落しているが、その自覚のない人が大学に入って、「政治的な理由で教科書には書かれていないが、これが真の歴史である」とか、「馬鹿には理解できないが、これが真の歴史である」とか、「みんなマスコミに洗脳されているが、これが真の歴史である」とか、仄めかされると、当時は立派なサヨクが誕生したのだ。 扇動されやすい人がサヨクに走った理由は、当時言論界では「左翼」が幅を利かせていたからであり、大学に入って世話になるオリターに左翼が多かったからである。その頃はマルクス主義を標榜しないと「右翼」または「ブル」呼ばわり。いろいろなレッテルがあった。私は丸山真男に凝っていたのだが「近代主義者」、佐藤進一に凝ると「実証主義者」。これらはいずれも当時は「ウヨ」という意味である。ちなみに日共が日共とは異なる左

    左が左を嫌いになる時 - 我が九条
    arkanal2
    arkanal2 2012/08/09
    自分の思想的な偏りを自覚することが何よりも大事だ、と私は考えている。それに無自覚な言説は無意味であるだけでなく、有害ですらある。
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