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平成三陸大津波に関するasahinoataruのブックマーク (3)

  • asahi.com:検証・三陸大津波 2)地形-マイタウン岩手

    asahinoataru
    asahinoataru 2011/05/19
    (2) 「津波から30年もたつと、怖さを知らない世代が出てきて危険でも便利な場所で生活を始める。法的な規制がない限り、同じことが繰り返される恐れがある。今後は、その過ちを繰り返してはならない」
  • asahi.com:検証・三陸大津波 1)宿命-マイタウン岩手

    船越湾を見下ろす大槌町吉里吉里地区の高台に吉祥寺がある。その寺に向かう坂の途中、ケヤキと杉の2の巨木に抱かれるように、「明治三陸津波」の慰霊碑が立っている。 「海嘯(かいしょう)溺死(できし)精霊塔」。当時、津波は、海の水が口をつぼめて声を出すという意味の海嘯と呼ばれていた。送り盆の8月16日、近所の人たちはこの慰霊碑の前に集い、野の花を手向け合掌する。吉里吉里4丁目の上野康子さん(62)は話す。「死者を弔い、津波災害を風化させまいと続けています」 三陸沿岸は「津波常襲地帯」と呼ばれ、「津波は宿命」とされてきた。 近代以降でも、1896(明治29)年の明治三陸津波、1933(昭和8)年の昭和三陸津波、1960(昭和35)年のチリ地震津波に襲われた。地震に詳しい岩手大学名誉教授(地域防災学)の斎藤徳美さん(66)は「三陸には元号が代わるたびに津波が襲来する」と指摘していた。そして今回

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    asahinoataru 2011/05/19
    (1)本格的な警報システムが整い、避難訓練を重ねてきたのに、なぜ惨事を防ぐことが出来なかったのか。壊滅的な打撃を受けた大槌町を舞台に検証する。
  • asahi.com:検証・平成三陸大津波 3)対策-マイタウン岩手

    大槌町内には町が指定した津波襲来時の「緊急避難場所」が30カ所ある。それぞれが海面からの高さ6〜50メートルの地点に位置する。8メートルの赤浜小学校体育館も、そのうちの一カ所だった。 津波はこの避難所にも襲いかかった。 入り口から流れ込んだ波は館内で渦を巻いた。住民は波にもまれながら、手に手を取って正面ステージに上って難を逃れた。館内を覆った波の高さは約1メートル。舞台の高さぎりぎりまで押し寄せた。津波から身を守るはずだった場所でお年寄りが1人犠牲になった。 地元の自主防災組織の事務局長を務める神田義信さん(65)は、津波対策を主導してきた国や県に不信をぶつける。「津波が来る場所に避難所があること自体が問題だ。規模が想定外だったと逃げてはおかしい」 大槌湾をはさんで赤浜地区の対岸にある小枕地区。64世帯、約200人のうち、1割を超える住民が津波にのまれて亡くなった。 町指定の避難

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    asahinoataru 2011/05/19
    (3)津波対策の先進地域でもこれだけ被害が出た。あまりにもむなしい。
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