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ブックマーク / mytown.asahi.com (5)

  • asahi.com : 「旧敵・薩長」が会津にエール 「風評被害に負けるな」 - マイタウン福島

    戊辰戦争以来のわだかまりを乗り越え、困ったときはお互い様――。鹿児島、山口両県の観光業者らが6日、震災後の観光客減に苦しむ福島県会津若松市を訪れ、「風評被害に負けないで」とエールを送った。 会津藩の拠点だった鶴ケ城丸に観光業者など約50人が集まり、会津若松観光物産協会の職員らが出迎えた。山口市の旅館経営、宮川力さん(69)は「福島は安心で、楽しく旅行できると山口でPRしたい」とあいさつした。 約140年前の戊辰戦争で、旧幕府軍だった会津藩は薩摩・長州の官軍に敗れた。以来、ギクシャクした関係が続いてきたが、近年は会津地方と鹿児島県の間で教職員の交流人事が定着。長州藩が拠点を置いた山口県萩市は4月、震災義援金2200万円や保存を会津若松市に届けるなど雪解けムードも広がる。 東京電力福島第一原発の事故後、会津の観光客数は大きく落ち込んだ。4〜7月に修学旅行や遠足で会津若松市内を訪れる県外の小

    asahinoataru
    asahinoataru 2011/06/08
    薩長と会津のギクシャクした関係がまだ続いている。
  • asahi.com:検証・三陸大津波 2)地形-マイタウン岩手

    大槌町の小鎚川沿いに広がる桜木町はかつて「祝田(いわいだ)」と呼ばれ、果樹園や原野だった。1955(昭和30)年代に町が宅地を造成、釜石市の新日製鉄釜石製鉄所が社員を対象に分譲し、釜石のベッドタウンの性格を持った団地が誕生した。 団地は小鎚川の河口から約1・5キロ。大槌湾を襲った津波は小鎚川を逆流し、この団地に押し寄せた。 72年に釜石市から移り住んできた菊池宏さん(80)は大きな揺れの後、小鎚川につながる側溝の水が、もりもりと盛り上がってくるのに気がついた。外に出て古廟(こびょう)橋からながめると沖合に波頭が立っていた。 かつて釜石市内のみそしょうゆ製造会社のセールスマンとして三陸沿岸を回った時に、お年寄りから明治三陸津波(1896年)や、昭和三陸津波(1933年)の恐ろしさを聞いていた。「津波だ」。そう直感した菊池さんはのスエさん(78)と裏山に避難した。「団地で一番先に逃げ

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    asahinoataru 2011/05/19
    (2) 「津波から30年もたつと、怖さを知らない世代が出てきて危険でも便利な場所で生活を始める。法的な規制がない限り、同じことが繰り返される恐れがある。今後は、その過ちを繰り返してはならない」
  • asahi.com:検証・三陸大津波 1)宿命-マイタウン岩手

    船越湾を見下ろす大槌町吉里吉里地区の高台に吉祥寺がある。その寺に向かう坂の途中、ケヤキと杉の2の巨木に抱かれるように、「明治三陸津波」の慰霊碑が立っている。 「海嘯(かいしょう)溺死(できし)精霊塔」。当時、津波は、海の水が口をつぼめて声を出すという意味の海嘯と呼ばれていた。送り盆の8月16日、近所の人たちはこの慰霊碑の前に集い、野の花を手向け合掌する。吉里吉里4丁目の上野康子さん(62)は話す。「死者を弔い、津波災害を風化させまいと続けています」 三陸沿岸は「津波常襲地帯」と呼ばれ、「津波は宿命」とされてきた。 近代以降でも、1896(明治29)年の明治三陸津波、1933(昭和8)年の昭和三陸津波、1960(昭和35)年のチリ地震津波に襲われた。地震に詳しい岩手大学名誉教授(地域防災学)の斎藤徳美さん(66)は「三陸には元号が代わるたびに津波が襲来する」と指摘していた。そして今回

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    asahinoataru 2011/05/19
    (1)本格的な警報システムが整い、避難訓練を重ねてきたのに、なぜ惨事を防ぐことが出来なかったのか。壊滅的な打撃を受けた大槌町を舞台に検証する。
  • asahi.com:検証・平成三陸大津波 3)対策-マイタウン岩手

    大槌町内には町が指定した津波襲来時の「緊急避難場所」が30カ所ある。それぞれが海面からの高さ6〜50メートルの地点に位置する。8メートルの赤浜小学校体育館も、そのうちの一カ所だった。 津波はこの避難所にも襲いかかった。 入り口から流れ込んだ波は館内で渦を巻いた。住民は波にもまれながら、手に手を取って正面ステージに上って難を逃れた。館内を覆った波の高さは約1メートル。舞台の高さぎりぎりまで押し寄せた。津波から身を守るはずだった場所でお年寄りが1人犠牲になった。 地元の自主防災組織の事務局長を務める神田義信さん(65)は、津波対策を主導してきた国や県に不信をぶつける。「津波が来る場所に避難所があること自体が問題だ。規模が想定外だったと逃げてはおかしい」 大槌湾をはさんで赤浜地区の対岸にある小枕地区。64世帯、約200人のうち、1割を超える住民が津波にのまれて亡くなった。 町指定の避難

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    asahinoataru 2011/05/19
    (3)津波対策の先進地域でもこれだけ被害が出た。あまりにもむなしい。
  • http://mytown.asahi.com/tottori/news.php?k_id=32000000803100003

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