エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
asahi.com:検証・三陸大津波 2)地形-マイタウン岩手
大槌町の小鎚川沿いに広がる桜木町はかつて「祝田(いわいだ)」と呼ばれ、果樹園や原野だった。195... 大槌町の小鎚川沿いに広がる桜木町はかつて「祝田(いわいだ)」と呼ばれ、果樹園や原野だった。1955(昭和30)年代に町が宅地を造成、釜石市の新日本製鉄釜石製鉄所が社員を対象に分譲し、釜石のベッドタウンの性格を持った団地が誕生した。 団地は小鎚川の河口から約1・5キロ。大槌湾を襲った津波は小鎚川を逆流し、この団地に押し寄せた。 72年に釜石市から移り住んできた菊池宏さん(80)は大きな揺れの後、小鎚川につながる側溝の水が、もりもりと盛り上がってくるのに気がついた。外に出て古廟(こびょう)橋からながめると沖合に波頭が立っていた。 かつて釜石市内のみそしょうゆ製造会社のセールスマンとして三陸沿岸を回った時に、お年寄りから明治三陸津波(1896年)や、昭和三陸津波(1933年)の恐ろしさを聞いていた。「津波だ」。そう直感した菊池さんは妻のスエさん(78)と裏山に避難した。「団地で一番先に逃げ
2011/05/19 リンク