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ブックマーク / number.bunshun.jp (13)

  • 金田正一vs.長嶋・王のドラマ性。初対決は三振の山、でもその後は。(広尾晃)

    国鉄から巨人へと加入した金田正一(中央)。ONという偉大な打者と対戦して、そのすごさを実感したからこそ移籍を決断した。 後年の野球ファンから見れば、金田正一は長嶋茂雄、王貞治などとともに「昭和の大選手」というカテゴリーにひとくくりにされることになる。 しかし、金田正一は当時、ONとは別格の存在だった。それだけに、猛烈な敵愾心を燃やして2人と対戦したのだ。 金田がプロ入り前から高い注目度を誇っていたエピソードがある。1950年の春、金田はまだ享栄商の野球部にいた。すでにその豪腕ぶりは鳴り響き、南海、中日などのスカウトが触手を伸ばしていた。 この年に創設された国鉄スワローズの監督、西垣徳雄は、その目で金田の投球を見て驚き、当時の国鉄総裁・加賀山之雄に直談判をして20万円という支度金(契約金の一部)を用意して金田の父を説得したという。 その年の1月に1000円札が初めて発行されたが、当時はまだ普

    金田正一vs.長嶋・王のドラマ性。初対決は三振の山、でもその後は。(広尾晃)
  • イニング平均球数わずか「12.39」。奥川恭伸の賢さは甲子園史に残る。(広尾晃)

    150km超のストレート、鋭いスライダー……それ以上に奥川恭伸が凄かったのは、少ない球数で打者を牛耳る投球術だ。 101回目の夏の甲子園が終わった。今季はいろいろと変化の見られた大会だった。投手成績を中心に振り返ろう。 (1)大量得点試合の増加 過去5年間、15点以上の得点があった試合は以下の通り。 <2015年> 1回戦 鹿児島実18-4北海 2回戦 花咲徳栄15-3三沢商 <2016年> 1回戦 東邦19-9北陸 <2017年> 1回戦 仙台育英15-3滝川西 <2018年> 1回戦 日大三16-3折尾愛真 <2019年> 1回戦 仙台育英20-1飯山 2回戦 敦賀気比19-3国学院久我山 3回戦 作新学院18-0岡山学芸館 準々決勝 星稜17-1仙台育英 今季は大量得点の試合が非常に多かった。通常、大差のつく試合は1回戦で見られることが多いが、今年は準々決勝でも星稜が仙台育英に16点

    イニング平均球数わずか「12.39」。奥川恭伸の賢さは甲子園史に残る。(広尾晃)
  • 衣笠祥雄&山本浩二はONにも匹敵。18年で4657安打のスーパーコンビ。(広尾晃)

    2131試合連続出場を果たした衣笠祥雄さん。花束を渡したのは阿南準郎監督と、若かりし日の落合博満さんだった。 衣笠祥雄さんは4月19日、BSでDeNA-巨人戦の解説をした。しかしその声はいつにもまして甲高く、かすれて木枯らしのようだった。風邪でも引いたのか、体調が悪いのか気をもんだが、旬日を経ることなく訃報が届いた。 死の直前まで、解説の仕事を続けた。衣笠さんは引退してからも「鉄人」であり続けたのだ。 衣笠祥雄は、一匹狼ではなかった。終生のライバルを持ち、弱いチームを自らの力で強豪へと押し上げた野球人だ。何よりもそれが偉大だった。 NPB史上で、15年以上一緒にプレーをして、そろって1000安打、200塁打をクリアしたコンビを列挙する。 <広島 衣笠祥雄、山浩二 18年(1969-86年)> 衣笠祥雄 2332試合 8513打数 2318安打 463 1333点 打率.272 山

    衣笠祥雄&山本浩二はONにも匹敵。18年で4657安打のスーパーコンビ。(広尾晃)
  • 甲子園での勝利数を番付にすると。PLの休部で西の勢力図に一大変化が。(広尾晃)

    夏の甲子園、49代表がそろった。連日猛暑日が続く。高校球児、審判、観客、報道各位には十分に水分をとっていただき、ご自愛されたし。 今年は1915年に夏の甲子園が始まって102年目、甲子園で大会をするようになってちょうど100年、途中米騒動や戦争で開催されない年もあったので「99回大会」。 およそ1世紀の歴史の中には古豪、強豪、名門、新興、多くの学校が出場し、あまたのスター選手を輩出した。 私はここ数年、春夏の甲子園の勝利数をもとに「高校野球番付」を作っている。 近畿地方以西を「西方」、中部地方以東を「東方」として、勝利数の順番(同数の場合は優勝回数)で、番付にしていた。 1年ごとに更新して現在に至っているが、今年はちょっと大きな出来事があった。大阪府のPL学園が、高野連に脱退届を出したのだ。 これまでも、甲子園出場校で出場資格を失ったケースはいくつかあった。 戦前の強豪校で、戦後、日領で

    甲子園での勝利数を番付にすると。PLの休部で西の勢力図に一大変化が。(広尾晃)
  • 甲子園優勝投手はプロでどうなる?のべ187人中、100勝は8人だけ……。(広尾晃)

    夏休みに入って、全国の球場では高校野球の地方大会も無事終了。8月早々には49代表がそろった。 野球少年の夢は、昔も今も変わらない。甲子園に出てプロ野球に進むこと、だ。 そのうえでMLBに挑戦したり、200勝、2000安打を達成したり。夢は広がるが、とにかく甲子園だ大きな目標だ。 果たしてプロで偉大な実績を残した大選手は甲子園でも活躍したのだろうか? 2000安打者、200勝投手の高校時代の実績を調べてみた。 まずは2000安打者。甲子園の実績は春夏含む。高校名は当時のもの。 1.甲子園で優勝 5人 王貞治(早稲田実)、立浪和義(PL学園)、宮慎也(PL学園)、清原和博(PL学園)、柴田勲(法政二※春夏連覇) 2.準優勝 4人 川上哲治(熊工)、高木守道(県岐阜商)、藤田平(市和歌山商)、新井宏昌(PL学園) 3.ベスト4 1人 田中幸雄(都城) 4.ベスト8 5人 衣笠祥雄(平安

    甲子園優勝投手はプロでどうなる?のべ187人中、100勝は8人だけ……。(広尾晃)
  • 張本勲は、打者として本当に偉大だ。あっぱれ!な記録5つをほめ殺す。(広尾晃)

    「喝!」のおじさん、張勲は、野球の裏も表も知るすごい選手だった。くやしいがあっぱれだ! 読者各位の中には、日曜の朝、四角い顔の血色のいいおじさんが発する「喝!」の声にむかむかしている人も多いのではないか。 そう張勲。「なんであんなに偉そうなんだ!」と思いながらも、ついつい見てしまう。「炎上商法」という言葉が辞書に載れば、「張勲を見よ」なんて書かれそうだ。 私も毎日曜日、むかむかしながら見ている。 しかし今どきの若い人がむかむかするのとは、ちょっと違う。 私はこのおじさんの現役時代を、この目で見ている。そして記録マニアとして、この人の記録を嫌というほどいじってきた。張勲は同い年の王貞治とともに、アンタッチャブルと言ってよい記録を樹立した、野球史上の偉人なのだ。 そんな偉い人が、横丁のアクの強いご隠居みたいに、なぜ若い者に「喝!」とか言うのか! 若い読者各位よりも、私の「むかむか」の方

    張本勲は、打者として本当に偉大だ。あっぱれ!な記録5つをほめ殺す。(広尾晃)
  • 超高校級が不調でも豊作の大会に!甲子園で輝いた有望株50人総まとめ。 (小関順二)

    近年、高校野球界でも複数の投手を用意することの重要性が叫ばれているが、今年はそういうチームが多かった。初戦では、2~4人の継投で戦ったチームが49校のうち30校もあった。もっとも、継投したチームと1人が投げ切ったチームとの対戦は、継投したチームの3勝11敗と分が悪い。不利な戦いを強いられたから複数の投手をマウンドに上げざるを得なかった、という要素があったことも間違いない。 しかし、山形中央、東海大相模、東邦、星稜、佐久長聖、龍谷大平安、開星、海星といった学校には力のある投手が複数いて、1人の投手の酷使をさけられる態勢が出来上がっていた。 複数投手制を敷くと、完成度の高い投手は減る。 複数の投手で先発をシェアすれば高校時点での完成度は低くなり、「今甲子園大会はプロのスカウトが注目する選手(プロ注)が少なかった」という論調の記事が多くなるのは仕方ない。 しかし「複数の投手を用意して1人の投手の

    超高校級が不調でも豊作の大会に!甲子園で輝いた有望株50人総まとめ。 (小関順二)
  • 地方大会、甲子園で続く大逆転劇。背景に“序列”への過剰な意識が?(阿部珠樹)

    8点差を逆転しての勝利は大会記録に並ぶもの。前回は1997年大会の1回戦、市立船橋(千葉)が文徳(熊)を逆転した17-10の試合だった。 7月の末、福島に行った。駅に着いて新聞を買うと、地元紙もスポーツ紙も前日の高校野球の決勝を大きく扱っていた。2-6で負けていた聖光学院が9回裏、4点を取って追いつき、11回裏に勝ち越し点をあげてサヨナラ勝ちしたというのだ。9回の4点差をひっくり返したのだから、大きく扱う気分もよくわかる。歴史に残るなどというのは大げさだが、ちょっとした語り草になるのは間違いない試合だった。 しかし、その日の夜のニュースでさらに驚かされた。石川県大会の決勝で星稜高校が小松大谷に0-8とリードされていたのを、9回裏だけで9点取って勝ったというのだ。福島の試合をはるかにしのぐ大逆転で、翌日の新聞はどこも大きく扱っていた。 9回の逆転劇は珍しくはないが、8回まで2安打しか打てず

    地方大会、甲子園で続く大逆転劇。背景に“序列”への過剰な意識が?(阿部珠樹)
  • いまだ決まらぬWBC日本代表監督。混乱を招いたコミッショナーの責任は?(鷲田康)

    2009年3月に開かれたWBC優勝の日本代表記者会見。写真中央、グレーのスーツが加藤コミッショナー。この時から3年半の月日は、WBC監督を決める期間としては十分ではなかったのか? 「巨人の監督をやっている限り、もう二度と引き受けることはないと思う」 この言葉は重いものとして、深く心に刻み込まれている。 日の連覇という最高の形で終わった2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。戦いが終わった直後のことだった。日本代表監督を務めた巨人・原辰徳監督が優勝の歓喜も冷めやらぬ中で、真顔で語った言葉だったからだ。 「現場の監督をやりながら代表の監督をやるというのは当にムリだからです。開幕に向けて一番、大切な時期に1カ月もチームを離れるということは、そのチームを預かる監督にとっては断腸の思いでした。あってはならないこと、と言っても決してオーバーではないことなんです。それは選手や

    いまだ決まらぬWBC日本代表監督。混乱を招いたコミッショナーの責任は?(鷲田康)
    asahinoataru
    asahinoataru 2012/10/01
    混乱のすべての責任は加藤コミッショナーにある。
  • 19歳の大型新人を死球で歓迎するメジャーの“掟”。~ブライス・ハーパーへの洗礼~(四竈衛)

    互いに、2週間前の“事件”を感じさせることはなかった。5月23日、ナショナルズ戦で7勝目を挙げたフィリーズの左腕コール・ハメルズは、サラリと言った。「これまでと同じ。頭をよぎることなんてまったくなかったね」。一方、ナショナルズの19歳の超大型新人、ブライス・ハーパーも「相手はオールスター選手だから」と冷静に振り返った。2人の言葉だけなら、通常の試合後と変わりはない。だがこの試合は、同地区の球団の対戦という以上に、ハメルズとハーパーの再対決に注目が集まっていた。 発端は5月6日、2人の初対戦の第1打席だった。ハメルズが、初球に93マイル(約150km)の速球を、計ったかのようにハーパーの背中に当てたのだ。 こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。 NumberWeb有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り: 599文字 NumberWeb有料会員(月額330円[税込])は、この記

    19歳の大型新人を死球で歓迎するメジャーの“掟”。~ブライス・ハーパーへの洗礼~(四竈衛)
    asahinoataru
    asahinoataru 2012/06/19
    仮装をさせるイタズラなどユニークなものもあるが、投手、打者のストライク判定を含め、メジャーの新人への対応は実は厳しい。日本の体育会的な上下関係とも違う“掟”は、確実に存在する。
  • 野球規則に無い“Unwritten Rules”。MLBに受け継がれる暗黙の掟とは?(菊地慶剛)

    7月31日、タイガース対エンゼルス戦、7回裏に起きた問題のシーン。塁打を放ったカルロス・ギーエン(写真手前)とジェレド・ウィーバー投手が数秒間お互いに睨み合った 7月31日のタイガース対エンゼルス戦は、改めてメジャー球界に綿々と受け継がれている“Unwritten Rules”の根深さを痛感させられるものだった。 すでにこの名称に聞き覚えのある方も少なくないだろうが念のためグーグルで検索してみると、検索結果の最初に登場するのがウィキペディア日語版の「野球の不文律」だった。 すなわち、メジャー球界の野球規則には“書かれていない”選手が守らなければならないエチケットと考えればいいだろう。そしてメジャー球界ではこの不文律が現在でも厳格に存在し、それを破ったと判断された場合、相手チームからそれなりの報復を受けることになる。まさに今回の試合もその典型だったのだ。 もともとこの試合は、ジェレド・ウ

    野球規則に無い“Unwritten Rules”。MLBに受け継がれる暗黙の掟とは?(菊地慶剛)
    asahinoataru
    asahinoataru 2012/05/23
    メジャー球界の野球規則には“書かれていない”選手が守らなければならないエチケット
  • 西本幸雄と江夏の21球。~悲運の名将を偲んで~(松井浩)

    もちろん、後悔しても、過去の歴史を取り戻すことはできない。野球は、グラウンドで行われたプレーだけが、歴史的事実として記録されるスポーツである。むしろ、四半世紀の歳月を経て、すでにユニフォームを脱いでしまった現在、どんな過去も穏やかに振り返ることができるということかもしれない。 「ただ、スクイズという戦法が、ウチの打ちまくる野球と違っていたのは確かやな」 西は、そうも言った。 「パ・リーグのお荷物」とバカにされ続けた弱小チームを、6年かけてリーグ一の打撃のチームに育てあげたという自負が、西にはあった。頭の中では「ストライクは、三つともバットを振れ」と思っている。「外野フライで同点や」。そうも思っている。 しかし、次の瞬間、西の左手が動く。当時、サインはベンチから三塁コーチャーを経て選手に伝えられた。西の利き手である左手が、右肩に触る。それが、1979年の日シリーズの命運を決するスク

    西本幸雄と江夏の21球。~悲運の名将を偲んで~(松井浩)
  • プロで活躍したいなら“東都”!?甲子園のヒーローはどこへ行く。(中村計)

    第93回全国高校野球選手権で優勝した日大三のエース・吉永健太朗は早大への進学が決定している。「プロ志望届は出しません。進学して4年間しっかりやって即戦力でプロに行きます」 2年前の話だ。 「プロ野球選手になりたいのなら、東都(大学野球リーグ)の方がいい」 ある甲子園常連校の監督は、プロ注目の選手だった教え子にそうアドバイスを送った。 だが、結局、その選手は東京六大学野球リーグへの憧れを捨て切れずに、六大学に所属する名門チームを選んだ。 よく聞く話ではある。 人気の六大学、実力の東都――。 大学球界の双璧を成す六大学と東都には、一昔前までのセ・リーグとパ・リーグのような構図が今も存在する。 親や人からしてみれば、プロに進めなかった場合も考え、早大や慶大をはじめとした知名度の高い大学が集まる六大学に惹かれるのは当然のことである。また、両リーグともに神宮球場を使用しているのだが、土日を優先的に

    プロで活躍したいなら“東都”!?甲子園のヒーローはどこへ行く。(中村計)
    asahinoataru
    asahinoataru 2011/09/08
    東都大学野球のレベルは東京六大学野球より上
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