幼少期のアパート生活 当人は父親の出身地である八尾市の「安中地区育ち」と言いながら、その実、そこではなく、東京・渋谷区に生まれている。だが、母子家庭で育ったという以外、父親像ははっきりしない。 父親は現在、同和地区住民のために建設された八尾市営の安中墓地に眠っている。橋下自身も、毎年、父親の供養のため墓地に参り、線香を焚いている。 一方、母方の祖父は軍人だという。つまり、同和地域とは縁もゆかりもない女性が、たまたま同和地域に住む男性と知り合い、結婚したということではないだろうか。しかし、その結婚生活はうまくいかなかった。 母親が結婚後、八尾に住んだかどうかは定かではない。少なくとも、長男である橋下が生まれた一九六九年当時は、東京に引越し、渋谷区の幡ケ谷で暮らし始めている。 橋下一家が生活していた幡ケ谷のアパートは今もある。京王線幡ケ谷駅から北に伸びる六号通り商店街から路地に入ったあたりだ。