http://anond.hatelabo.jp/20160327120607 僕がブコメ非表示にしてるIDの一覧 前半はただうざったい人をぶっこんでるだけだけど後半はだいたい互助会メンバーだと思う。 互助会の判断基準は「凄いですね」「おめでとうございます」「参考になります」とか言ってる人達。 それと馴れ馴れしい気持ち悪い敬語を使ってたり。 関係ない人が入ってたらごめんね。 jt_noSke|daybeforeyesterday|Arturo_Ui|crapman|lcwin|wow64|xevra|kana-kana_ceo|komamix|cider_kondo|zmoi|terazzo|kumonopanya|yosak439|north_god|biyoub|ncc1701|gurgle|ustam|death6coin|yuki1960|amadeus|buu|xlc|infob
リンク ライブドアニュース 朝霞市で行方不明になった少女を保護 父らが電話の内容明かす - ライブドアニュース 朝霞市で2年前に行方不明になった15歳少女が27日、都内で保護された。少女の父親らによると、突然の電話があり、驚きのあまり母親は絶句したそう。声に元気はなかったが、失踪前とあまり変わらない調子だったという モビゾウ @Movizoo 今回の朝霞市の事件に関して夫と話したのは、「娘は公衆電話の使い方も知らないし、公衆電話がどこにあるのかも知らないし、警察や消防に電話するときにお金いらないってことも知らないし、そもそも家の電話番号知らないじゃねえか」ということでした。これ危機感持つべき事案。 2016-03-28 09:08:50
スクープ連発の『週刊文春』に一矢報いた『週刊新潮』のスクープ「『乙武クン』5人との不倫」、幾つか疑問がある。 ニコニコ動画の「週刊誌欠席裁判」でも言ったことだが、これって乙武クン自作自演の「自己身体検査」ではないのか。 そう、立候補を表明してから書かれるより、立候補前に書かれた方が、ダメッジが少ない、そう判断した乙武クンサイドがネタを流したのではないのか。 そう判断する理由は幾つかある。 1、昨年12月乙武クンは<女優、黒木華を髣髴させる魅惑的な風貌の女性>とパリ、チュニスなどに不倫旅行した。カモフラージュのため友人の男性が一人同行したという。 『週刊新潮』はその時の二人の会話を再現している。 <こんな会話をする姿も目撃されていた>として二人のやりとりを再現しているのだが、こんなもの偶然聞いた人がいたとも思えないし、『新潮』の記者が偶然聞いた人を捕まえられる確率なんて、ほとんどゼロに近い。
出典:https://jooy.jp/ これは東京に住めば住むほど、ますます確信に近づいています。 地元に留まり続ける地方在住者はつまらない 例えば、ぼくは石川県の生まれなのですが、生まれてこの方石川県に住んで石川県で大人になってもずっと過ごしてる、いわゆる「ジモティー」はつまらないんですよね。もう全然面白くない。異論は認めません。 それはどうしてか?お伝えしましょう。 1、スクールカーストが未だに残っている 中学や高校ってイケてるグループを中心にした学校独特の身分制度があるじゃないですか。いわゆるスクールカーストです。 ぼくは中学の時にこのスクールカーストの底辺にいたんですよ。 っで、その後に高校ではデビューして、クラスで少しは目立つような存在になりました。 しかし、関西の大学に行くことを機会に地元を出たこと、二十歳から大学を中退して上京したこと、この2つの体験によっていかに中高時代のス
僕のマンガ家デビューは1979年、第12回「週刊少年チャンピオン新人まんが賞」の佳作に入ったのがきっかけで、その年の暮れには最初の週刊連載が始まった。 そして小山田いくが同じ賞の佳作に入ったのは、同じ79年の第13回(同賞は1年に2度募集があり、僕が上期、彼が下期にあたる)。翌年から『すくらっぷ・ブック』の連載が始まった。 かように同賞はなかなか受賞作が出ないまま、佳作に入った応募者を次々にデビューさせていたので「秋田書店は賞金を払いたくないだけじゃないか」と陰でささやかれていた。真相はわからない。 それはともかく、同時期の同雑誌デビュー、歳もほぼ同じ(小山田氏のほうが一歳年上)とあっては、いやがおうにも意識せざるをえない存在ではあった。 しかしそれは、ライバル視、というのとはちょっと違っていた。 僕はギャグマンガを志向しており、小山田いくの描くマンガはキャラクターこそ2頭身から3頭身とギ
星海社新書3月新刊、大塚英志さんの『「おたく」の精神史――一九八〇年代論』が、3月24日(木)に発売となりました。 2004年に講談社現代新書として、2007年に朝日文庫として刊行されてきた名著に、書き下ろしの序章〈見えない文化大革命――外国の人たちによせて〉、終章〈二〇一五年の「おたく」論――『黒子のバスケ』事件と「オタクエコシステム」における「疎外」の形式〉計2万7000字を付した、待望の復刊です。 今回の星海社新書版では、新書としては珍しく(星海社新書としても初の試みです)、フルカラーイラストをカバーに配した装いとなっています。 この、白地にとてもよく映えるすばらしいイラストは、80年代に活躍されたまんが家・早坂未紀さんの「萌」という作品です。 本イラストを使用させていただくことになった顛末を、本書の「星海社新書版・あとがき」から、少し長くなりますが引用します。 さて、表紙に早坂未紀
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原作のある映画を観に行くので、その原作本を観る前に読んでおくという行為の意味がわからない。 物語を頭にいれておきたいの? でも原作と映画とで同じ物語であるとは限らないし、表現にズレがあるとそれが気になって集中できないんじゃない? だいたい映画って物語以外にも受け取るべき情報がたくさんあるから、映画体験の邪魔にならないようになるべくまっさらな状態で臨むというのが良いように思うんだけど。 もちろん映画化される前から知ってたり読んだりっていうのは別だよ。 あと明らかに映画がクソっぽくて期待も興味も持てないときね。 先に原作読んだ方が、物語を良質な体験として読めるという場合はわかる。 漫画原作系邦画とかはそれが起こりやすい。 誰しも良作は優れた表現の方で先に体験しておきたいよな。 それから事前に映画だけでは物語が全くわからないという情報がある場合もしょうがないかなとも思う。 最近では神々のたそがれ
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