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“アクセス数=無言の感想”という捉え方をすれば、サイト閉鎖の危機を乗り越えられるかも知れない。 関連リンク1:「終了」(『「いんちき」心理学研究所』) 関連リンク2:「「いんちき心理学研究所」の終了」(『憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向な日々』) 関連リンク3:「沈黙のオーディエンス」(『憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向な日々』) 上記リンク全てを簡単に要約すれば、「アクセス数が増えても、読者からのメールが増える訳ではない。読者が増えても反応が少ないという状態は、書き手の孤独感を増して行く。結果として、サイト閉鎖に至る」という事になるだろうか。 「読者からのメールや書き込みが少なくて寂しい。もっと反応が欲しい」という事は僕自身も何度か書いたし、今でも同様に思っている。僕の場合、月に1,2回くらいの割合で“(自分的には)自信作”のテキストが書けたりするのだが、そんなテキ
ネット上では親近感だけでなく、信頼感すら生む可能性が有る。 「医療器具だったバイブレーター」が『カトゆー家断絶』等にリンクを貼られ、当時としてはアクセス数が過去最高を記録した。「ネット上での親近感」の時と同様、『黒板ぽ』が起点となったようだ。 大手ニュースサイトにリンクを貼られると、普段の何倍ものアクセスが集中する。今回の一件では、通常の10倍以上のアクセスが有った。アクセス解析に拠れば、『カトゆー家断絶』からだけでも3000人以上の人が、このサイトを訪れた。ちょっと怖くなるくらいの人数だ。 ところで、何故「医療器具だったバイブレーター」はリンクを貼られたのだろうか? 「ネット上での親近感」は、基本的には“単なる一個人の考察”であり、内容の真偽は関係無い。しかし「医療器具だったバイブレーター」は僕の考察が有る訳ではなく、“歴史的な事実”として紹介しているのである。もしかしたら、僕が勝
目立ったオリジナリティが無いニュースサイトでも無意味ではない。 ネタ元は忘れてしまったが、以前に何処かで「最近はオリジナリティの無いニュースサイトが多過ぎる。無意味だ」という趣旨のテキストを読んだ。「他のサイトで扱っている記事ばかりを羅列しているニュースサイトに価値は無い」というのだ。 確かに現在のネットには、個人ニュースサイトが溢れ返っている。中には「そのニュースサイトでしか取り扱っていない記事」が全く無いニュースサイトも、数多く存在している事だろう。しかしだからと言って、そのようなニュースサイトに価値が無い訳ではないと思う。 例えば『カトゆー家断絶』は、1日3万ヒット以上の超大手ニュースサイトだ。人気の理由の一つには、「膨大な数の記事を1日2回のペースで紹介する」というオリジナリティが有る事が挙げられるだろう。 しかし『カトゆー家断絶』の、あの膨大な量の記事を全て読んでいる人は
好きなサイトの管理人に対して親近感を抱いてしまう事が有るのは何故だろうか? かなりの数のテキストサイトを閲覧するようになった。友人が運営している一部のサイトを除いては、基本的に各サイトの管理人に会った事は1度も無い。しかし、それなのに何故か親近感を抱いてしまうサイトの管理人さんが存在する。(2004年8月現在、1度だけオフ会に参加した事が有る。)好きなサイトは数多い。しかしその全ての管理人に親近感を抱く訳でもないから不思議だ。 そもそも特定のサイトを好きになる原因は沢山有る。幾つか挙げてみると、 自分が自然に納得出来る言及が多い。 自分が知らない(でも興味の有る分野の)知識を与えてくれる事が多い。 自分は賛同出来ないが、「一理有る」と感じさせられる意見が多い。 ――という辺りが主要因だろうか。 「『好き』と『愛する』の違い」から引用するが、心理学者ルビンに拠れば、『好き(友愛)』とは
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