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ブックマーク / krafty.jugem.jp (2)

  • Krafty | 『g:neo』総評

    ファック文芸部の『g:neo』を読んだ。 言うまでもないことだが、虚言とは自分が思っていないことを言う、というだけのことを意味しない。ふと思いついたことを語ってしまった時にそれが世間一般的に道理が通るものであるのかないのか、後者であるとしたら何故そのようなことを思いついてしまったのか、それを書くものは自問する必要に迫られる。それはその虚言を虚言として済ませるのではなく一応は他者の前に晒してしまうことの責任を取るという手続きを踏まえないといけないからでもあるし、それ以前の問題として来考えてもいなかったもの、自分ではない自分というものを確認するとは新たなる自分を見出すプロセスでもあり、自明であるはずの自分という概念を揺さぶられる体験でもあるはずだからだ。私の中には自分がよく把握出来ている私ではなく、自分でも把握出来ていない自分が存在する。その自分でも把握出来ていない言葉に突き動かされるよ

    azmin
    azmin 2006/11/20
  • Krafty | 小説を書くことは恥ずかしい

    自分の場合読んだの感想を書くことはそう恥ずかしくないのだけど、小説を書くことはなんだかとても恥ずかしいことのように感じてしまう。文章の上手下手の問題ではない。自分の文章が下手であるとしても、の感想に関してはそれ自体自分以外のものを対象にして自分を語っているところがある。つまり、題材として語っているのはあくまでで、自分というものはそれにくっついた状態での感想として現れる。だから冷静に書けるし、あらかじめ「これはを読んで感想を書いたのであって、自分のことを直接書いたわけではない」と済ませることが出来る。 小説の場合はストーリーが題材として存在していて自分はそれにくっついている……となれば話は簡単なのだけど、そのストーリーの設定やら話の転がし方やらそのものが自分の中から生まれるものであって、つまりは自分は箱庭を作っている。箱庭の配置にその人の特徴が現れるように、作品そのものが否応なし

    azmin
    azmin 2006/06/01
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