➡︎【前編はこちら】 日本を治めた証としての「元号」 わが国が「元号」を用い始めたのは、「大化の改新」のときからだ。 最初の元号は「大化」である。ムシゴロシ、ムジコ、ムシゴめの大化である。 わが国史上、屈指の政治変革である。簡単にいえば、自分たちのやりかたではなく、中国(隋から唐)の国家システムを取り入れた先進国になろう、という急進派による改革であった。 中国発祥の律令国家制度を取り入れることによって、「独立した文明国家」であることを示そうとしたのだ。明治維新のおり、欧米の国家システムをコピーすることによって「わが国もきちんとした近代国家である」と示そうとしたのとまったく同じである。 そのために中国元号ではなく、中国とは別の王の支配する国として、わが国オリジナルの元号「大化」を使用した。 大化のあとは「白雉(はくち)」になり、そのあとしばらく元号は使用されていない。中大兄皇子は忙しかったの
![なぜ元号の典拠は「中国の古典」であり続けているのか(堀井 憲一郎) @gendai_biz](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/88d19efa3ee5a1323d0124bfd50961cba148d227/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fgendai-m.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2Fb%2F7%2F1200m%2Fimg_b7ac21c1732a8fddb46550084b55a4d3183136.jpg)