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自由意志と決定論に関するbabayuheiのブックマーク (14)

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 自由

    京都の大垣書店の四条店のオープンを記念 してのサイン会に伺う。 控え室にいると、 『プロフェッショナル 仕事の流儀』 にご出演いただいた京菓子司「末富」の 山口富蔵さんがいらした。 うれしいサプライズ。 美しい京菓子をお持ちいただく。 自然のものと同じように、一つ ひとつ形が違う。 京菓子というものは、そのように 作るのだと山口さんに教えて いただいたのである。 「末富」の山口富蔵さん、大垣書店社長の 大垣守弘さんと。 京都大学。 応用哲学会の第一回大会。 http://wwwsoc.nii.ac.jp/jacap/index.html 塩谷賢がオーガナイズしている 計算論のセッションから参加。 郡司ペギオ幸夫、深尾憲二朗、三好博之。 引き続き、 京都大学文学研究科校舎 第三講義室にて、 公開シンポジウム 「これが応用哲学だ!」。 戸田山和久さんの司会で、伊勢田哲治さん、 森岡正博さん、そ

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    babayuhei 2009/05/04
    自由意志と自由の関係は何か。カミュのシーシュポスの神話は、上のような意味での「自由意志」と「自由」の関係を論じたものと考えることもできる。
  • Win ≠ Beat - 書評 - 史上最強の人生戦略マニュアル : 404 Blog Not Found

    2008年09月26日00:00 カテゴリ書評/画評/品評Art Win ≠ Beat - 書評 - 史上最強の人生戦略マニュアル 訳者より献御礼。 史上最強の人生戦略マニュアル Phillip McGraw / 勝間和代訳 [原著:Life Strategies: Doing What Works Doing What Matters] 初出2008.09.21; 販売開始まで更新 たしかに「スゴ」。 訳者にとっては、訳者がスゴい人になるのに一役買ったという点において。 そして私にとっては、「スゴくフツーのことが書いてある」という意味において。 しかしその「フツー」こそ、最も多くの人が必要としているスゴさなのかも知れない。 書「史上最強の人生戦略マニュアル」は、自己責任論のである。しかし、この「自己責任」という言葉ほど、その意味するところを知らずに使っている人が多い言葉もないので

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    babayuhei 2008/09/25
    「人生の勝者」という場合の「勝者」はあくまでwinnerであってbeaterではないのだ。勝利というのは、質量/エネルギーと違って、保存量ではないのだ。あなたが勝ったからといって私が負けるわけではないのだ。
  • 「破門の哲学」 清水禮子 - 午前8時の積ん読 by u:BABA

    破門の哲学―スピノザの生涯と思想作者: 清水礼子出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1978/01メディア: 単行スピノザを純粋な哲学体系として理解するのではなく、「破門」という決定的なエピソードを出発点として、経験が個人に与える影響に立ち入った。P288 の後記にあるとおりスピノザが、「普通の人間の血の色を持った」人として、ある確かな手ざわりを感じられる、スピノザ読解としては稀な著作。 P31 「したがって、ノヴェルティの挑戦に応じることは、常に必ず、当の枠組みの死という危険(periculum)の中へ足を踏み出す(ex)ことである。「経験する」(experior)という言葉は、正にこうした事態を指すためのものでなければならない。そして、ひとが、ノヴェルティの挑戦に応じる道を選ぶ時、ノヴェルティは、事件は、枠組みの外側に放置されたアペンディクスであることを止め、新しい纏まりの内部

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    babayuhei 2008/08/05
    自分を確実に保ち得ればこそ逆に、その自分を超える他人を、自分とは異質の存在として---恐怖の対象としてではなく---そのまま認めることが出来、人間は互いに真の優しさを以って接し和える
  • 「自省録」 マルクス・アウレーリウス - 午前8時の積ん読 by u:BABA

    ■「自省録」 マルクス・アウレーリウス 自省録 (岩波文庫) 作者: マルクスアウレーリウス, Marcus Aurelius, 神谷美恵子 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 2007/02 メディア: 文庫 ローマ五賢帝、最後の皇帝にして、プラトンの哲人王を史上唯一体現したとも言われるマルクス・アウレリウス。誰に見せるためでもなく、戦争で指揮を執り続ける合間を縫って自分へ向けた言葉を綴り、没後に発見されたというこの。彼の軌跡を想いながら読めば、どんなに完璧な哲学体系をも超えて、心の奥ふかくへ届く言葉になる。 P31 2-14 「たとえ君が三千年生きるとしても、いや三万年生きるとしても、記憶すべきはなにびとも現在生きている生涯以外の何ものをも失うことはないということ、またなんぴとも今失おうとしている生涯以外の何ものをも生きることはない、ということである。したがって、もっとも長い一生

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    babayuhei 2008/07/21
    この世で大きな価値のあることはただ一つ、嘘つきや不正の人びとにたいしては寛大な心をいだきつつ、真実と正義の中に一生を過ごすことである。
  • 「生き方 人間として一番大切なこと」 稲盛和夫 - 午前8時の積ん読 by u:BABA

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    babayuhei 2008/05/22
    私の有している能力、私が果たしている役割、それが私だけの所有物である必然性はどこにありません。他の人がもっていたとしても、何の不思議も不都合もない。
  • 「賭ける魂」 植島啓司 - 午前8時の積ん読 by u:BABA

    ■「賭ける魂」 植島啓司 賭ける魂 (講談社現代新書 1942) (講談社現代新書 1942) 作者: 植島啓司 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2008/05/20 メディア: 新書 「人生に必要なものはみなギャンブルが教えてくれた」という帯のコピーを読んで手に取った@あゆみブックス。単なるギャンブラーじゃなくて、中沢新一と一緒に研究していたりする、まともな学者・思想家。僕の思考も「賭ける」という概念を抜きには語れない。その元となるギャンブルは人生の一部を形作っている。 P3 生きるとは「いま」を生きることである@中学校の卒業文集 P4 オッズA1.1倍 B1000倍、どっちに1000円賭けたいか?:Bが負けても楽しい。「それほど現実派移ろいやすいものであり、ちょっと視点を変えただけでまったく別の姿を現すのである。自分とは無関係の現実派どうでもいいことだ。しかしちょっとでも自分にか

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    babayuhei 2008/05/19
    生きるということは、勝ったり負けたりの繰り返しではないし、また、お金がもうかったりなくなったりの日々でもなく、そうした営為の向こう側にうっすらと見えてくる蜃気楼のようなものではないかと思っている。
  • 「ウィトゲンシュタイン」 ノーマン・マルコム - 午前8時の積ん読 by u:BABA

    ウィトゲンシュタイン―天才哲学者の思い出 (平凡社ライブラリー (266))作者: ノーマン・マルコム, 板坂元出版社/メーカー: 平凡社発売日: 1998/10メディア: 単行(ソフトカバー)ウィトゲンシュタインの伝記。最近ずっと新書やビジネス書ばかりだったので、生協で見つけてなんとなく手にとったのだけれど、何度かふつうに泣きそうになってしまった。僕は後期ウィトゲンシュタインをほとんど研究していないので、彼の思索の内容については語れない。だが彼の知的情熱や、人間への真摯さには心を打たれる。 P12 講義は下準備やノートなしに行われた:ノートを読み始めると「言葉は生命を失ったように」感じれる。準備は講義前に数分間だけ、前回何を討議したのかを思い出すだけ。P41 「ご存知のように、「確実性」とか「蓋然性」「認識」などについて、ちゃんと考えることは難しいことだと思う。けれども、君の生活につい

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    babayuhei 2008/05/17
    俗世間のことを考えるのは、学問的にははりあいのないことだし、どっちかというと、まったくつまらないことが多い。けれども、そのつまらない時が、実は、もっとも大切なことを考えているときなんだ。
  • 悲観主義とオプティミズム - My Life Between Silicon Valley and Japan

    一週間東京に行って帰国したところ。これからしばらく寝たり起きたりで、消耗しきった身体に体力が戻るのを待とう。今年二回目の東京だったが、こちらに戻ってくるとすべてのモードが全く変わって、ブログを書く力もようやく沸いてくる。 ある日、東京で気のおけない親しい友人たちとオプティミズムの話になった。「ウェブ進化論」のオプティミズムを誤解する人が多いね、という話がよく出るが、その日もそんな話になった。オプティミズムとは、生来人間は素晴らしいものなんだから「世の中、ほっておいても何とかなるさ」みたいな呑気でいい加減な考え方とは全く違うものだ。オプティミズムの質を全く理解せぬまま、オプティミズムはけしからんと言う人が多いね、というのは僕もよく思う。 ところで別の友人との集まりで、話がなぜかそちらのほうに流れ、アランの「定義集」の話になった。僕が敬愛してやまない森有正(ぼろぼろになるまで読んだ四冊の)

    悲観主義とオプティミズム - My Life Between Silicon Valley and Japan
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    babayuhei 2008/05/12
    オプティミズムとは、まったくもって「意志」の問題なのである。死や病を免れ得ない人間にとって、悲観主義こそ「自然」で「生来」なものなのであって、オプティミズムとはそれを超えていく意志のことなのである。
  • またまたインタビュー - 内田樹の研究室

    またまたインタビュー 今度は『月刊 PHP』 お題は「幸せって何?」 そんなこと訊かれても。 とはいえ、そのようなことを訊く為にわざわざ遠く東国から御影までおいでになったわけであるから、にべもなく「知りません」とは言えない(つい先週、同じ PHP の連載のオッファーを遠く東京から来た編集者に向かって「やりません」と五秒で断ったばかりである)。 知恵を絞って考える。 幸せって何だろう。 ふだん、そんなことはあまり(というかぜんぜん)考えたことがないので、困ってしまう。 でも、人はどういうふうに「不幸せ」になるかは、わかる。 というのはその前に『歎異抄』を読んでいたからである(朝カルの予習である。私でもたまにはそういう殊勝なことをするのである)。 人を不幸にするのは「自力」である。 自力というのは、私の解釈では「無時間モデル」のことである。 自力には「時間」が入る余地がない。 「他者」にも入る

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    babayuhei 2008/05/11
    「親に愛され、友人に恵まれ、同僚から信頼され、弟子たちから敬慕されているので、『こんな善い人』になりました」というような文脈依存的善人をカムアウトするひとに私は会ったことがない。
  • 404 Blog Not Found:書評 - 不完全性定理

    2007年02月05日01:00 カテゴリ書評/画評/品評Math 書評 - 不完全性定理 初掲載2007.02.04 脱帽。 不完全性定理 数学的体系のあゆみ 野崎昭弘 もしかして、今まで読んだ数学書の中で最高傑作かも知れない。 著者の野崎昭弘は、「詭弁論理学」の著者にして、「Gödel, Escher, Bach(GEB)」の訳者。安野光雅と「石頭コンピューター」を共著した人でもある。私は「πの話」以来のファンなのだが、その野崎昭弘が不完全性定理にガチで対峙したのが書だ。 目次 第1章 ギリシャの奇跡 第2章 体系とその進化 第3章 集合論の光と陰 第4章 証明の形式化 第5章 超数学の誕生 第6章 ゲーデル登場 書は、「不完全性定理とは何か」だけではなく、「公理とは何か」「定理とは何か」をまずきちんと解説した上で、「不完全性定理は人にとってどんな意味があるのか」までを説いている。

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    babayuhei 2008/03/16
    読む順番としてはやはり「野崎本」が先の方がよいだろう。「野崎本」を読んだ後なら、「岩波文庫版」も余裕をもって読み進める事ができる。
  • 活字中毒R。

    『いつやるか? 今でしょ!』(林修著/宝島社)より。 (『東進ハイスクール』のカリスマ講師・林修さんが2012年に書かれたの一部です) 【ずいぶん前に。高校の先生と現代文の指導について話していたときのことです。生徒の成績表を見ながら、あれこれ話していたのですが、そのとき妙なことに気づきました。 上位の生徒は「明子」、「良子」、「宏美」など普通に読める名前が圧倒的で、特に「子」がつく名前が多いのです。一方、下位になればなるほど「これなんと読むんですか?」と聞かなければならないような「難読」名が増えるのです。かなりの数のクラスがありましたが、すべてそうでした。 「こういう難しい名前の生徒の親は、クレームも多いんですよ」 高校の先生は、そうもおっしゃっていました。僕は、これは単なる偶然ではないと思っています。 親は自分の子どもが立派な人間になることを願って名前をつけます。あくまでも究極の目的は

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    babayuhei 2008/03/06
    「恋愛」というのは、たしかに「最も多くの人に幸福感を与えられる娯楽」
  • 人生という相場に向き合う方法 - マーケットの馬車馬

    長い間ブログを放り出してすみません。私事の高波に押し流されていました。その間に和魂洋才シリーズのメモをなくしてしまい、それに凹んで更に更新が遅れたのですが。現在暇を見つけて少しずつ再構成中なのでもう少しお待ちください(色々なことを書く予定なので、どういう順番に書いていくのかが結構問題なんです。一部の説明は他の理解を前提にしていたりしますので)。 そこで、正月に書き損ねた話題を改めて書いてみようと思います。どこで誰が書いていた話題だったかは忘れましたが、「努力したって成功するとは限らないのだから、努力したってしょうがない」または「努力すれば何とかなるとか言う妄言にだまされるな」とか、大意そんな感じの発言をその当時頻繁に見たような気がします。当時はしょうもないことを、と思って読み流したわけですが、色々考えると結構難しい問題をはらんでいそうなので、少し書いてみようと思います。 人生のリスクとコス

    人生という相場に向き合う方法 - マーケットの馬車馬
    babayuhei
    babayuhei 2008/03/03
    人生そのものについての保険はモラルハザードの問題があるので、保険が成立しない。努力した末に就職に失敗した人と、努力しないせいで失敗した人とを正確に分類することが不可能だから、保険が成立しない
  • 運の良さを噛み締めて - good2nd

    「格差社会」の問題を、それによって追いつめられている人が言うと、すぐに「そうやって社会のせいにしてるからダメなんだ」と言う人が現われる。あまつさえ「お前らが苦しんでるのは、お前ら自身が足を引っ張りあってるからだ」とさえ言う。こう言いながら、たぶんその人は、自分が問題をすり替えてることに気づいていない。格差社会の問題は、苦しんでいる人の一人一人がそれぞれ「勝てばいい」という話じゃないのだ。勝ちたいんだけどどうすればいい?という話じゃないのだ。もし、問題のすりかえに気づいているなら、きっとその人にとっては「勝ちたい人が勝つ」ことが来的な重要な問題で、つねに一定の弱者が存在するということは、別にどうでもいいのだろう。ギゾーよろしく、「金持ちになりたまえ」というわけだ。 友人が苦しい、這い上がりたい、と言ってきたら、僕だって似たようなことを言うだろう。勉強しろ。自分の価値を高めろ。決断しろ。戦略

    運の良さを噛み締めて - good2nd
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    babayuhei 2008/03/03
    成功したリッチでマッチョな人たちには、もっと自分の運の良さを認める勇気を持ってほしいと思う。
  • スピノザ × ゲーデル

    自由意志について 決定論のステージにおいて、スピノザはまっとうにも「自由意志」を否定し、「自由意志」が存在するかのように思う、その「誤謬」の原因を、因果関係の認識の欠如;意識は結果(衝動)を認識するがその原因についてはしばしば認識しない、という点に求めた。  これに対してゲーデルは、W.ジェームズのいう「堅い決定論」の立場を取りながらも、なおかつそれが「自由意志」と両立するのだ、と主張する。そのかわりに、ゲーデルが否定したのは、因果関係を成り立たせる「時間の矢」である。  「過去に私がなしたこと」について考えてみよう。過去の行動は変えることができない。しかし私はその行動を取らないこともできた、つまり過去においてその行動をとる(あるいはとらない)「自由」があった。その限りで、過去の事象に対しては、決定論と自由意志説は両立可能である。しかし未来に関しては、我々はそのようには考えない。未来は開い

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