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ブックマーク / kenmogi.cocolog-nifty.com (12)

  • 茂木健一郎 クオリア日記: ギャップ・イヤー

    東京の某所のカフェで、仕事をしていた。たくさんやらなくてはならないことがあって、ちょっとあせっていた。 ふと顔を上げると、ヨーロッパから来たらしい青年が、前のテーブルに座っていた。バックパックを背負い、真剣な顔をしてを読んでいる。そのが、Roger PenroseのEmperor's New Mindだったので、思わずはっとした。 ちょっと背伸びをするふりをして、テーブルを立って、滅多にそんなことはしないのだけれども、声をかけてみた。 「こんにちは、失礼ですが。ペンローズを読んでいるんですね?」 「ああ、はい。」 「学生さんですか?」 「いや、そうではありません?」 「旅行中?」 「はい。去年、大学を卒業ました。」 「どこの大学を出たのですか?」 「ケンブリッジ大学です。」 「ああ、ぼくもケンブリッジに留学していました! 何を専攻していたんですか?」 「物理学です。」 「じゃあ、ぼくと

    babayuhei
    babayuhei 2010/04/01
    日本は素晴らしい国だと思う一方で、「自分がもし今学生で、就職を考えていたら」と考えると、深い絶望にとらわれる。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: ぼくが18歳だったら

    小田原高校の岩明子先生が呼んでくださり、黛まどかさんと俳句の話をした。 黛さんはまじめに俳句の話をしていたが、ぼくはついつい不規則発言をしてしまって、高校二年生に向って、「ごめんね、18歳の君たちにとって、大学という選択しかないのだろうけれども、その日の大学はすっかり体たらくで、当にごめんね」と謝ってしまった。 大学が復活して、気で学問をやろうという気合いの入った志の共同体にならなければ、18歳は浮かばれないだろうし、その後の「企業」も、大学3年の12月から就職活動を一斉にやるような「世界の非常識」の群れなんだから、ぼくが18歳だったら、かなりイヤになるだろうと思う。 週刊誌は、相変わらず大学合格ランキングなどという意味のないニュースを載せている。日の中でしか通用しない大学名などに、何の意味があるんだろう。 テンションが低すぎるんだよね。 結局、そんな日社会のあり方に関係なく、

    babayuhei
    babayuhei 2010/03/19
    日本社会のあり方に関係なく、自分のやっていることの実質をがんばるしかない/志を持っている者どうしが、組織に関係なく共同体をつくるシステムを真剣に考えなければ
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 「科学」と「学習」

    学研の「科学」と「学習」が4月から休刊になるという。 これまでの「科学」と「学習」の歩みを振り返るを作る。 そのように新屋敷信美さんからメールを頂いて、学研社にうかがった。 吉村栄一さんがいらしたので、びっくりして、「あれ、ヨッシーだったんだ」と思わず叫んだ。 「科学」の付録には、いろいろな思い出がある。 小学校の校門を出て、すぐ横の家で「科学」を受け取ると、真っ先に付録を見た。 青写真、砂鉄、ロボット、風船ロケット、シーモンキー、・・・・ 当時の頁をめくっていると、子どもたちの好奇心をいかに大きな広い科学の世界につなげるかという熱意が伝わってくる。 今日では、子どもたちの学習に関する世間の関心は、すっかり、学校に入るための「受験」に絞られていってしまった。 そこからは、そもそも知性とは何か、これからの時代に必要な世界観、教養とは何かという大きなヴィジョンが失われている。 受験対策とい

    babayuhei
    babayuhei 2010/03/11
    そもそも知性とは何か、これからの時代に必要な世界観、教養とは何かという大きなヴィジョンが失われている。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: いかにして人間をつくるか

    『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録に、香川県の観音寺で定時制高校の先生をされている岡田倫代さんがいらした。 自分に自信が持てない、自己肯定感の低い子どもたちがいるという。「私なんてどうせ」「ぼくなんか」と言う子が多いのだという。そのような子どもたちに、どうやって自己肯定感を持たせるか、それがまず最初の仕事なのだという。 ぼくは思った。自己肯定感がなく生まれてくる人間など、一人もいない。子どもたちは、自分はできる、チャレンジしようという根拠なき自信を持っている。 そんな子どもたちが、小学校、中学校と通ううちに、いつしか「ぼくはダメだ」「私なんて」となっていくとすれば、それは人たちのせいではなく、教育システムの失敗と言えよう。 人間ができれば、勉強は後からついてくると岡田さんは言われる。その通りだろう。やる気さえあれば、勉強するための素材は、もはやインターネット上に無料であふれている。

    babayuhei
    babayuhei 2010/02/09
    「ぼくはダメだ」「私なんて」となっていくとすれば、それは本人たちのせいではなく、教育システムの失敗と言えよう。これからの教育における目標は、放っておいても自分で勉強し続ける人をつくることではないか。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: いつも風が

    ぼくは、日のある時代の フォークソングが好きである。 歌詞やメロディーと相まって つくり出される世界に、 いつも「風」が吹いているような 気がする。 「遠い世界に」(五つの赤い風船) 「白い色は恋人の色」(ベッツィ&クリス) 「あの素晴らしい愛をもう一度」(加藤和彦と北山修) 「神田川」(かぐや姫) 「なごり雪」(伊勢正三) 「ささやかなこの人生」(伊勢正三) 他にも、たくさん。 旅先のホテルで、youtubeで好きな フォークソングを次から次へと 聞くことがある。 学生運動が盛んだった時代。 若者たちが、社会を変えられる、 何よりも、自分自身を変えられるという 可能性を信じていた時代。 その時に抱いていた、具体的な目的が 妥当であるかどうかということとは 関係なく、 自分自身が変わるというその 揺らぎ、胸のざわめき 自体に価値がある。 自分は、今の自分と全く違った自分に なりうる。 そ

    babayuhei
    babayuhei 2009/08/03
    今の自分と全く違った自分になりうる。そのような生の大きな偶有性をどれくらい信じていられるかどうかということが、つまりは一人ひとりの人間の、そして時代の若さというものだろう。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 自由

    京都の大垣書店の四条店のオープンを記念 してのサイン会に伺う。 控え室にいると、 『プロフェッショナル 仕事の流儀』 にご出演いただいた京菓子司「末富」の 山口富蔵さんがいらした。 うれしいサプライズ。 美しい京菓子をお持ちいただく。 自然のものと同じように、一つ ひとつ形が違う。 京菓子というものは、そのように 作るのだと山口さんに教えて いただいたのである。 「末富」の山口富蔵さん、大垣書店社長の 大垣守弘さんと。 京都大学。 応用哲学会の第一回大会。 http://wwwsoc.nii.ac.jp/jacap/index.html 塩谷賢がオーガナイズしている 計算論のセッションから参加。 郡司ペギオ幸夫、深尾憲二朗、三好博之。 引き続き、 京都大学文学研究科校舎 第三講義室にて、 公開シンポジウム 「これが応用哲学だ!」。 戸田山和久さんの司会で、伊勢田哲治さん、 森岡正博さん、そ

    babayuhei
    babayuhei 2009/05/04
    自由意志と自由の関係は何か。カミュのシーシュポスの神話は、上のような意味での「自由意志」と「自由」の関係を論じたものと考えることもできる。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 寂しさからfreedomへ

    以前読んだ加藤典洋さんの文章に、 漱石の初期の小説を論じたものがある。 『吾輩はである』や『三四郎』は、 つまりは恋愛における三角関係を描いている のであるが、主な登場人物は実は 中心から外れているのであって、 三角関係の中心は別の人たちの間で 演じられている。 野々宮君と、美禰子と、 美禰子が最後に結婚した三四郎が見知らぬ男の 間に、真の三角関係は成立していたのだ。 三四郎は、それに気付かずに、 ひとり悶々としていた。 東京の街を歩きながら、同じような 寂しさを感じた。 「ジャパン・クール」などという 言葉が流行し、そのポップカルチャー 発信地としての力には注目されながらも、 学問や人類を動かす哲学、思想においては 未だかつて世界の中心地に なったことがない極東の首都。 いろいろと思い悩みながらも、 気付いてみると、世界の趨勢は自分たちとは 全く関係のない場所で動いていた。 寂しい。

    babayuhei
    babayuhei 2009/05/04
    いろいろと思い悩みながらも、気付いてみると、世界の趨勢は自分たちとは全く関係のない場所で動いていた。 寂しい。 そんな感慨を日本人は一度持つべきなのではないか。そうでないと、いろいろなことが変わらない
  • 茂木健一郎 クオリア日記: そういう場を

    ソニーコンピュータサイエンス研究所。 ゼミ。 須藤珠水、柳川透、箆伊智充が 論文を紹介。 柳川透の論文関係の議論をする。 朝日カルチャーセンター。 白洲信哉との対談。 丁々発止して、やがて面白かった。 いやあ、信哉っていうのは、当に いいやつだね。 ぼくはもう、エッセンシャルなこと ばかり考えて生きたいと思う。 それで、何か塾みたいなのを やりたいね、と信哉に言う。 つまりさ、誰かと誰かが会って 丁々発止するのに、大学とか そういう組織はいかにも迂遠だわな。 たとえば、信哉が大学で先生をやっている としよう。 信哉に師事したいとして、まずはその大学に 入って、それから研究室にうんぬん、 というのは二重三重の厚化粧、 余計な障壁。 もっとダイレクトに行きたいよね。 面白いやつを集める仕組みを作らなくては いけない。 そうすれば、今ぼくの研究室に いる学生たちにも、良い仲間ができるだろうし。

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    babayuhei 2009/04/21
    ぼくはもう、エッセンシャルなこと ばかり考えて生きたいと思う。それで、何か塾みたいなのを やりたいね、と信哉に言う。もっとダイレクトに行きたいよね。面白いやつを集める仕組みを作らなくては いけない。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: アインシュタインの孤独

    昨日アインシュタインのことを話して、 思い出したので。 アインシュタインの孤独 人類が歴史上耳にしたさまざまな音楽の中でも、楽聖ベートーベンによる交響曲第7番はもっとも「生命の躍動」(エラン・ヴィタール)に満ちた曲の一つだろう。とりわけ、第4楽章の熱狂的なフィナーレは、聴く者に心が沸き立つような強い印象を残す。 ワグナーはこのシンフォニーを「神格化された舞踏」と絶賛した。古代ギリシャにおいて、すぐれた人間が「神」の領域へと祭り上げられるという伝統を踏まえた「神格化」という言葉。ベートーベンの生み出した名曲の魅力を伝えて余りある。 生命というものの質は活気に満ち溢れた動きの中にある。そして、生命の活気は私たちをどこへ導くかわからない。 小林秀雄はかつて、川端康成に向かって「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。」と看破した。「何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕

    babayuhei
    babayuhei 2009/04/16
    歴史の中には偉人たちが数多く登場する。彼らが与えるインスピレーションが、人類の文明を前進させる。その光輝に私たちは惹き付けられる。しかし、本当に味わうべきはその世間的栄光ではなく、無名時代の孤独である
  • 茂木健一郎 クオリア日記: すぐれた実存主義者

    実存主義の哲学によれば、 人の質(essence)というものは 最初から存在するのではなく、 その人が積み重ねる選択(choice)、 そしてコミットメントによって 形づくられていくものである。 サルトルは、「アンガージュマン」 という言葉で、質を作り上げて いく行為の重要性を表現した。 夏目漱石が、東京帝国大学を 辞めて朝日新聞に入るという 「決断」をしたことは、その後の 漱石の「質」が形成される 上で重大な意味を持った。 大学を辞して朝日新聞に這入ったら逢う人が皆驚いた顔をして居る。中には何故だと聞くものがある。大決断だと褒めるものがある。大学をやめて新聞屋になる事が左程に不思議な現象とは思わなかった。余が新聞屋として成功するかせぬかは固より疑問である。成功せぬ事を予期して十余年の径路を一朝に転じたのを無謀だと云って驚くなら尤である。かく申す人すら其の点に就ては驚いて居る。然し

    babayuhei
    babayuhei 2008/07/23
    (漱石)新聞屋が商売ならば、大学屋も商売である。商売でなければ、教授や博士になりたがる必要はなかろう。月俸を上げてもらう必要はなかろう。勅任官になる必要はなかろう。新聞が商売である如く大学も商売である
  • 茂木健一郎 クオリア日記: ジンジャー

    グラスゴーに移動。 翌朝早く、アイラ島に飛ぶ。 飛行場を降りると、金寿煥さんが ガオーと咆哮した。 その一瞬をとらえる。 幸先の良いスタート。 金さんとタクシーに乗る。 運転手のラモントは気のいいやつ。 金「ウィスキーで好きなのはどれですか?」 ラモント「誰が払うかによるね」 茂木「自分で払わないとしたら?」 ラモント「ラフロイグは、オレには、強すぎる。 ボウモアがちょうどいいよ。」 そのボウモア蒸留所を訪れる。 海に面している。 気持ちの良い風の中に、輿水さんと立った。 大麦を発芽させ、デンプン質を糖分に 変えて発酵しやすい状態にする 「モルティング」の過程。 発芽しすぎないように、時々、スコップで 大麦を返す。 その作業をデーヴィドに教わって、 輿水さんと一緒にやった。 撮影するのは、新潮社の佐藤慎吾カメラマン。 一通り見学した後、ティスティング。 金が、まるでその道の通のように、 「

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    babayuhei 2008/06/08
    「ウィスキーを飲むやつは沢山いるが、ボウモアでピートを切った、と言うことができるやつは、数少ない。お前は、家族や、友人や、子どもや孫に私はボウモアでピートを切った、と言うことができる。」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: ブラックホール

    Salt Lake Cityは、いわゆるMormonの人たち (The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints)の聖地である。 そもそも、Salt Lake Cityという街自体が、 Brigham Youngらの開拓者によって つくられた。 Temple Squareには、さまざまな建物があって、 その入り口をふらふらしていたら 中から声をかけられて案内された。 歩きながら、どのようなことを信じている のか、穏やかな口調でお話下さった。 私は学生の頃からよくいろいろな 宗教の勧誘を受けたことはあって、 毎回丁寧に聞いたつもりである。 恵比寿の駅でアメリカ人二人に 声をかけられて、近くで話をじっくり 聞いたこともある。 生きる上で気に懸けるべきこと、 たとえば、他人を慈しむこと、 寛容の精神、苦難に耐えるべきこと。 このようなことについては、

    babayuhei
    babayuhei 2008/05/05
    現代の文明が、いわゆる生老病死を隠蔽していることだけは以前から問題とは感じている。しかし、そのような一人称の悩み、苦しみを、現代の最高の知的成果と整合性のある形ですくい上げてくれる、そんな体系はない。
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