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ブックマーク / www.tatsuru.com (8)

  • 東京ファイティングキッズ

    悪い兄たちが帰ってきた Tokyo Fighting Kids Return 1 内田さま ウチダくん、お久しぶりです。 東京ファイティングキッズの再開ですね。 前回の最後は、「今日の話は昨日の続き、今日の続きはまた明日」でしたね。 その明日が来るまで丁度一年間が経過したわけです。 その間にぼくたちの個人的な日常も、日の状況も、世界情勢も大きく変化しましたが、その変化が何を意味しているのかまだ判然としません。 まあ、ぼくは最近では変化はすれども成長せずといった世界観にとらわれていますので(なんのことやら分かりにくいと思いますが、どこかで説明できると思います。)、明日は今日より、よくならなくてはいけないとも思わないのですが。 ぼくたちはすでに五十余年生きてきたわけですが、事実としても、実感としても今日が、昨日よりよくなったとはとても言えないだろうと思っています。 けれども、諸行無常とあえて

  • Simple man simple dream

    平川克美君は内田の小学校以来の親友で、大学卒業後、いっしょにアーバントランスレーションという会社を創設した。(彼が社長で、ぼく社員) 平川君の卓越したビジネスセンスと先見の明のおかげで会社はどんどんビッグになった。 ぼくは大学院の博士課程まで進んだところで、ビジネスを続けるか研究者の道を選ぶか迷ったあげくに、愉快なビジネス弥次喜多道中を切り上げて、よりストレスフルで孤独な研究者の道を選んだ。理由はいまでもよく分からないけれど、平川君とは違う世界で同じ夢を追うほうが、ふたりにとってもっと愉快なことが起こりそうな気がしたからかも知れない。その直観はたぶん間違っていなかったと思う。 ぼくが合気道に夢中になりはじめたころに、(示し合わせたわけでもないのに)平川君は松濤館空手の門をたたき、いまでは松濤館空手の最高段位に達し、ヴェンチャービジネスの雄であると同時に斯界屈指の武術指導者になっている。 と

    bartleby0911
    bartleby0911 2009/01/06
    自分と仕事、自分とビジネスというフレームワークの中でしかものを見ていない。何か変である。ここには「他者」がいない。
  • Simple man simple dream

    中学生による暴力事件が相ついでいる。首相が異例のコメントは発表したり、なんだか社会的な地殻変動が起こったようなあわてぶりである。私は以前に、近いうちにこどもたちが社会の最も暴力的で、最も弱い環になるだろうと書いたことがある。そのとき私が「子供は弱い環だ」という言葉で言おうとしていたのは、「私たちの社会の集合的な連帯」が「こども」を起点にして寸断され崩壊してゆくだろうという陰な予想であった。悪い予想はよく当たる。 今回の事件について、またうるさく「学校が悪い」のか「家庭が悪い」のか「大人の社会が悪い」のかいった不毛な責任のなすりあいが始まるだろう。そのときに「偏差値教育」とか「受験のストレス」とかいうすりきれた言葉でなにごとかを説明しようとする識者がいるかもしれない。せめてそれだけはやめてほしいと思う。 はっきり言っておくが、中学生が暴力的な行動に出るのは「偏差値教育」や「受験のストレス」

    bartleby0911
    bartleby0911 2009/01/06
    生徒たちが「立場上採用している従順で注意深い態度」を教師に対する人格的恭順のしるしだと取り違える誤りと、そもそも学校教育に何も期待していない生徒の無気力な態度を教師に対する人格的反抗だととり違える誤り
  • Simple man simple dream-10 本を読もう

    今週は読書週間だそうである。新聞の社説が「みなさんを読みましょう」と激励しているけれど、朝礼の校長先生の訓話と一般で、こういうことを言われるようになるということはもう「もおしまい」ということである。 最近の若い人たちはを読まない。もちろんミステリーとかタレントとかファッション誌とかガイドブックとかファミコン攻略とかは読むのだろうが、「古典」とか「外国文学」とかになると全然読まない。もう、みごとなくらい、まったく、感動的なまでに、読まない。 先日、東京大学の先生とその話をする機会があった。その先生の授業で、「これまで読んだことのあるフランス文学作品の書名を書け」というアンケートをしたら、中にひとこと「カフカ」と書いた学生がいたそうである。 すると横にいた某私立大学の同じフランス文学の先生が「ははは、冗談じゃない。そんな程度で嘆かれては、こちらの立つ瀬がありません」と応じた。その先生

    bartleby0911
    bartleby0911 2009/01/05
    すぐれた書物は私たちを見知らぬ風景のなかに連れ出す。その風景があまりに強烈なので、私たちはもう自分の住み慣れた世界に以前のようにしっくりなじむことができない。そうやって、さらに見知らぬ世界に分け入るの
  • Simple man simple dream

    「上野千鶴子をどうやったらこてんぱんに批判できるか、考えて」という「隣の上野先生」のご依頼で、『「慰安婦問題」とナショナリズム』というを読んだ。 これは同名のシンポジウムの記録と、それへこコメントで構成されている論争的な書物である。論争に参加しているのは、フェミニストとマルクス主義者とポストモダニスト。私はこれらの陣営のいずれに対してもイデオロギー的には親近感を感じないのだが、やはりおのずと共感と反感の濃淡の差というものはでてくる。 いつ読んでも、やっぱり好きになれないのが上野千鶴子。 上野はこの論争では批判の十字砲火を浴びて満身創痍気息奄々である。歴史学者から論証のずさんさを指摘されたりするのはしかたがないとしても、フェミニストたちから、「ナショナリスト」と罵倒されるに至っては、身の不徳のいたすところというか、自分で掘った墓穴に落ちたというか。 上野をいちばん痛烈に批判しているのは岡真

    bartleby0911
    bartleby0911 2009/01/05
    私たちの理解を斥け、共感を絶する絶対的な異邦人のことを「他者」と呼んでいる。そしてそのような「他者」となおコミュニケーションを成り立たせたいと願う根元的な衝動を「愛」と呼んでいる。
  • Simple man simple dream

    「アダルト・チルドレン」というへんな言葉を最近目にする。 そのままの意味は「大人である子供」であるから、私は迷うことなくこれは最近多い「幼児的な大人」のことであろうと思っていた。禿頭のおじさんが熱心に『少年ジャンプ』を読み耽っていたり、カラオケで子供のころのTVアニメの主題化を絶唱したりしているさまを嘆いた言葉であろうかと思っていたら、違うようである。 もともと使われだしたのは(もちろんアメリカで)「アルコール依存症の親に育てられた子供」が成人後に持ち越すような固有の精神外傷を抱え込む事態を指す。つまり「大人になった『アルコール依存症の親に育てられた子供』(Adult children of alcoholics)」の最初の二語をとった略語である。 この理論によると、アルコール依存症だけでなく、あらゆる種類の依存症(アディクト)や機能不全家庭の子供は、成人後に特有の神経症的な傾向を示すとい

    bartleby0911
    bartleby0911 2009/01/05
    この「差別しつつ連帯し、嫌悪しつつ受け容れる」という背理的なみぶりのうちに社会の「健全」は集約されると私は思う。
  • Seven days in Tibet/松下正己

    updated on 17 oct 2000 Seven days in Tibet matsushita masaki 何故人は、どこかに旅をしたいと思うのだろうか。 その主な理由のひとつとして、旅の目的地である特定の「場所」に生きている不特定の人々に自己を投射=同一化し、束の間その人々の日常的な眼で世界を一瞥してみたい、という欲望に突き動かされることが挙げられるのではないか。 しかしどのように頑張ってみても、結局、旅行者は常に異邦人のままである。その「場所」の日常的な眼差しで世界を眺めることができたとしても、所詮それはほんの僅かな間のささやかな仮想体験にすぎない。 そうしていつのまにか旅は終わり、旅行者は家に帰る。住み慣れた世界、理解できる言葉をしゃべる人々、見飽きた風景。けれどもある時、そこにふいに旅先の視野が重なる。異国の街のにおいが甦る。その一瞬、世界は重なりあい、溶融し、再び分

    bartleby0911
    bartleby0911 2008/12/26
    けれどもある時、そこにふいに旅先の視野が重なる。異国の街のにおいが甦る。その一瞬、世界は重なりあい、溶融し、再び分離する。世界は束の間多義的なものとなる。
  • Session Talk with Taguchi Randy

    Session Talk with Taguchi Randy on Levinas and Aikido 2003 19 Dec. in Re-set, Sannnomiya 田口 最近レヴィナスに惹かれているんです。きっかけは、友人の熊野純彦さん(哲学者)がご著書の『レヴィナス入門』というを私に送ってくれたことでした。それまでレヴィナスのことは何も知らなくて、レヴィナスってきれいな名前だななんて思ったくらい。ところが読んでみて、とても興味をもってしまいました。死者に対するレヴィナスの困惑の仕方が、すごく自分と似ているという気がして、とても惹かれてしまったのです。 内田 そうかもしれないですね。他者は死者ですから。 田口 レヴナスは面白いね、という話を晶文社の編集者さんにしたら、レヴィナスならば内田先生ですよと教えられました。内田先生はレヴィナスの翻訳もされ、生前のレヴィナスにもお会い

    bartleby0911
    bartleby0911 2008/12/26
    生き残った人間が自分が生き延びたことの理由を「あとづけ」しなければならなくなったとしたら、その人間には仕事は1つしかない。【レヴィナスについて】
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