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それが勉強であっても遊びであっても、何かの問題に対峙したときには、まずはその問題とどう向き合っていくのか、自分の覚悟というか、計画を「これ」と定めておかないと、努力を積むときの効率がずいぶん変わってくる。 人間の先を超えた人 難しすぎて、人間には攻略不可能なんじゃないかと言われていた「怒首領蜂 大往生 デスレーベル」をクリアした人のインタビュー記事 が興味深くて、未だによく読み返す。 ゲームを攻略するときには、「リソース管理」と「クリア計画」という考えかたがあって、自分にはとても新鮮なものたに思えた。 <引用> クリアの計画とは普通のシューティングゲームを攻略する場合に使う大局的な考え方で、コンティニューしても何でも良いのでとりあえず1回ラスボスを拝むところまでプレイした後に、ラスボスを倒すためには何が必要かを見積ります。 具体的には、まずラスボスを確実に倒すためには残機が何機必要で、ボム
http://d.hatena.ne.jp/kanedo/20100309/1268136348 高校時代の友人がこんな良エントリを書いてくれました。自分の場合はこんなに知性的な文章やら色んなアドバイスは出来ないけれども、あくまでも自分なりに書いてみようかな、と思います。元記事ばこれから大学に入学する新入生のために、となっていますが、あえてそこだけに絞ることもないかなぁ、ということで。就職に関しての意見をかなり交えていますが、就職活動等を行っていない人間なので、間違いはかなり多いかと思います。 大学とはどういったものか、を再認識する そもそも忘れがちなのは、「大学は学問をする所である」ということです。「学歴を作る所」ではありません。「そんな勉強なんてしたくない」、という意見を持っている人は多くいるかと思います。大学はモラトリアムを堪能するべきだ、サークル活動などに力を入れるべきだ、大学の勉
私は医師であると同時に薬剤師である。管理薬剤師を3年ばかりやっていたこともある。 ここで述べることは、業界内の人間にとっては、ほとんど常識とも言うべき事柄であるが、マスコミやWebに流れることはない。業界にとって不利な事柄だからである。(テレビ業界にとっての電波利権のようなものだ) 50年前の医薬品は不均一で不安定だった。品質や有効性や真贋を見分ける必要があった。また、薬は、製薬会社から供給される形態のままで患者に使うことができず、エキスを抽出したり、増量剤を混ぜて分包したり、打錠機で錠剤としたり、カプセルに詰めたり、ワセリンに混ぜて軟膏にしたり、溶かして水剤とする必要があった。輸液も、製品の種類が少なく、めんどうな調製を必要とした。そのためには、専門技術者が必要だった。 宮崎駿監督作品「魔女の宅急便」の冒頭で、キキのお母さんがやっている仕事が、かつての薬剤師の仕事だった。薬局は単なる小売
中学受験とか 昔中学受験とかいうのをさせられた。 別に自分でしようと思ったのではなく、当然親の意志。父親は超大企業のエリートで、バブル期に家を買うようなこともしてなかったので経済的に余裕がある家庭だった。なんか底値のころに家買ってた記憶がある。杉並区の駅まで徒歩十分のそこそこの広さの土地が 4500 万円とかの頃。 小学五年生の春から中野坂上にあった日能研に通っていた。日能研は成績順でクラス決まるとかいうシステムだったと思うけど、一応一番上のクラスだった気がする。 その中野坂上の日能研だったけど、算数の先生の体臭が臭くて耐えがたかったので親に泣き付いて吉祥寺の日能研に移った。あの人以上に体臭がキツい人に結局出会っていない。 吉祥寺の日能研には体臭が臭い先生はいなかった。かわりに理科の先生が生死に問題がありそうなレベルで太っていた。 吉祥寺の日能研でもなんか一番上のクラスにいた記
今週は、行政刷新会議のワーキンググループの会合が三回開かれ、いわゆる「事業仕分け」がなされた。日本にいたら、中継を見ていたところだが、出張中で見ることもできず、やむを得ないので、今日になって情報収集をしている。 三つのワーキンググループが並行して走るという興味深いやり方で、そのうちの第三ワーキンググループが学術行政にかかわるもので、とくに13日にいくつか気になる決定がなされた。スーパーコンピュータやSpring8については、それぞれ専門家が議論するのに任せよう。私はこれらの事業の予算縮減や、凍結は、それほど大きな問題ではないと考えている。それらはより時間をかけて、やっぱり実施が望ましいとなれば、後からやり直せるからだ。復活に成功すれば、研究が一定期間遅れるだけのダメージで済む。私が一番気になるのは、人材育成関係の事業の予算縮減である。人材育成・若手支援で道を誤れば、一世代の人材が欠落し、長
先週、中学受験における我が家の天王山が終わった。息子は、予想外にも、受験した中学すべてに合格し、第一志望の中学に進学することが決まった。指導してくださったサピックス下高井戸校の諸先生方にはお礼の申しようもない。 そんなこんなもあって、今回は、中学受験について思うところをまとめてみようと思う。こんな書き方をすると、サピックスに対する提灯記事だと思われてしまうだろうが、実際、半ば提灯ではあるが、(だって、箸にも棒にもかからない愚息をここまで仕上げてくれたのは、彼らの功績だからね) 、その実、いくつかの点で書くべき価値があると思ってるから書く。その第1点は、ぼくが以前に勤務していた塾は中高一貫校の生徒を対象とした塾だったので、ぼくが中学数学主任として教えたのも一貫校の中学生だったが、自分が一貫校の卒業ではないので、知らないことがたくさんあった。今、息子の受験を体験して、当時気づいてなかった多くの
アゴラの松本徹三さんが日本の中学受験を批判するエントリーを書いておられた。 今日、日本に住んで長くなるイタリア人の友人と食事をしましたが、彼は、中学を受験しているご子息のことで深刻に悩んでいました。この人はお父さんの代から学者だった教養人で、イタリアで知りあった日本人の奥さんは日本の某超一流大学の準教授です。そういうご夫婦ですから、息子さんを「中高一貫教育をしてくれる良い中学校」に入れたかったのですが、うまくいっていません。 中略 私の考えは、目の前にいる私の友人の子供である、日伊混血の可哀想な少年のことから、日本人の若者全体の将来のことに広がりました。何も知らずに、「塾システム」に象徴されるような「日本の奇妙な教育システム」の中にどっぷり漬かっていく日本の若者達の方が、実はもっと可哀想なのだと思えてきたのです。 教育の改革は火急の問題 結論からいうとこれはとんでもない思い違いという他ない
今回も教科書ネタ。 学生の論文には、読んでいて面白いものと、苦痛なもの指導しがいのあるものがあります。後者のような論文を書く学生は、論文についてこう考えていることが多いです。 興味のあることを見つけて、それについて文献を読み、それをまとめて、最後に自分の意見を書く。 こういう指導をされている先生方は意外に多いのではないかと思います(自分も昔はそうでした)。指導がラクだし。しかしこれは論文を書くときの方針にはなりませんし、してはダメです。 論文とは「研究成果」のアウトプットの1つです。少なくとも社会学における研究とは、解かれていない謎や決着のついていない問いを自分で見つけ出し、データ等の証拠を使ってそれに答えることです。(それ以外の論文もありますが、まず基本を抑えないとダメです。)上記のダメ方針は、研究と単なる勉強を取り違えているのです。 研究の手順は標準的に教えられているもので十分です。
まとめ 「なんでも質問する」姿勢は重要! 適切な答えは適切な質問からしか得られない。 適切な質問をするのは簡単ではない。たくさん質問をしてみるということだけが適切な質問を得るための唯一の方法。 「他人に向けて発するのは適切な質問だけ」という内部規定を作るとまったく質問できなくなる。 「ググってから質問する」という行動をとると回答を得やすい 誰もが常にどんな質問にでも答えてくれるわけではない。 多くの人にとって、何度も同じことについて答えるのは嫌だし、自分が苦労して得た情報にはそれなりの対価を払ってもらいたいと思っている。 質問に対する答えを効率良く得るという観点から見ると、質問者は、回答者が「答えたくない」と思う理由を極力減らすべき。 今の自分にとって最大限の努力の結果として「わからなかった」ということを回答者に伝えた方が回答者は答えおよび答えにつながるヒントを教えてくれる確率が上がる。
職業としての大学教授 (中公叢書) 作者: 潮木守一出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2009/10/11メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 66回この商品を含むブログ (16件) を見る 著名な教育学者、潮木氏がいうのだから、説得力がある。こういうことをいう人は多かったが、大学関係者から出たところが大きい。 とにかく引用する。 日本の大学教員は我が身を守ることには懸命になるが、その後継者世代をどうやって確保するのかに対しては極めて冷淡で、その結果、博士課程は目下、いまだかつて経験したこともない危機的な状況に陥ってしまった。青春は二度と取り戻せない。ただちに博士課程の募集を一時停止してでも、全国の博士課程を持つ大学を中心に、さらには全大学を含めて、今後の大学教員育成の制度設計を見直す必要がある。 三〇歳まで「生業」につかなかった人間を受け入れる場などまったくない 現在の大学
2009年 07月 31日 カナダの高校生がプラスチックを分解する細菌を単離した【追記】1年前のニュースでした【追記2】獲得賞金 結構昔から、プラスチックを分解する細菌がいるという話はあったと思うのですが、最近はどちらかというとそういう細菌を探すことよりは、そこらに普通にいる細菌によって分解される生分解性プラスチックの開発に重心が移ってきたように思っていました。 ところが、GIGAZINEが翻訳したWIRED SCIENCEには、高校生がプラスチックの買い物袋の分解することに成功して、カナダの科学祭で表彰されたという記事が載っています。もし、ほんとうならば大人達があきらめた夢を高校生が実現したことになります。 16歳の高校生が3ヶ月でプラスチックを分解する方法を発見(GIGAZINE) Teen Decomposes Plastic Bag in Three Months (WIRED S
環境破壊の代名詞の一つが、そこら中に捨てられてしまったプラスチックゴミ。生ゴミはたとえどこかに捨てられていてもやがて微生物が分解してしまうのであまり害はないのですが、プラスチックやビニール袋は分解されにくいため、長く残り続けてしまうのが問題でした。 しかし、16歳の高校生がわずか3ヶ月でプラスチックを分解できる方法を見つけ出したそうです。 詳細は以下から。 Teen Decomposes Plastic Bag in Three Months | Wired Science | Wired.com プラスチックの分解には何千年もかかるといわれてきましたが、カナダの高校生Daniel Burdさん(16)はなんと3ヶ月で分解する方法を見つけました。 Burdさんは、たとえ千年かかってもプラスチックを分解させる何かは存在しているわけで、それはきっとバクテリアだろうと当たりをつけました。そして、
ある日、真ん中の兄*1と話していました。 俺「俺って結構理系っぽい思考パターンしてると思うんやけど」 兄「それはない。」 俺「何で?論理的な思考は結構得意な方やと思うで?」 兄「お前は自分が正しいと思うかどうかで物事を考えてるやろ。 それは典型的な文系型思考パターンや。」 この言葉で文系と理系の違いの本質に気づかされ、目の前が晴れた気がしました。 すなわち、文系と理系の違いは 文系・・・考えるときの基準が、自分の内心(自分が正しいと思うかどうか) 理系・・・考えるときの基準が、自分以外の客観的な事実 なのです。 一般に自然科学は理系といわれますが、この分野では実験で得られたデータや観察によって得られた客観的な事象を基に考察します。 一方社会科学や人文科学といったいわゆる文系の分野では、基本的に客観的なデータに基づいて考察することはせず*2、結論を出すに当たっては、客観的な事実と正しい論理を
指導教官にとって、大学院生やポスドクの論文原稿を改訂する作業は、生産的だが苦しい作業である。とても良く書けていて、内容にコメントすれば本人が自力で原稿を改訂できるというケースは、稀である。通常は、初歩的な文章の書き方から指導を始めることになる。 以前から、「論文原稿改訂のためのチェックポイント」を作りたいという構想を持っていた。今回、この構想を実行に移すことにした。数日前にAさんから原稿をあずかった。この原稿はかなり良く書けている。しかし一方で、大学院生やポスドクの論文原稿を改訂する際にしばしば遭遇する、共通性の高い問題点が目にとまった。そこで、これらの問題点を「チェックポイント」として一般化しながら、原稿の改訂作業を進めてみた。 以下は、イントロの7割程度を改訂した段階で整理できたチェックポイント。現状では原稿に登場した順に並べており、まだ体系化していない。当分の間、このようなチェックポ
「ゼミを何とか改善したい」みたいなことをここのところ結構主張してきて、それはそれなりに賛同を得られるようになってきていた。どの集団にもいいところと悪いところがあるだろうと思う。うちのゼミは、活発な議論が行われるところや、上から研究テーマを強制されることはないといったところは長所だと思うが、できの良くない発表をしてしまうと参加者(主に教授や先輩)から袋叩きにあうことがあって、それが原因でゼミと距離を置く学生が毎年数名出るといったところは短所だと思って、改善を志してきた。 勿論研究を目的に集まっている集団なので、研究ができない人間の居心地が悪いのは仕方ないことだと思うけど、一応教育機関なので、「駄目なやつは切り捨て」みたいなことが許されるのかどうかについては議論があっていいと思う。できないからこそできるようになりたくて院の門を叩くという場合もあるだろうし。最初からできる人間を欲しがるのは研究所
みなさんは、学校で「戦争学」や「軍事学」を学んだことはありますか? ハーバード大学の学生たちは学んでいます。 ハーバードの学生は軍事学も学ぶそれも、極めて専門的でレベルが高い授業が行われています。例えば1960年代のハーバード大学講座案内書によれば、以下のような講座が開かれていたそうです。「」内が授業のタイトルです。(伊藤憲一著「国家と戦略」p212による) 「国防政策」 軍事戦略と外交政策に重点をおいて講義する。キッシンジャー教授による。 「陸軍の組織と国家安全保障」 全面戦争と限定戦争の諸問題を検討する。 「軍事史と基本的戦術概念」米国における戦略および軍事戦略の発展を概観する。 「海軍史」 制海権の影響を中心に海軍戦略の基本を講義する。 「戦争学の発展」 アレクサンダー大王から南北戦争までの主要な会戦で使われた兵器と戦術を検討する。 「戦略と戦術の基本」 歴史的実例にもとづいて戦略の
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