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今回も教科書ネタ。 学生の論文には、読んでいて面白いものと、苦痛なもの指導しがいのあるものがあります。後者のような論文を書く学生は、論文についてこう考えていることが多いです。 興味のあることを見つけて、それについて文献を読み、それをまとめて、最後に自分の意見を書く。 こういう指導をされている先生方は意外に多いのではないかと思います(自分も昔はそうでした)。指導がラクだし。しかしこれは論文を書くときの方針にはなりませんし、してはダメです。 論文とは「研究成果」のアウトプットの1つです。少なくとも社会学における研究とは、解かれていない謎や決着のついていない問いを自分で見つけ出し、データ等の証拠を使ってそれに答えることです。(それ以外の論文もありますが、まず基本を抑えないとダメです。)上記のダメ方針は、研究と単なる勉強を取り違えているのです。 研究の手順は標準的に教えられているもので十分です。
ネット界隈は恐ろしいもので,日本の大学院のほとんどは屑,みたいな意見がわりと多く見られる. で,それを真に受けてかどうか知らないけど,ちょっとデキる奴は,すぐ東大院とかに進出しちゃうんだ.でも,オレは別の道もあると思うんだよね. ここでオレが対象にしたいのは,ちょっとデキる奴であって,超天才とかは知りませんよ. なんでこんなことを書こうと思ったかというと,今日晴れて奨学金返還の全額免除が決まったからである(内々定,みたいなものだけど). でも,これ,オレが地方大学にいるから免除されたんであって,東大とか京大とかだったら絶対ムリだったと思うんだよね. 一応,学振も通ったけど,これも,オレの実力というよりは,指導教員の実力で,指導教員だって,もしここが東大だったら,オレなんかに目をかけるはずはなかっただろうと思う. もちろん,何がなんでもアカポスに就く,じゃないと死ぬ,みたいな奴は,東大じゃな
もうどうしようもなく、勉強が大嫌いで困っている人へ。 じゃあ、なぜ、大学へ行こうとする? 大学生になったら遊べる、とか思ってる? それは迷信でしかないよ。 大学の募集人数と、受験者の数が、ほぼ同じになっている。 つまり、どこでもいいから大学入ろう、とか思えば、必ず入れる。 定員割れしそうな私立大学を受ければ、勉強なんて全く出来なくても、全員合格にしてくれる。 問題は、ここから。 実は、大学生になったら遊べる、というのは、勉強するもしないも生徒に任せきりの自由な校風を持つ、東大・京大などの国立大学や、早稲田などの難関私立大の話でしかない。 ほっといたら絶対に勉強しないような人が集まる、低レベルな私立大学では、当たり前だけど、自由な校風なんかやってない。 大学としてのグレードを上げるために、経営者側は、生徒に何とか勉強させようと必死になる。 つまり、レベルの低い私立大ほど、強制的に勉強させられ
体系的な知識や技術を身につけたいと思っています。たとえばプログラミングに関していえば、これまでたまたま興味を抱いたところをつまみ食いしていて、小手先の技術が少しは身についたものの、もうちょっとなにか深いことをやろうとしても、それだけではなかなか難しい。とはいえ、教育機関のようなところでやり直すわけにもいきませんし、かといって、なにかをただ作ったりしているうちにいつの間にか体系的な知識や技術が身につくというのも、そういうひともいるかもしれませんが、あまり考えられないことです。ではどうすればいいか……?と考えていたのですが、先日ちょっと思いついたので、とりあえずまずは実践してみたいと思いました。 というのはつまり、学習したいと考えている、なにかそれなりに大きな規模の分野について、自分で本を書くつもりで、あるいは、こういう本があったら体系的な知識を得られるだろうなあという本の目次を自分なりに書き
小学校のころ、私は四則演算が学校で一番速く出来た。そんな私だが、実は九九はほとんど覚えていなかった。 掛け算や割り算を速く行なうのに必要なのは九九じゃないことを私は知っていたからだ。 簡単な例を出そう。あなたは、40÷6をどうやって計算するだろうか? 九九を持ち出してきて、「6×8 = 48 あれ、大きすぎたか。6×7 = 42、ありゃ、まだ大きいか。6×6 = 36。おお、40より小さくなった。40-36 = 4だから、6余り4が答え!」なんてやらないだろうか。これは凄く無駄な作業だ。どう考えてもやり方がおかしい。 ここで必要なのは、九九ではなく、36〜41は、6で割ったら商は6という知識である。「余り」もセットにして覚えてあるとなお良い。 「÷6」をするとき、割られる数が60以上であることは考えなくて良い。また、もう少し一般化して言えば、「÷N」するときは、割られる数がN*10以上であ
Rethink Education Academic Earth was launched on the premise that everyone deserves access to a world-class education. In 2009, we built the first collection of free online college courses from the world’s top universities. The world of open education has exploded since then, so today our curated lists of online courses are hand selected by our staff to show you the very best offerings by subject
thir ノート:覚え書き。断片的かつあまりまとまりのない文章を記録/公開しています。詳しい方針は自己紹介にて。
このへんの話題について。はてな匿名ダイアリー:勉強が出来る=頭がいい?404 Blog Not Found:勉強が出来る=何がいい? 小学生のころ、学校のテストで苦労したことはなかった。「勉強ができる」子供だったと思う。 保育園児のころから本を読むのが好きだった。絵本も、図鑑や「かがくのとも」も好きだった。本を開くと、自分の知らない世界や、なぜかなつかしく感じられる世界に、体ごと入り込めるのが好きだった。幼児教育の類はまったく受けていなかったけど、何かのごほうびにねだるものは、たいてい本だった。 小学校に入学して、真新しい教科書をどっさりもらったときは、ほんとうに嬉しかった。《これだけの新しい世界が、私を待っているんだ!》嬉しくて嬉しくて、教科書を次々めくって読んでいたら、新入生の世話をしに来た6年生が、「おまえ、ほんとうに読めるのか?」と言った。くやしいので音読してやったところ、「じゃあ
勉強って、ほとんど頭使わないよね。 人様に言われたことを、やればいいんだから。 あんなに頭使わなくていいのに、親は小遣いくれるたし、会社も給料くれた。 親たちはそういう甘い経験をしてきたものだから、つい子供にも「勉強しろ」って言ってしまう。頭を使ったことがなかったんだね、親たちも。 勉強の意味を狭く捉え過ぎていると思うな。「勉強ができる」ということは「努力し続ける力がある」ということですよ。学生のときの勉強だけが勉強じゃない。 学生のころ勉強ができて、高学歴な人が、社会人になってぱっとしないということはあるかもしれない。その原因は明らかですよ。社会人になって勉強しなくなったから、だめになってしまったのです。 学生のときに必要な勉強と、社会人になってから必要な勉強は違う。それぞれの環境やステージによって必要とされる勉強は違うのです。 学生のころ勉強できたとしても、社会人になって勉強することを
勉強できる人が、頭が良い人じゃないなんて当たり前の話かと思っていたけど、こんなことが議論になること自体が信じられない。 元々の議論はここから http://anond.hatelabo.jp/20081221200806 勉強が出来る=頭がいい 僕はそう思って生きてきた。 でも、そのことを否定する意見が多い。 何故だ?世の中には勉強が出来ない奴のほうが多いからか? そいつらが勉強が出来なくても自分は頭がいいと仮定なしで信じたがっているのか? 本質的な頭の良さは勉強なんてものに関係ないと「勉強もできない」のに主張しているのか? 理由はよくわからないが、負け犬の遠吠えだろうな。 わからないのかぁ。それがなぜじゃち考えて答えを出せるかが、頭が良いか、悪いかの違いだと思うけども。 わからない人がいること自体に超ビックリしたし、コメントとか的外れなものばっかりでそれにもすっごくビック
2008年12月22日16:30 カテゴリArt 勉強が出来る=何がいい? それって頭がいい人が増えて来た証拠だ。 勉強が出来る=頭がいい? 勉強が出来る=頭がいい 僕はそう思って生きてきた。 でも、そのことを否定する意見が多い。 それじゃあ、勉強が出来る人が何がいいのか。 頭じゃなくて、都合。 学校では教師にとって、会社では雇用主にとって。 そりゃそうだ。命令する方から見たら、自ら努めて強いる子の方が、かれこれ質問する子よりずっとありがたい。 ついでに、「勉強が出来る」が「頭がよい」ことでない説明も。 勉強って、ほとんど頭使わないよね。 人様に言われたことを、やればいいんだから。 あんなに頭使わなくていいのに、親は小遣いくれるたし、会社も給料くれた。 親たちはそういう甘い経験をしてきたものだから、つい子供にも「勉強しろ」って言ってしまう。頭を使ったことがなかったんだね、親たちも。 ところ
河合塾大阪校で講演。 予備校生たちをお相手に一席。 お題は「日本人はなぜ学ぶ意欲を失ったのか?」 せっかくの休日に私の講演を聴くためにわざわざご登校くださった奇特な予備校生たち200人を前に、どうやったら受験勉強が楽しく捗るかというお話をする。 あらゆる受験生は「なぜこんな勉強をしなくちゃいけないのか」という根源的懐疑につねにとらわれている。 当然ですね。 もちろん、受験勉強の必然性はわかっている。 それができないと大学に入れない。 いくつかの教科に現実の実用性があることもわかっている。 例えば、英語ができると英語話者に道を尋ねられたときに、「道を尋ねられた」ということがわかる。古文ができると埋蔵金の隠し場所を書いた古地図などを解読するときに有用である。 だが、必然性と実用性を理解しているだけでは、自分の知的パフォーマンスを向上させることはできない。 受験生としては、そういう外づけ的な理屈
はてなでこのIDを取得してからあと数日で3年、そしてあと数週間で10代も終わり。けじめをつけるなら今だと思いました。でもWebでの活動をやめるつもりはありません。今までありがとうございました。またどこかで会いましょう。2008年5月14日
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