死刑で死ななかったら無罪となってそのまま釈放されるという話を聞いたことはないでしょうか? 実は明治時代に死刑執行後に蘇生した人物がおり、その後、すでに刑は執行されているからとの理由で再度死刑となることはなく、自由の身となったことがあるのです。 その人物は田中藤作といい、伊予松山藩(現在の愛知県付近)で起きた暴動の際に租税事務所に火をつけたことにより逮捕され死刑となりました。死刑執行後に親族が亡骸を引き取り、棺桶に入れて運んでいたところ、途中で蘇生し、生きて自宅のある村に帰り着いたのです。 田中が蘇生したことは村人たちによって届けられたのですが、死刑になった罪人が蘇生するなどという事件は前代未聞であったため、どの様に対処するべきか決まりません。 そのため中央政府の判断となったのですが、返ってきた指示の文書は「スデニ絞罪処刑後蘇生ス、マタ論ズベキナシ。直チニ本籍ニ編入スベシ」というものでした。
味噌は醤油と並んで古くから使われてきた日本を代表する調味料のひとつです。 食品を麹と食塩によって発酵させて製造したペーストまたは液状の調味料を醤(ひしお・ジャン)といいます。醤油は大豆から作る醤ですね。 味噌はもともと未醤(みしょう)と呼ばれており、醤になる前のまだ粒が残った状態の調味料という意味だったと考えられています。 日本の文献に未醤が登場するのは奈良時代までさかのぼることができ、とても歴史があることがわかります。これより昔になるとイマイチはっきりしないようで、中国から伝来したとも、日本で独自に作られたとも言われます。 そんな味噌が全国各地で盛んに作られるようになったのは戦国時代の頃。 味噌は塩分が豊富で保存が聞くことから兵糧として重宝されたそうです。芋の茎を編んで縄にして味噌で煮しめて作る「芋がら縄」が有名で、荷物を縛る縄などに使用して、食料がなくなるとこれをちぎって煮るなどして食
この記事を書いているのは2019年10月27日、10月の最後の日曜日です。それで、今日は実は「義母の日」なんですけど知ってましたか? 日本では「母の日」は広く知られていて、毎年カーネーションやプレゼントを贈る方も多いと思います。 母の日は世界中のいろいろな国にあって、由来も様々だそうですが、日本の母の日はアメリカに由来しています。 アメリカで南北戦争中に、敵味方を問わず負傷した兵士を看護する活動をしていたアン・ジャービスという人がいました。アンの死後、娘のアンナ・ジャービスが母のために協会で記念会を開き、白いカーネーションを贈りました。これがアメリカの母の日の由来です。 この記念会が行われた日から毎年、この地域で母の日が祝われることとなり、次第に広まっていったというわけです。母の日にはカーネーションを贈る理由もここにあります。 日本では、1913年にアンナ・ジャービスのメッセージを受け取っ
「昔むかしあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。」 日本一有名な童話(昔ばなし)と言っても過言ではない桃太郎。その桃太郎の冒頭でおじいさんは「山へしばかり」に行くとありますよね。 しばかりってあの「芝刈」?山の芝生を手入れするの?と思ったら、これは誤解です。 おじいさんは山へ芝刈ではなく、柴刈に行くのです。この2つはどちらも「しばかり」と読みますが意味が違います。 柴とは山林に自生する小さな雑木やその枝などのことで、おじいさんは山に手頃な木の枝を集めに行ったのです。もちろん枝を薪にするためですね。 今では柴刈などという言葉はまず使わないために起きる誤解です。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く