江戸の知識エリートの実態 江戸時代に日本を訪れた西洋人が異口同音に語っているのが、日本人の教育水準の高さだった。当時、世界的に見ても、一般庶民までが文字を読み書きできる民族は日本くらいしかしかなかったという。庶民がそうなのだから、当時の知識エリートである武士にいたってはなおさらだ。 それを物語るエピソードを紹介しよう。 黒船艦隊を率いて浦賀に来航したペリー提督は、幕府に強く開国を求め、ついに翌嘉永七年(1854)に日米和親条約を締結して日本を強引に開国させた。このときペリーは幕府に、電信機や武器、そして蒸気機関車の模型などを贈っている。 模型といっても、今知られている鉄道模型とはかなり違う。時速30キロ以上のスピードで走る精巧なものであり、実際にレールを敷いて実演させている。ペリーの目的は、こうしたデモンストレーションを通じて日本人に文明の利器を見せつけて、日本が国際社会から取り残されてい
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