金子光晴の『寂しさの歌』の中に次のような一節があります。 遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもってきたんだ。 君達のせゐじゃない。僕のせゐでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。 寂しさが銃をかつがせ、寂しさの釣出しにあって、旗のなびく方へ、 母や妻をふりすててまで出発したのだ。 かざり職人も、洗濯屋も、手代たちも、学生も、 風にそよぐ民くさになって。 誰も彼も、区別はない。死ねばいゝと教へられたのだ。 ちんぴらで、小心で、好人物な人人は、「天皇」の名で、目先まっくらになって、腕白のようによろこびさわいで出ていった。 そしてこの長い詩は、以下のような一節で終わります。 僕、僕がいま、ほんたうに寂しがっている寂しさは、 この零落の方向とは反対に、 ひとりふみとゞまって、寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界といっしょに歩いてゐるたった一人の意欲も僕のまわりに感じられない
子供産んでからやっとこさ外出できるようになった嫁が恵比寿でランチしたいって言うから近郊の片田舎から車走らせてきたんだ。 慣れない道だし子供乗せてる緊張感と恵比寿っていう地名に対して浮足立っちまったんだろうな。 運良くすぐにコインパーキングも見つかって高級車ばっかり並んでる中で、安物だけど立ち回りのいい軽自動車だからぶつかる心配なくてよかったねーなんてお互い傷の舐め合いしながらなんとか車庫入れしたよ。 そんな浮ついた感じだからか、おしゃれなお店で綺麗に盛りつけられたランチ食べたけど食べたことないってだけで美味しいのかどうかなんて正直わかんねかった。 それでも都会風の生活エンジョイするみたいにコーヒーまでゆっくり楽しんで、付き合ってた頃みたいに会話も盛り上がったからか嫁さんは満足そうな顔してたからいいかって思ったさ。 色々大変だったけど、俺頑張ったなーなんて車出しに行こうとした時だよ。 ちゃん
同棲はじめてもうすぐ一年。 ここ数日残業続きで、 今さっき日付が変わる直前に家に帰ってきた。 家に入ったら目に飛び込む大量の洗濯物。 朝ごはんの皿も机にそのまま。 彼はスヤスヤもう寝てるし。 彼はお風呂洗いを気が向いたとき、ゴミ出し、私が夕ご飯を作った時だけ皿洗いをしてくれる。あと洗濯物も一緒に干してくれる。 料理は一切しない。包丁を持つと手が震える。 彼の実家からよく果物が届く。 届くと剥いて~と子供みたいに頼んでくる。 あとなぜか、アイスのゴミを机に置いたり(あとでベタベタくっつく)鏡に歯磨き粉を飛ばしたりする。つまり普通に暮らしてるだけで私が片付けることが増える。こまる。 私の方が朝出るのが早く、帰りも遅い。 帰りスーパーによって、クタクタでドアを開けるとだいたいゲームをして待っている。 先に帰ってるならなんかやってよ、洗濯物たたむとかって思うけどそれを言ったらでも30分くらい前に帰
1933年1月のヒトラー政権誕生後、わずか「半年」の間に、ヴァイマル共和国の議会制民主主義は、ナチ党の一党独裁体制に取って代わられた。しかも「合法性」の装いを維持しながら……いったいなぜそんなことが可能になったのか? 鍵を握るのは、ヒトラーがすべてを賭けて手に入れたかった「全権委任法」である (*石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』より「第四章 ナチ体制の確立」を特別公開) ←前回はこちら 3 授権法の成立 授権法 ヒトラーがすべてを賭けて手に入れたかったもの、それは授権法だった。 授権法は、「全権委任法」とも呼ばれる。それは、この法によって立法権が政府に託されるからである。首相は国会審議を経ずにすべての法律(予算案を含む)を制定できるようになる。近代国家を特徴づける権力分立の原則が壊され、行政府の長=首相への権力集中がなされる。しかも政府には「憲法に反する」法律を制定する権限までも与えられ
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