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ブックマーク / crd.ndl.go.jp (8)

  • 会津若松市で土産物として販売されている白虎刀という木刀の歴史が分かる文献を紹介して欲しい。 | レファレンス協同データベース

    以下の資料の記述をまとめたものである。 ①『会津の産業と観光』(福田要/著 会津産業観光振興会 1960年) ②『会津若松市史22 職人の世界』(会津若松市 2002年) ③『会津』昭和13年4月号(会津新聞社 1938年) 明治30年頃某宮様が会津に御来遊の際、市内某彫刻職人が白木刀を献上したところ、これを白虎刀と名付けて売ったらどうかと言われたのが始まりらしい。大正時代に入り、伊藤浪江氏ほか2名が作り、飯盛山で販売を開始した。その後鞘師である田原鹿之助氏が製造器具を開発した。昭和13年頃には市内に20軒もの製造業者があり、最盛期には約80万も製造されたという。若松以外にも東京・奈良・鎌倉など全国でも販売された。会津地方の山間部に多く生えていた朴ノ木やあすなろが使われた。朴ノ木は木の性質も素直で比較的そりにくいため、刀には最適だった。 ④『新聞でみる会津の昭和史』(小島一男/著 歴史

    会津若松市で土産物として販売されている白虎刀という木刀の歴史が分かる文献を紹介して欲しい。 | レファレンス協同データベース
  • 日本の新聞記事や放送映像で「死体」の掲載をしなくなったのはいつごろからか知りたい。参考になる資料を紹... | レファレンス協同データベース

    事例作成日 2016年01月13日 登録日時 2016/03/22 09:37 更新日時 2016/03/22 09:37 お役に立ちそうな資料は以下のとおりです。 ➀『新聞報道と顔写真』小林弘忠著 中央公論社 1998 <070.17GG/3> (21070552) 「残酷現場はいつから載らなくなったか」(p173~180) 新聞における遺体写真の掲載状況の変化について、記載があります。 ②『人権と報道を考える(法学セミナー増刊総合特集シリ−ズ39)』日評論社 1988 <070.1W/178> (12295515) 「⑨誘拐支店長監禁事件写真報道・藤沢バラバラ事件 配慮と品位に欠けた残酷報道」 (p71-72)に 「遺体写真も含めた残酷な写真の掲載に関して、新聞各社は具体的な報道基準は決めていない。しかし遺体写真については、明文化されていない掲載基準はある。外国の戦争報道で戦争の悲惨

    日本の新聞記事や放送映像で「死体」の掲載をしなくなったのはいつごろからか知りたい。参考になる資料を紹... | レファレンス協同データベース
  • 大名の伊達氏は、福島県にある伊達という地名が名字の由来だと聞くが、本当か?また、その地名はなぜ伊達と... | レファレンス協同データベース

    大名の伊達氏は、福島県にある伊達という地名が名字の由来だと聞くが、当か?また、その地名はなぜ伊達と言うのか知りたい。 NDC 系譜.家史.皇室 (288 9版) 参考資料 地方別日の名族 2 (・p11-15。当館請求記号、資料番号は、L288.3/S11/1、100033414) 日歴史地名大系 第7巻 (・p96に“伊達郷”の項あり。p609の3段目中世に「常陸入道念西(伊達朝宗)は伊達郡を与えられ・・」の記述あり。p680-は伊達郡についての記述。当館請求記号、資料番号は、L291.03/F25/1、100037423) 福島県伊達郡誌 (・p3に西山安丸曰く「伊達は射楯とも印達とも〈中略〉書きて、素盞鳴尊の御子五十猛神の御名より轉訛したる事明白なり 其原地は播磨国飾磨郡の印達郷なる事疑を入るべからず 今其由来を考ふるに陸奥国加美郡四竈村の伊達神社は延暦十一年田村麿の〈中略〉田

    大名の伊達氏は、福島県にある伊達という地名が名字の由来だと聞くが、本当か?また、その地名はなぜ伊達と... | レファレンス協同データベース
    betelgeuse
    betelgeuse 2015/07/30
    五十猛神(イソタケル)が訛った「印達いだて」地域が播磨国の「飾磨しかま」の地に。ここから平安時代に来た人々は衣立手や伊達や色麻や四竃などと地名や家名へ。伊達郡にちなむイダテ一族が秀吉に降ったらこの漢字
  • 「ひ、ふ」「み、む」「よ、や」のようにある数とそれを二倍した数とが、共通の子音を持っている事を最初に... | レファレンス協同データベース

    (1)辞典類の「数詞」の項(資料①p1231、資料②p641、資料③p537)を確認する。日における数詞について質問に関連する記述があるが、誰が説いたものであるかはわからない。資料①、②には、「ミ-ム、ヨ-ヤのような対立は…倍数法による命名と説かれ…」とあり。 (2)当館OPACを「数詞」をキーワードに検索した結果から資料に当たってみる。 資料④「数詞の歴史」p54、資料⑤「日語の数詞の語源」(安田尚道)p41に、「荻生徂徠」とあり、資料提供した。 資料⑤には、「日語の数詞には倍数法が見られる、という説がある。…このことを最初に説いたのは荻生徂徠(1666~1728)である。…」として、随筆集『南留別志』からの引用を載せている。 NDC 語源.意味[語義] (812 9版) 参考資料 ①『平凡社大百科事典 7』<031/77/7>(平凡社 1985年) ②『世界大百科事典 14 改訂

    「ひ、ふ」「み、む」「よ、や」のようにある数とそれを二倍した数とが、共通の子音を持っている事を最初に... | レファレンス協同データベース
  • 年賀状を出す意味、なぜ出すようになったのかを調べたい。 | レファレンス協同データベース

    【資料1】で「年賀状」を調べると、「平安のころより明治の初めまで、正月には…年始の挨拶をする習わしであった。これが、郵便が簡便に送れるようになってからしだいに流行し、現在の年賀状の形となった」とあります。生活文化の観点から調べましたが、【資料2】には、明治時代からの習わしである年賀状のことは書かれていません。事物起源事典をいろいろと見ていったところ、【資料3】に「明治三年十月二十三日の太政官令で新年賀詞の書式を示した」として、書式が書かれ、明治十二、三年以後、盛んになった恭賀新年のはがきの起源としているとあります。NDL-OPACの雑誌記事索引検索で「年賀状*歴史」を調べると、以下の雑誌記事が2件ありました。【資料4】のp19-21「年賀状と年始の客」の記事によると、「二百年以上も前になると…年始の挨拶に来た客に主人が留守ではまずいといった事情は、書状の場合には見られない。年賀状の時代は、

    年賀状を出す意味、なぜ出すようになったのかを調べたい。 | レファレンス協同データベース
    betelgeuse
    betelgeuse 2013/12/18
    司書の知恵袋
  • 江戸時代末期まで用いられた馬沓(馬草鞋)について知りたい。 | レファレンス協同データベース

    馬沓に関する解説のあった資料は下記のとおり。 『日史大事典』 藁、和紙、馬毛、人毛の馬沓が主で、徳川吉宗が西洋の新しい蹄鉄技術の導入に努めたが、日に定着しなかった。 『日馬術史 4』 馬沓の材料、種類の解説あり。 『騎行・車行の歴史』 江戸時代は蹄鉄は使われていなかった、馬の訓練では馬の蹄に藁沓をはかせた。 馬沓関する写真や図が掲載されている資料は下記のとおり。 『民俗資料選集 5 中馬の習俗』 p18に中馬のくつ(わらじ)の写真、p84-85に図1点と解説あり。 『図説 日の馬と人の生活誌』 p291 「馬の鞋」の写真あり。 『日馬具大鑑 4 近世』 p21に浮世絵、p60に紺芋沓の写真あり。 『馬追い街道 春季特別展』 p14-15 馬の沓の写真と履いている図があり。 『さきたま古墳群と北武蔵の農具』 p58にわらじ踏み台の写真あり。 『北武蔵の農具 実測図編』 p152にウ

    江戸時代末期まで用いられた馬沓(馬草鞋)について知りたい。 | レファレンス協同データベース
    betelgeuse
    betelgeuse 2013/10/16
    日本では蹄鉄のかわりだった「馬わらじ」について
  • 正倉院宝物の中の『国家珍宝帳』の全文を読みたい。 | レファレンス協同データベース

    東大寺献物帳』は、天平勝宝8年(756)から天平宝字2年(758)の間に東大寺の盧舎那仏に品々を献じた際の献納品の目録で、正倉院に5巻が現存します。 『国家珍宝帳』というのはその中の一つで、献納品の名称により『国家珍宝帳』、『種々薬帳』、『藤原公真蹟屏風帳』などと呼んでいます。 『国家珍宝帳』あるいは『東大寺献物帳』については、概要を説明したものや活字に翻刻されたもの、『正倉院展目録』等で部分的に紹介したものはありますが、全体をわかりやすく解説したものは見当たりませんでした。 以下に関係文献をあげておきます。 活字翻刻:『大日古文書 [編年]4』、『大日仏教全書 東大寺叢書一』、『寧楽遺文中』、『日の古文書 下』(相田次郎、昭和29年) 謄写翻刻:『校刊美術史料 寺院編 中』 複製:『東大寺献物帳』(明治13年) このうち、『校刊美術史料 寺院編 中』は活字の翻刻とはいえ、解題も

    正倉院宝物の中の『国家珍宝帳』の全文を読みたい。 | レファレンス協同データベース
  • 常用漢字「塚」の字体を決めた経緯について知りたい。〈、〉が抜けた経緯、説明文があるか。 | レファレンス協同データベース

    常用漢字を決める際の経緯で、「塚」の文字について固有に説明した資料は見あたらなかった。 『現行国語表記の基準 第6次改訂』(国語研究会 ぎょうせい 2001)の常用漢字表には「塚」が記載され〈、〉の入っている字体は丸括弧に入れられている。「常用漢字表」の「表の見方使い方」によると、見出しの字体は「便宜上、明朝体活字のうちの一種を用いて現代の通用字体を示した」と説明され、括弧入りの字体は「明治以来行われてきた活字の字体とのつながりを示すために添えた」「いわゆる康煕字典体の活字」だと説明されている。 以上の内容と、「常用漢字表」の字体の考え方について質疑が取り上げられている『国語審議会報告書 13』(文化庁 ぎょうせい 1979)を参考資料として紹介した。 自館目録により〈漢字〉〈表記〉関連の『新しい国語表記ハンドブック 第4版』『常用漢字のすべて』『現代日語講座 6 文字・表記』『明治以降

    常用漢字「塚」の字体を決めた経緯について知りたい。〈、〉が抜けた経緯、説明文があるか。 | レファレンス協同データベース
    betelgeuse
    betelgeuse 2008/04/10
    この件の参考資料 http://tinyurl.com/47we43 (webarchive,新潮社サイト) http://tinyurl.com/5x533g (そのDOCファイル) 関係者の話はWeb上になさそう
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