以下の資料の記述をまとめたものである。 ①『会津の産業と観光』(福田要/著 会津産業観光振興会 1960年) ②『会津若松市史22 職人の世界』(会津若松市 2002年) ③『会津』昭和13年4月号(会津新聞社 1938年) 明治30年頃某宮様が会津に御来遊の際、市内某彫刻職人が白木刀を献上したところ、これを白虎刀と名付けて売ったらどうかと言われたのが始まりらしい。大正時代に入り、伊藤浪江氏ほか2名が作り、飯盛山で販売を開始した。その後鞘師である田原鹿之助氏が製造器具を開発した。昭和13年頃には市内に20軒もの製造業者があり、最盛期には約80万本も製造されたという。若松以外にも東京・奈良・鎌倉など全国でも販売された。会津地方の山間部に多く生えていた朴ノ木やあすなろが使われた。朴ノ木は木の性質も素直で比較的そりにくいため、刀には最適だった。 ④『新聞でみる会津の昭和史』(小島一男/著 歴史春