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教養と教育に関するbeth321のブックマーク (11)

  • 恐竜を勉強したい=考古学は間違い!? うっかり専攻して後悔する人も…

    人生を大きく左右する進路決定。現在Twitter上では、恐竜の研究がしたいからという理由で、考古学を勉強する学部や学科に入り、後悔する人が多いというツイートが話題になっている。 いやほんと、「恐竜好きだから考古学やりたい」って言う子けっこういるみたいだからほんとにちゃんと教えておいてあげてください。 考古学入ったら恐竜はやりません。 考古学は人間をやります。 考古学は文系、古生物学は理系なので分岐間違えると詰みます — 妙見💩 (@myoken11) 2015年4月7日 「恐竜が好きだから将来は考古学者になりたい」 って言う子供がいたら、どうか 「古生物学を目指すために理系を選択しなくちゃね」 と教えてあげてください。 あとから理転するのはかなり手間なので、当に当に。 — 妙見💩 (@myoken11) 2015年4月7日

    恐竜を勉強したい=考古学は間違い!? うっかり専攻して後悔する人も…
  • 学歴が能力を測る指標であるという幻想

    大学時代の話。 ある日学寮で数人の寮生と共に留学生と雑談をしていたとき、彼の出身地が話題に上った。 彼はアルジェリア人であるらしい。 恥ずかしながら浅学なもので、アルジェリアという国がどういう国なのか、想像が及ばない。 モロッコあたりならこう、『カサブランカ』のイメージで、いやそれだってフィクションの中の一都市でしかなくて失礼な話だが、まあ、なんとなく。 誰ぞ気の利いた話題をひねりだせないもんかと他の学生に目を向ける。 すると、とんでもない言葉が飛び出すのである。 え? どこやっけそれ。 しかもひとりではない。仮にも旧帝国大学の学生のくせして、アルジェリアの位置を把握していない人間がぼろぼろいやがるのだ。 まあ、慣れているのだろう。アルジェリア人の彼は自国の位置を説明してくれる。だがまだ終わらない。 あろうことか目の前に居るアルジェリア人の彼が黒人でないことに驚くのである。 なに言ってんだ

    学歴が能力を測る指標であるという幻想
  • 知性と教養は経済を回す:日経ビジネスオンライン

    書店チェーンのリブロが、西武百貨店池袋店に構える店を6月で閉店するのだそうだ(ソースはこちら)。 残念なニュースだ。 しばらく前から撤退の噂が流れていることは知っていた。 私は気にしていなかった。 リブロの池袋店は、いつ通りかかっても活気のある店舗だったからだ。 もうひとつ、私が閉店の噂を信じなかった理由は、西武百貨店にとって、リブロが、ブランドイメージ(←西武グループが単なる商品を売る企業ではなくて、情報を発信しライフスタイルを提案する文化的な存在であるということ)を維持する上で、不可欠なピースであると考えていたからだ。 フロアマップの中にきちんとした書店を配置していない百貨店(モールでも同じことだが)は、長い目で見て、顧客に尊敬されない。まあ、書店を必要としないタイプの客だけを相手に商売が成り立たないわけでもない。それはそれでやって行けるものなのかもしれない。が、立ち回り先に

    知性と教養は経済を回す:日経ビジネスオンライン
  • 小説や科学者の言葉から「教養」とは何かを考える - roombaの日記

    はじめに 「教養」ってなんだろう? ということをときどき考えます。たぶん知識量だけではなく未知の事柄に向かう姿勢も含んでいるのだろうとは思うのですが、うまく言葉にできない。そんなわけもあり、読書中に教養に関する文章を見つけるとメモを蓄えてきました。ここではそれを放出し、自分なりにまとめてみます。太宰治・アインシュタイン・村上春樹・湯川秀樹・養老孟史らが登場します。 最近理系っぽい記事が多かったので、頭のバランスをとる意図もあったりします。 覚えることがすべてではない 大事なのはカルチベートされること?? 教養について考えるとき真っ先に思い浮かぶのが、太宰治の『正義と微笑』(新潮文庫の『パンドラの匣』に掲載)という小説の一節です。主人公(学生)の回想する、「黒田先生」の別れ際の言葉です。この記事は読まなくても以下の引用だけは読んでほしいです。 もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに

    小説や科学者の言葉から「教養」とは何かを考える - roombaの日記
  • 「理系」の教養教育

    「理系」の教養教育について雑感を記し、また戴いたご意見をまとめました。 目次: 1.「理系の教養」と「白黒」つけること 2.文系・理系問題といってよいのか? 3.古典語と数学 続きを読む

    「理系」の教養教育
  • ログミーBiz

    英語習得の近道は、ChatGPTで“自分で教材を作る”こと 『英語は10000時間でモノになる』著者がすすめる学習法

    ログミーBiz
  • 古典を読まない経営者は世界に通用しません:日経ビジネスオンライン

    リレーコラム「60歳と30歳でつくる」も、筆者のパートはいよいよ最終回です。 最後は、人にとって「幸せ」とは何だろうか、という大きなテーマについて考えてみましょう。 結論から先に申し上げましょう。 人間という生き物にとっての幸せは、「考える」ということによってもたらされます。「考える」ことは大脳皮質が発達した人間のみに与えられた能力です。あらゆることについて疑問を持ち、考える。社会常識を疑うところから科学は始まるのです。 人間が進化できたのは、常に「考える」ことを怠らなかったからです。人間の現世の幸せの多くは、人間自身が「考える」ことによってもたらされたのです。 ただし「考える」ことを楽しめるようになるには、「教育」が必要となります。「考える」楽しさを、教わっているかどうか。その後の人生における「幸せ」と大きくかかわってくる話です。 そこで教育です。 人間にとって教育は不可欠です。 人間社

    古典を読まない経営者は世界に通用しません:日経ビジネスオンライン
  • 擬音語はカタカナ、擬態語はひらがな?

    💙💛 k u r i t a 🐈‍⬛ 🐈 𓃭 𓃠 @kuri_kurita 国立教育政策研究所科のページから。 http://t.co/hTbL9tx2GP 『かたかなは、発音符号式に、特に発音を写すときに用いられることが多い。[…]「そろそろ」「くにゃくにゃ」というような擬態語も、かたかなでも書かれることがあるが、これは、ひらがなのほうが普通である。』 2014-01-07 04:06:20

    擬音語はカタカナ、擬態語はひらがな?
  • 音楽史の学び方 - ウラガミ

    こんなツイートを読みまして、 合唱の芸術性をちゃんと理解させるなら、楽譜の読み方もちゃんと勉強させるべきだし、音楽史についても少しは知っておくべきだし、演奏を多く聞いて感性を鍛えるべきだと思う。さらにいえば、著作権を軽んずるべきではなく、コピー譜ではなく、ちゃんと楽譜をかわせるべきなんだよな。— ロカルノ (@s_locarno) September 17, 2013 ふむふむと納得しながら読みました。 でも「音楽史について知ろうとしても、どう手を付けていいか分かんないよな-」と思ったので、独学での学び方を書いてみようと思います。 *ここでは音楽史自体ではなく、その学び方を書きます。また、ここでいう音楽史は西洋音楽史を指しています。 大枠をつかむ 体系化された分野の勉強をするとき、大事なのは「概要をなんとなく分かるようになってから詳細を学ぶ」ことだと思ってます。 で、そういう知識の付け方に

    音楽史の学び方 - ウラガミ
  • MITは「理系バカ」が役に立たないと知っている:日経ビジネスオンライン

    上田 紀行(うえだ・のりゆき) 文化人類学者、医学博士。1958年東京生まれ。東京大学大学院博士課程修了。愛媛大学助教授(93~96年)などを経て、2012年2月より東京工業大学リベラルアーツセンター教授。2005年の渡米時にはスタンフォード大学仏教学研究所フェローとして、「今の仏教は現代的問いに答え得るか」と題した講義(全20回)を行った。講義にディスカッションやワークショップ形式を取り入れるなどの試みを行っており、学生による授業評価が全学1200人の教員中第1位となり、「東工大教育賞・最優秀賞」(ベスト・ティーチャー・アワード)を学長より授与された。著書に、2006年の大学入試で出典数1位となった『生きる意味』(岩波新書)、『目覚めよ仏教!-ダライ・ラマとの対話』『がんばれ仏教!』(NHKブックス)など。(写真:大槻 純一、以下同 上田:なぜMIT(マサチューセッツ工科大学)がリベラル

    MITは「理系バカ」が役に立たないと知っている:日経ビジネスオンライン
  • 大学における教育-教養とキャリア - 内田樹の研究室

    去年の11月に追手門大学の建学45周年行事にお招き頂き、記念講演をしました。 そのときの講演録が活字になって配布されました。 手元にはデータが残っていましたので、ブログでご紹介致します。 だいたい「いつもの話」なんですけど、ところどころ「新ネタ」もあります。 はじめに 僕が第一回目の講師だということで多少不安に思っています。僕は3か月前まで大学教師だったのですが、今では大学のことを忘れつつあります。今日は「大学における教育」というテーマですので、記憶が残っているうちに語ることができればと思います。 この3か月で「あなたは変わった」と周囲の人に言われる機会が増えました。「以前はもう少し節度があった」そうです。当時は神戸女学院大学という看板を背負っていたため、自制していた部分も多かったのです。看板がなくなった途端、気楽になってしまい、各所で「言いたい放題」になっています。組織の中の人間は気づか

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