安政5年(1858)6月19日に締結された、日米修好通商条約。(World Imaging, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で) 井伊大老の始動と条約問題 安政5年(1858)4月23日、井伊直弼は大老に就任する。それまでの主席老中である堀田正睦体制からの大転換である。堀田は通商条約の勅許を求めて上京したが、朝廷・孝明天皇の思わぬ拒絶に狼狽した。 そもそも、朝廷は幕府に大政委任しているはずであり、またその台所は幕府からの援助で成り立っていた。朝廷と一蓮托生とも言える幕府の申出を、いまだかつて拒絶したことがない朝廷の想定外の対応は、幕府にとって大変なショックであったことは疑いない。ただし、孝明天皇は条約勅許に条件を付した。大名の総意であれば、勅許もあり得ると言うことである。 直弼は大老に就任すると、一橋慶喜ではなく家茂を将軍継嗣と決め、かつ通商条約については、堀田ら