有形文化財・歴史資料 福岡市東区 宗教法人筥崎宮 概要 筥崎宮の楼門を入った右手回廊に置かれている青銅製の大砲。砲身長328cm、口径13.4cm。 清朝の康煕二十八年(1689)の製作。製作指導はベルギー人のイエズス会宣教師、フヱルデイナンド=フェルビースト(Ferdinand Verbiest、1623〜1688)。フェルビーストは技術顧問、軍事技術顧問として天文・暦法・地理・砲術等々のヨーロッパの技術を清朝に伝えた宣教師。漢名は南懐仁。 明治41年(1908)海軍大臣斉藤実から筥崎宮に奉納された。昭和18年(1943)、金属回収の対象とされたが筥崎宮は保存を申請、翌年福岡県知事を通して「企業整備本部長」より「保存ノ要ナキニ付至急回収」の通知(回答)を受けたが終戦を迎え今日に至る。 法量 砲身長328 cm、口径13.4 cm。 砲首付近径26.8 cm、砲首-砲耳の中間付近径30.5
地球人の歴史 13.火器の帝国 ギリシアの火と中国の雪 717年、ビザンツ帝国の都コンスタンティノープルの城下にアラブ兵の大軍勢が姿を現した。都の南に広がる海も、無数の軍船によってうめつくされた。これは、ウマイヤ朝カリフのスライマーンが宿敵ビザンツを滅ぼすべく送り出した大遠征軍であった。 都の陸側は高さが最大17mにおよぶ三重の城壁が連なり、突破はほぼ不可能だったから、アラブ軍の攻勢は比較的弱い海側に向けられた。ところが、城壁にとりつこうとした船は一隻、また一隻と焼かれては沈み、攻撃は無惨な失敗に終わってしまう。 このときビザンツ艦隊が用いた秘密兵器が、「ギリシアの火」である。生石灰、松油、硫黄を混ぜた液体らしく、筒から噴射されると炎を発し、海面でも燃え広がり、水をかけても消えなかったという。決定的な役割を果たした最初の「火器」といってよい。 このしばらく後、中国・唐王朝のもとでは、激し
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