【ティフアナ共同】中米諸国から米国を目指す移民キャラバン(集団)のうち数百人が25日午前(日本時間26日未明)、米西部カリフォルニア州サンディエゴと国境を接するメキシコ北西部ティ...続きを読む
【ティフアナ共同】中米諸国から米国を目指す移民キャラバン(集団)のうち数百人が25日午前(日本時間26日未明)、米西部カリフォルニア州サンディエゴと国境を接するメキシコ北西部ティ...続きを読む
もう3月に入ってしまったということが信じられないが(ついこのあいだ年が明けたばかりだというのに!),このタイミングで去年出た東欧および隣接する諸地域の歴史についての日本語書籍の中でわたしがチェックし得たものを紹介してみようと思う。 以下のエントリで取り上げた本については取り上げないのであしからず。 「帝国」の想像力――『オスマン帝国と立憲政』『ロシア・シオニズムの想像力』の射程 - Danas je lep dan. ヨーグルトが育むナショナリズム――マリア・ヨトヴァ『ヨーグルトとブルガリア』について - Danas je lep dan. 『ハプスブルク君主国1765-1918』『「イタリア」誕生の物語』読書メモ - Danas je lep dan. 『西洋史学の先駆者たち』『英連邦』読書メモ - Danas je lep dan. スターリン期の大量死の評価をめぐって――ノーマン・ネ
年末ということで気温だけでなくお財布も寒くなる時期だけれど,面白い本が出版されたので紹介。ヨーグルトとブルガリア: 生成された言説とその展開作者: マリアヨトヴァ,Maria Yotova出版社/メーカー: 東方出版発売日: 2012/11/15メディア: 単行本クリック: 2回この商品を含むブログを見る 著者はその名からわかるようにブルガリア人。本書は日本の総合研究大学院大学に提出された博士論文が元になっている。ブルガリアといえばヨーグルト,と,日本ではすっかり定着した「ブルガリアヨーグルト」。「明治ブルガリアヨーグルト♪」というあのCMのフレーズは日本社会に長期間生きたことがあるならどこかで耳にしたことがあるのではないだろうか。本書は,「ヨーグルト」がブルガリアにとってどういう意味を持ったのかを明らかにしようとしている。 もともとヨーグルトは旧オスマン帝国支配下のバルカン地域で広く食さ
・管理人Twitter ・『世界軍歌全集』補完頁 . 更新履歴 2013/6/15 「民族は起ち上がる!(映画『コルベルク』挿入歌)」 2013/6/13 「進めボルシェヴィキ!」 2013/5/23 「カチューシャ(ドイツ語版)」 「公然たる進軍」 2013/5/22 「国際学連の歌(ドイツ語版)」 2013/5/10 「アルメニア・ソビエト社会主義共和国国歌」 2013/4/16 「楽譜 国民の歌」 2013/4/4 「鉄兜団歌」 2013/3/25 「反社会的音楽」 2012/12/23 「放送軍歌」 2012/12/20 「建国十周年慶祝歌」 2012/12/12 「われら装甲師団」 2012/7/23 「進め!」 ▼更に過去の履歴 . ・歌集復刻 ・リンク 当サイトはリンクフリーです。リンクはこのトップページにお願いします。著作権、プライバシーポリシーなどの情報はこちら。
アファーマティヴ・アクションとは、アメリカの歴史や政治で使われる用語である。 差別に苦しめられてきたエスニック集団の人びとを優遇する政策のことだ。著者は、ソ連こそ世界史上初めて少数民族のためのアファーマティヴ・アクションを実現した国家と考える。地元民幹部の積極的登用や民族語の公用語化などがその具体例である。 レーニンやスターリンは、ナショナリズムの巨大な力を見抜き、これを社会主義に利用するために民族の枠組や形式をつくることで、反革命を団結させるナショナリズムの力を骨抜きにしようとした。ナショナリズムの武装解除を、民族らしい形式を整えながら実現しようとした戦略こそ、「アファーマティヴ・アクションの帝国」だったというのだ。 ナショナリズムは動員力のある極めて危険なイデオロギーであり、階級を超える結束をもたらしかねなかった。レーニンたちは、民族意識も歴史が通過すべき一段階であり、非ロシア人による
近代国家における「国民」の創出に寄与する装置といえば学校と軍隊であるというのは今さら言うまでもないが,その事情は「いくつものアイルランドをひとまとめにしたような」*1ハプスブルク帝国においても変わることはなかった。 アウスグライヒ(Ausgleich)後のハプスブルク帝国,すなわちオーストリア=ハンガリー帝国の共通軍は,諸民族に最低限のドイツ語能力だけを要求し基本的には民族語で兵営における生活を営むことができる場であった。それは立派に国民統合機能を担っていたと言っていいだろう*2。 しかしながらそれは諸民族の配属などの絶妙なバランスの上に成り立ったもので,根本的に非常時の制度では有り得なかった。大津留厚の表現を借りれば,「ハプスブルク軍は戦争をしてはならない軍隊だった」*3。総力戦という新しい戦争のかたちはそのような統合を容赦なく突き崩した。弱体のハプスブルク軍が,中欧の同盟国ドイツに
以下の記事を読んでちょっと考えた。 (……)欧米も植民地に学校を作ったし、人口は増加した。日本は欧米と違い、現地人を平等に扱ったというが、その証拠は日本語教育や日本文化の注入などの同化政策であり、19世紀フランスの同化主義や、19世紀後半のロシアの同化政策を全く無視している。日本も欧米の植民地になったとして、何が問題なのか? - 上田亮の只今勉強中 そもそも19世紀後半のロシアに「同化政策」なんてあったのかしらん? イギリスのロシア史研究の大家,ドミニク・リーヴェンは次のように指摘する。 (……)ロシア帝国は伝統的に,イギリスよりはるかに同化主義的で,かなりの数の貴族ももともとはタタール人や遊牧民の出身だった。しかし,19世紀までにロシア人エリートの西洋化が強く影響し,非ヨーロッパ人を同化させようとする意欲も萎えてしまった。ロシアでは,遠い将来はともかく,おそらく同化不能で,ロシア皇帝の普
前に, 本質主義と構築主義 - Danas je lep dan. で書いたことをもうちょっと詳しく。 ゲルナーら構築主義者はネイションは近代の構築物であると論じるが,それに異議を唱えたのがA・D・スミスだ。 彼はその1986年の著書The Ethnic Origin of Nations(巣山靖司,高城和義他訳『ネイションとエスニシティ――歴史社会学的考察』名古屋大学出版会,1999)の中で,ネイションの基盤となる人間集団としてのエトニ(ethnie)を提唱する。 これまでの議論を基礎とすれば,エトニ(エスニックな共同体)は,いまやつぎのように定義される。エトニとは,共通の祖先・歴史・文化をもち,ある特定の領域との結びつきをもち,内部での連帯感をもつ,名前をもった人間集団である,と。私は,このような共同体が,〔……〕歴史のあらゆる時代において,広く分布してきたことを示したい。〔……〕*1
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