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ブックマーク / www.asahi.com (37)

  • 「樺太アイヌ」強制移住の悲劇 集落壊滅、危惧が現実に:朝日新聞デジタル

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    「樺太アイヌ」強制移住の悲劇 集落壊滅、危惧が現実に:朝日新聞デジタル
  • シベ語、知ってますか 危機の満州系言語、東京で書道展:朝日新聞デジタル

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    シベ語、知ってますか 危機の満州系言語、東京で書道展:朝日新聞デジタル
    bitheiboo
    bitheiboo 2019/11/26
    すばらしいの一言。読める!読めるぞ!
  • 李香蘭が語るアジア:朝日新聞デジタル

    戦時下の旧満州、日の国籍を隠し、中国人名で活躍した女優がいた。李香蘭こと山口淑子さんが晩年、大陸の写真を前に記憶を語った

    李香蘭が語るアジア:朝日新聞デジタル
  • 南満州鉄道「あじあ号」が中国で公開 新幹線の原型とも:朝日新聞デジタル

    旧満州国(1932~45、現在の中国東北部)で日の南満州鉄道(満鉄)が運行した「あじあ号」の蒸気機関車が、遼寧省瀋陽市の瀋陽鉄路陳列館で今月初めから一般公開された。「超特急」と呼ばれた満鉄の看板列車は鉄道模型などとして日でも人気が高く、鉄道ファンを呼び込む観光資源となりそうだ。 展示されているのは、あじあ号の客車を牽引(けんいん)した蒸気機関車「パシナ」751号機と757号機。751号機は明るい青、757号機は緑に塗装されている。 いずれも1934年に製造された全長約26メートルの車体で、直径2メートルの巨大な車輪を備えている。同館によると、パシナは当時、12両製造され、現存するのはこの2両だけという。 あじあ号は最高時速130キロ、平均時速は70~80キロ程度で、当時の日技術で最高水準の高速列車だった。速度を出すための流線形の機関車は新幹線の原型とも言われる。 34年に運行が始ま

    南満州鉄道「あじあ号」が中国で公開 新幹線の原型とも:朝日新聞デジタル
  • 戦後抹消命じられた「戦争ごっこ」 80年前の映像記録:朝日新聞デジタル

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    戦後抹消命じられた「戦争ごっこ」 80年前の映像記録:朝日新聞デジタル
    bitheiboo
    bitheiboo 2019/04/22
    ものすごく本格的な「戦争ごっこ」。
  • 生田斗真演じる三島弥彦の素顔は 五輪後はエリート行員:朝日新聞デジタル

    マラソンの金栗四三(かなくりしそう)(1891~1983年)とともに1912年ストックホルム五輪に出場し、日初の五輪選手となった三島弥彦(やひこ)(1886~1954年)。NHK大河ドラマ「いだてん」では生田斗真が演じている三島の当時の日記や写真などが、孫・通利(みちとし)さん(67)の東京都内の自宅で大量に見つかった。若き日の金栗と一緒に写った写真もある。 大河ドラマで女学生に大人気のスポーツマンとして描かれている三島は、薩摩藩士で警視総監を務めた子爵三島通庸(みちつね)の五男。学習院中等、高等学科の頃から野球部の投手として鳴らしたほか、陸上短距離、ボート、水泳、柔道、相撲、スキー、スケートなど多競技で活躍した。東京帝大に進んでから格的に始めた陸上短距離で頭角を現し、11年に羽田競技場で行われた五輪予選会に金栗らとともに出るとし、100、400、800メートルで1位に輝き、翌年の五輪

    生田斗真演じる三島弥彦の素顔は 五輪後はエリート行員:朝日新聞デジタル
  • 幕末製造の洋式銃など40丁見つかる 堺の鍛治屋敷から:朝日新聞デジタル

    全長2メートル超の火縄銃や西洋の技術を模索して製造した洋式銃など計40丁が、堺市に現存する鉄砲鍛冶(かじ)屋敷から見つかった。うち7丁は江戸末期の製造と特定された。鉄砲専門家らは、外国船来航に備えて堺の鉄砲生産が幕末にも増えたとする資料を裏付けるとともに、激動の時代の息づかいを感じられる貴重な資料としている。 この建物は鉄砲鍛冶・井上関右衛門の居宅兼作業場兼店舗で、市の指定文化財。井上家は江戸前期に堺に定着し、主屋も江戸時代初めに建てられた。明治末ごろまで鉄砲を生産していた。 2014年に屋敷の蔵などから大量の古文書が見つかり、市と関西大が共同研究を開始。ペリー来航直後の1855年に海岸防備のため大筒を幕府側に上納した記録など、鉄砲づくりが江戸中期以降衰退したという通説を覆す記述も見つかった。さらにその過程で40丁の銃を確認。年代の特定を進め、府教委へ古式銃の登録をしてきた。 26丁は火縄

    幕末製造の洋式銃など40丁見つかる 堺の鍛治屋敷から:朝日新聞デジタル
    bitheiboo
    bitheiboo 2019/04/19
    「ペリー来航直後の1855年に海岸防備のため大筒を幕府側に上納した記録など、鉄砲づくりが江戸中期以降衰退したという通説を覆す記述も見つかった。」
  • 国書に敗れた漢籍 改元支えた漢学の名家「宇野家」とは:朝日新聞デジタル

    4月1日。石川忠久・二松学舎大元学長は東京都内の病室で、新元号「令和」を発表する菅義偉官房長官の記者会見をテレビで見守った。菅氏が「典拠について申し上げます。令和は万葉集の……」と初めて国書を典拠にしたことを明かすと、一瞬驚いた表情を浮かべ、つぶやいた。「やっぱりかあ」 3月14日付で正式な政府の委嘱を受けた石川氏は漢詩研究の第一人者。実は2年前の夏までに、計13案を考案していた。政府から渡されたA4の提出用紙の束に1案ずつ毛筆でしたため、日漢学の聖地「湯島聖堂」(東京・お茶の水)にある執務室で、内閣官房の担当者に手渡した。 「万和(ばんな)」(典拠は文選(もんぜん))、「光風(こうふう)」(楚辞(そじ))、「弘大(こうだい)」(詩経)……。漢籍の元号案が続く中、担当者の顔色が変わった。石川氏にとっては専門ではない、聖徳太子の十七条憲法にある「和をもって貴しとなす」から採った「和貴(わき

    国書に敗れた漢籍 改元支えた漢学の名家「宇野家」とは:朝日新聞デジタル
    bitheiboo
    bitheiboo 2019/04/04
    興味深く、生々しい記事。「担当者は「首相も喜びます。これでいきましょう」。」とな。
  • 秀吉から清正へ「朝鮮出兵の命令書」、本物発見:朝日新聞デジタル

    豊臣秀吉(1537~98)が、武将加藤清正(1562~1611)に宛てて朝鮮出兵を命じた朱印状が見つかった。愛知県刈谷市の市歴史博物館が27日発表した。「文禄の役」で清正が出兵する直前に出されたものとみられる。 朱印状は縦21・5センチ、横125・5センチで軸装されている。竜のようなマークが特徴の秀吉の朱印があることや書状の紙質・形状などから物と断定した。 清正に対し、「(第1軍の)小西行長らに朝鮮出兵を命じたので、お前も出陣せよ。異国の者はそんなに強くないと思って、決して油断しないように」と伝える。また、「先に行った者たちが道中で詰まっているので、皆で相談してスムーズに進めるように」という趣旨の秀吉らしい細かい指示もある。3月23日の日付があり、文禄の役で第2軍を率いて4月に出兵した1592年のものと推測される。 博物館によると、内容自体は福岡藩の黒田家に伝わる古文書に引用されている黒

    秀吉から清正へ「朝鮮出兵の命令書」、本物発見:朝日新聞デジタル
    bitheiboo
    bitheiboo 2019/03/28
    「3月23日の日付があり、文禄の役で第2軍を率いて4月に出兵した1592年のものと推測される。」
  • 秀吉の最古級の検地帳発見 信長配下時代の貴重な史料:朝日新聞デジタル

    羽柴(豊臣)秀吉(1537~98)が、織田信長の家臣として播磨(はりま、兵庫県南西部)を治めていたころにつくらせた検地帳の写しがみつかった。県立歴史博物館(姫路市)が26日発表した。信長政権下の検地帳が確認されるのは珍しく、これまでにみつかった秀吉の検地帳の中でも2番目の古さ。専門家は、政権奪取後に秀吉が始めた太閤(たいこう)検地の成立過程を知るうえで貴重な史料として注目する。 検地とは戦国~江戸時代に領主が所領を把握するために実施した土地調査。検地帳は、その検地の結果をまとめた土地台帳を示す。 みつかったのは「播磨国飾東(しきとう)郡緋田(あけだ)村」(現姫路市四郷〈しごう〉町明田)の検地帳の写し(縦約32センチ、横約21センチ)。二つ折りにした18枚の和紙の表裏を使って計72ページに及ぶ。表紙に天正8(1580)年10月24日の日付と村名が記され、文には税をまとめて納める名請人(なう

    秀吉の最古級の検地帳発見 信長配下時代の貴重な史料:朝日新聞デジタル
  • 天皇の棺を担いだ普通の人々 700年前から続く奉仕:朝日新聞デジタル

    山々に囲まれた京都・比叡山のふもとの集落に、「八瀬童子(やせどうじ)」と呼ばれる人々がいる。後醍醐天皇(1288~1339)を護衛し、明治、大正両天皇の逝去時にも棺(ひつぎ)を担いだ人たちだ。その縁を地域で引き継ぎ、いまも天皇、皇后両陛下や皇族方が京都を訪れた際は出迎えている。25日、両陛下は退位前最後の京都訪問へ出発した。八瀬童子は今回も京都御所で出迎える。

    天皇の棺を担いだ普通の人々 700年前から続く奉仕:朝日新聞デジタル
    bitheiboo
    bitheiboo 2019/03/25
    「八瀬童子(やせどうじ)」について。
  • 鉄の歴史に一石、ヒッタイト起源に異説か 最古級の遺物:朝日新聞デジタル

    人類史上「最大の発明」の一つとされる製鉄の歴史が変わるかもしれない――。古代オリエント世界でエジプト新王国と勢力を二分したヒッタイト帝国。その中心部だったトルコ・アナトリア地方の古代遺跡で、日の調査団が製鉄関連の最古級の遺物を見つけた。 見つかったのは、酸化鉄を多く含む分銅形をした直径約3センチの塊。トルコのカマン・カレホユック遺跡で1986年から調査を続けている「中近東文化センターアナトリア考古学研究所」(大村幸弘〈さちひろ〉所長)が、2017年9月、紀元前2250~同2500年の地層から発見した。 遺跡は、「鉄と軽戦車」を武器に古代オリエント世界で栄えたヒッタイト帝国(紀元前1200~同1400年)の中心部に位置する。帝国は先住民が発明した「最新技術」の製鉄を独占して軍事的優勢を得たとされる。だが、帝国が滅ぶと製鉄技術は周辺各国に急速に普及。鉄器時代へと向かう転換点になった。 大村所

    鉄の歴史に一石、ヒッタイト起源に異説か 最古級の遺物:朝日新聞デジタル
    bitheiboo
    bitheiboo 2019/03/25
    発見の内容もさることながら、「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」から持ち帰った微粒子を分析する際に用いられた手法の応用、そして発掘調査の手法など興味深い話題が多い記事。
  • 「申し訳ない」宮内庁長官がミス認め謝罪 昭和天皇実録:朝日新聞デジタル

    宮内庁が2014年に完成させ、天皇、皇后両陛下に献上した「昭和天皇実録」に約5千カ所の誤りが見つかった問題で、山信一郎長官は14日、会見で「申し訳ないと申し上げるしかない」と陳謝した。 昭和天皇実録は両陛下に届けられた後、報道機関や研究者らに電子データなどで提供され、広く引用されてきた。大半の誤りは完成後の一般向けの出版作業の中で見つかったが、宮内庁は公表せず、15年3月以降に順次出版された公刊の中で修正するにとどめていた。 元のデータは歴史研究に用いられる資料だけに、所功(ところいさお)・京都産業大名誉教授は「早く誤りを明示してもらえたら良かった」と話した。所氏は昭和天皇に関するを執筆する中で誤りに気付いたといい、事前に公表していれば「研究者は引用の際に注意できたし、修正のための材料も提供できた」と語った。 山長官は「公刊事業をやりきることで精いっぱいだった。あらかじめお知らせす

    「申し訳ない」宮内庁長官がミス認め謝罪 昭和天皇実録:朝日新聞デジタル
    bitheiboo
    bitheiboo 2019/03/15
    「大半の誤りは完成後の一般向けの出版作業の中で見つかったが、宮内庁は公表せず、15年3月以降に順次出版された公刊本の中で修正するにとどめていた。」。ダメダメな対応。
  • 「昭和天皇実録」に誤り5千カ所 宮内庁、両陛下に献上:朝日新聞デジタル

    昭和天皇の生涯を宮内庁が24年かけてまとめた「昭和天皇実録」で、天皇、皇后両陛下に献上した「奉呈」や、報道機関や研究者らに提供した内容に約5千カ所の誤りがみつかった。関係者が明らかにした。一般向けに出版する作業の過程で、日付や地名、人名など多くの誤りに気づいたという。宮内庁は確認を終え次第、正誤表を公表する方針だ。 実録は、宮内庁が天皇の日々の動静や発言の要旨などをまとめ、完成時の天皇に献上される言わば「公式記録」。昭和天皇実録の場合、87歳で逝去した翌年の1990年に編纂(へんさん)作業が始まり、2回の延長を経て2014年8月に「完成」し、現在の両陛下に奉呈が届けられた。 奉呈と同じ内容が掲載されたものが皇太子さまやほかの皇族方にも届けられたほか、報道機関に電子データで提供され、さまざまな報道で引用されている。また、情報公開請求に基づいて研究者らにも提供されている。 実録は完成後、

    「昭和天皇実録」に誤り5千カ所 宮内庁、両陛下に献上:朝日新聞デジタル
    bitheiboo
    bitheiboo 2019/03/14
    誤りが多すぎるというべきか、よく見つけたというべきか。いっそ新たに訂正・改訂版を出しては?
  • 朝鮮「3・1独立運動」独立宣言書、長崎の個人宅に現存:朝日新聞デジタル

    統治下の朝鮮で、1919年3月1日に起きた「3・1独立運動」から100年。植民地支配からの解放を求め、「良心はわれらとともにある」と訴えた「独立宣言書」の一枚が、長崎県の個人宅に現存することがわかった。韓国にも数少ない貴重な史料だ。 独立宣言書は、漢字・ハングル交じりで書かれ、縦22・5センチ、横46・5センチ。東洋の平和、世界平和のために朝鮮の独立が必要だと主張。「公約」として非暴力で闘うという趣旨のことが書かれている。 天道教、キリスト教、仏教の宗教者33人が「朝鮮民族代表」として署名。事前に約2万1千枚(枚数には異説も)が現在のソウルで印刷され、地方にも運ばれて人々に配布された。 そのうちの一枚を所蔵するのは長崎県の元教員、佐藤正夫さん(67)。独立運動当時、平壌で陶器商を営んでいた祖父が、54年に現在の北九州市で他界、その遺品に含まれていた。 祖父と共に平壌で暮らした佐藤さんの

    朝鮮「3・1独立運動」独立宣言書、長崎の個人宅に現存:朝日新聞デジタル
  • 陸自イラク「日報」 防衛省が公表した全文書:朝日新聞デジタル

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    陸自イラク「日報」 防衛省が公表した全文書:朝日新聞デジタル
    bitheiboo
    bitheiboo 2018/04/18
    興味深い史料(資料)群。保存しておくか。
  • 愛新覚羅顕キさん死去 中国清朝の粛親王善耆の末子:朝日新聞デジタル

    愛新覚羅顕●(●は王へんに奇)さん(あいしんかくら・けんき=中国清朝の粛親王善耆の末子)が26日、北京市内の病院で死去、95歳。「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた川島芳子の妹。 1918年、清朝の王族、粛親王善耆の末の王女として生まれ、日中戦争のさなかに日留学。戦後は北京で翻訳者として働いた。50年代、海外帰国者や資産家らが標的とされた「反右派闘争」で逮捕され、15年の服役と5年以上にわたる強制労働を経験。文化大革命後に釈放された後、北京の史料館で働きながら日語学校を設立するなど、日語人材の育成にも尽力した。 86年、日語で「清朝の王女に生れて」を出版。日人の養女となり、清朝再興を目指して日軍の情報活動に関わったとされる姉、川島芳子との思い出や、日中の激動の時代を生きた半生をつづった。(北京=林望)

  • 消滅の危機から満州語救え 中国の大学で社会人講座:朝日新聞デジタル

    消滅の危機にある満州語の伝承をめざし、中国遼寧省の瀋陽師範大学が2日、社会人を対象にした満州語講座を始めた。遼寧省が費用を出し、第1期は同省内にある満州族学校の教師や満州族自治地区の政府職員ら約30人が、3カ月間の研修を受ける。 満州語の研究を続ける瀋陽師範大学であった開講式では、講師を務める学外の専門家らが「貴重な機会を生かし、満州語の会話力をつけて欲しい」と激励。生徒の一人で民族学校教師の孫宝成さんが「学校には満州語を操る教師がいない。学んだ知識を学生に伝えたい」とあいさつした。 中国政府は1985年まで満州族に自治地区や民族学校の設立を認めず、満州語の継承を阻んできた。満州族が建てた清朝や、日に協力した満州国に統治された歴史が原因で、東北地方では満州語を操る人が数十人まで激減した。

    消滅の危機から満州語救え 中国の大学で社会人講座:朝日新聞デジタル
    bitheiboo
    bitheiboo 2014/04/18
    こうした動きがもっともっと広がってほしい。
  • (記者有論)中国の少数民族 母語の保護に協力しよう 石田耕一郎:朝日新聞デジタル

    bitheiboo
    bitheiboo 2014/02/07
    確かに日本はいろいろな面で満洲族に協力できると思う。ただし、「満洲国」という歴史があるだけに、細心の注意を払い、かつあくまでサポート役・縁の下の力持ちに徹するべきだろう。
  • 匈奴、独自に鉄生産か 愛媛大など、モンゴルで炉跡発見:朝日新聞デジタル

    【編集委員・今井邦彦】モンゴル高原を中心に紀元前3~紀元1世紀ごろに遊牧国家を建てた騎馬遊牧民族、匈奴(きょうど)の製鉄炉跡が、モンゴル中東部で見つかった。匈奴は中国の秦・漢帝国からの略奪で鉄を入手したと考えられてきたが、独自に鉄を生産していたことを示す遺構とみられる。 愛媛大とモンゴル科学アカデミー考古学研究所の共同調査団が2011年以降、ウランバートルの東約120キロのホスティン・ボラグ遺跡で小型の製鉄炉跡5基を発見。放射性炭素年代測定で紀元前1~紀元1世紀ごろのものと判明し、11月に愛媛大であったシンポジウムで匈奴の製鉄遺跡と報告された。 幅数十センチ~2メートル、深さ30~40センチほどの穴や地下に延びる細いトンネルに、鉄と分離した不純物(スラグ)や炭が詰まっていた。地上に大きな炉を作る秦・漢と異なり、黒海周辺から中央アジアにかけての遺跡で多く見つかる地下型の炉とみられる。

    匈奴、独自に鉄生産か 愛媛大など、モンゴルで炉跡発見:朝日新聞デジタル
    bitheiboo
    bitheiboo 2013/12/18
    「地上に大きな炉を作る秦・漢と異なり、黒海周辺から中央アジアにかけての遺跡で多く見つかる地下型の炉とみられる。」。草原の道か。