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ブックマーク / natrom.hatenablog.com (24)

  • 嫌煙系のトンデモ - NATROMのブログ

    煙草の害に関しての意見には両極端があるようで、能動喫煙すら害は証明されていないと主張する一方の端と、喫煙の害を過大に主張するもう一方の端とがある。「たばこの害は医学的に証明されたといっても、実際のところ、証明なんて言うのもおこがましい状態だ」という養老孟司の主張を紹介したので、今回はもう一方の反対側の端を紹介する。ネタ元は、みんなが大好きなTOSSランド。 ■ライフスキルを取り入れた「煙草」の授業 3.受動喫煙の恐怖を知らせる Aさんの奥さんにやっと赤ちゃんができました。なかなかできなくって、やっとさずかった赤ちゃんでした。 Aさんと奥さんはとびあがらんばかりに喜こびました。半分あきらめていましたから・・・。 ところが、その赤ちゃんは死んだまま生まれる「死産」でした。 赤ちゃんの肺からは、考えられないほどたくさんのニコチンとタールが検出されたそうです。 今から先生が読むのは実話です。と話し

    嫌煙系のトンデモ - NATROMのブログ
  • [進化論][トンデモ]池田信夫氏からの反論

    池田信夫氏は進化生物学を理解していない、という指摘に対して、池田信夫氏からの反論があった。同じパターンのナンセンスな話が繰り返されることになりそうな予感。 ■利他的な遺伝子(池田信夫 blog) これだけ読んでも、彼が自称する「生物学の専門家」ではなく、アマチュアにすぎないことは一目瞭然だ。まず彼は、遺伝子を共有する個体を守る行動を説明したのが「ドーキンスの利己的な遺伝子」だと思い込んでいるようだが、これはドーキンスの理論ではなく、ハミルトンの非常に有名な論文(1964)によって確立された血縁淘汰の理論である。ドーキンス(1976)は、その理論を「利己的な遺伝子」という不正確なキャッチフレーズで普及させただけだ。 ドーキンスが個体レベルの利他行動を遺伝子レベルの利己性によって説明したのは事実だろう。もちろん、血縁淘汰の理論を確立したのはハミルトンである。ドーキンスはハミルトンの理論を援用し

    [進化論][トンデモ]池田信夫氏からの反論
  • 薬害でも被害者でもないかもしれないのに - NATROMのブログ

    タミフルと異常行動の因果関係については、現時点でははっきりしたことは言えない。はっきりさせるには、年齢・性別・重症度等を一致させたインフルエンザ患者を2群に分け、一方にのみタミフルを使用し、異常行動の出現頻度に差があるかをみればよい。差はないかもしれないし、タミフルによって異常行動が増えるかもしれないし、もしかしたらウイルスの増殖を抑制することで異常行動を抑制するかもしれない。実際には厳密な研究は困難であるので、当面はタミフル非投与のインフルエンザ患者にどれくらい異常行動が起こるのかの報告待ちといったところである。因果関係が不明であっても、可能性がある以上、原則禁止にする判断もありだ。また、製薬会社や厚生労働省に頼らず、薬害を監視する団体があってもよいと思う。 しかしながら、「薬害タミフル脳症被害者の会」*1という名称はいただけない。現時点では、薬害と決まったわけではないし、タミフル脳症と

    薬害でも被害者でもないかもしれないのに - NATROMのブログ
    blackdragon
    blackdragon 2007/03/26
     概ね同意だが、二重盲検の治験じゃなくても、きっちりとした疫学調査を行なうことでもある程度証明可能ではないかと。
  • 科学と宗教は共存できるか - NATROMのブログ

    id:good2ndさんという方が、宗教と科学が共存しうるかについて疑問を呈しておられた(■神の存在について(児童小銃)経由)。 ■穏健な宗教(good2ndの日記)。 ちょっと前の話題ですが、ニセ科学がらみで「穏健な宗教と科学は共存できる」というような言い方がされてました。でその、「科学と共存できる穏健な宗教」ってどんなんだろう、というのがどうもよくわからない。「穏健」というのが、単に狂信的でないとか暴力的でないとか反社会的でない、というのであれば、まあ日にある大抵の宗教は穏健ということになるんでしょうが、「科学と共存」というのがどうも。科学者の人とか信者の人とかは結構はっきりした考えがあったりするんでしょうかね。よくわからないので、科学も宗教もろくに知らないなりに考えてみました。 私自身は無宗教であるけれども、宗教と科学を両立させうることは別に不思議には思わない。ある特定の宗教を信仰

    科学と宗教は共存できるか - NATROMのブログ
    blackdragon
    blackdragon 2007/01/09
     実際は、「穏健な宗教」ですら、心の問題から踏み出してくるというところが問題。カトリックは奇跡の存在(現在でも起こっていることになっている)を前提にしているし。