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スクールカウンセラー時代に身に着けたスキルかなんかなんだろうか。 長男(6歳)は本が大好きで、最近は自分一人でも読むが、昔から読み聞かせをねだることが多い。「この本読んでーー」と持ってきて、こちらが何をしていようとお構いなく太ももにどすんと座ってくる。最近は、下の双子も「ちゃー」とか「ぴゃー」とか言いながら絵本を持ってきては、なんだか分からない言語で読み聞かせを要求するようになった。 本が好きなのはいいことだと思うので、読み聞かせをねだられたら、可能な限り腰をすえて読んであげるようにしている。この頃は、「だれも知らない小さな国」のような、ある程度長い児童小説も、ちょっとずつ辛抱強く聞けるようになってきた。私がいるときは私がねだられることが多いが、奥様が読み聞かせをすることも結構ある。 で、今日、奥様が「星からおちた小さな人」を読み聞かせをしているのを横で聞いていて、色々凄いと思った。(飽く
10年くらい前、出版社にバイトで出入りしていた頃、「ハウツー本を売るコツ」みたいなことを聞きかじったことがあった。 その内の一つに、「一般的に信じられている通説、あるいは権威の言葉をまず否定する」というものがあったことを、奥様が図書館から借りてきた育児のハウツー本を、横から覗きこんでいて思い出した。 通説の質についてとか、そのハウツー本の内容が適しているのかどうか、という話は取り敢えずおいておく。ハウツー本自体は、有益なノウハウと無益なノウハウがごった煮になっていることが分かりきっているのだから、有益だと思った分だけ齧ればいい。それだけのことである。 説得力のお話なのだ。 「通説を否定するメソッド」が有効な理由はたった一つ。「「気付き」という感覚がとってもキモチイイから」。 通説は、広く流布されているからこそ通説と呼ばれる。「大体こうすればいいんだよ」というセオリー、ある程度固定化された「
はてブのコメントが陰口とかちゃんちゃらおかしいですよ、HAHAHA。 率直に言って、「はてなブックマークのネガティブコメントが陰口かどうか」というレベルでの議論をしている人は、そもそも陰口というものを理解していないと言わざるを得ない。陰口素人、陰口ノービス、アマチュアかげぐちゃーである。 陰口の真髄とは何か。それは本人には直接届かないということであり、めぐりめぐって何かの拍子に本人の耳に入る、ということこそまさに陰口を陰口たらしめるエッセンスな訳である。 めぐりめぐるサイクルに本人の意図が届き得ない不快感、発生源が不明瞭ないやらしさ、反論の仕様がない理不尽な情報伝達方式、こういった要素なしに陰口を陰口とは呼ばない。 そこから考えると、アクセス履歴から僅か1クリックで手が届くはてブにおけるネガティブコメントなど、陰口から最も遠い位置にあるテキストであると言う他ない。本人の目の前で、正面切って
ここしばらく、新卒・中途問わず面接の場に出たり、別の面接官の人と色々話したりした。 で、色々と、面接する側に立ってみて初めて分かることが結構あるなあと思ったりもした。ちょっとメモっておく。 ○面接側の事情について思ったこと。 ・「縁」とは、特筆するべき事由が特にない時、強引に理由付けをする為に存在する言葉。 ・面接をする側にもモチベーションと切迫具合というものがある。 ・本当に人手不足の場合と、採用計画の消化過程にある場合では、切迫具合がまったく異なる。人を見る目にもかなりの差が出る。 ・面接官に人を見る目があると思ったら大間違いである。また、面接官が現場を熟知していると思ったら大間違いである。 ・特に中小企業において、面接という仕事は往々にして面接官の本業ではない。面接官は、大抵の場合他にもどっさりと仕事を抱えている。つまり、面接という場にやる気なく臨んでいる人も割といる。 ・「弊社を希
テーマ、タイトルだけ。 いや、なんつーか、他部署の話だし、私が口を挟むことでもないので黙ってたんだが。一応後で昼飯にでも誘ってみることにする。結構精神的にキツそうだったし。 まあ、喩えて書くとすれば、 「俺もうHP1です、ホント無理です」 「大丈夫!私はまだHP120はあるから!もうちょっと頑張れ!」 考えてみると、例えば恋愛で痛手を受けている人に自分の体験で応じるとか、何かが嫌いな人に「いかに自分はそれが好きか」という論点で応じるとか、似た様な状況は色々あるのかも知んない。 --------------------------------------------------- 07/11/07 17:10 追記。 「辛い、辛い」と言う人に対して、「私も辛いよ!」と言う人は、多分結構いる。それは励ましになるんだろうか。ならないんだろうか。まあ、少なくとも励ましではない様に思う。 どうすれば
世間の絶対多数、多分日本人口の99.998%くらいにとってはもうもの凄くしょうもないことだと思うが、私の中では割と一大事だったので書いておく。 私は、高い所が好きである。 高い所によじ登ることが好きである。 常々、私には「電柱によじ登りたくなる」という悪癖があった。電柱の横についている工事用の手がかり、容易に上れない様に下の二本は外されているあれだ。あれが丁度、私がちょいと手を伸ばしてよじ登るのにぴったりの高さについているのだ。見るたびに誘惑に駆られていた。 今日気付いた。あの高さは信頼なのだ、と。 この高さに手が届く様なヤツは、まあ大人なのだから、無分別に電柱に上ったりはしないだろう、と。上らないだけの自制が効くだろう、と。そんなアホなことはしないだろう、と。あの高さは、身長を担保にした信頼だったのだ。 私は電柱に信頼されていたのだ。電柱の手がかり、下2本を外している人に信頼されていたの
症候群、といってもいい気がする。 恋愛論とか最たるものなんだけど。世の中には、「どう考えても特殊な状況における個人的な問題なんだけど、それを一般的な問題にしたい、凄くしたい」という病気にかかっている人がたくさんいる。そりゃもう数限りなくいる。 新聞やテレビといったマスメディアが、例えば特殊な事件をネタにしてWebやオタク、アニメやゲームといったものを一般的に叩くことに憤る人は多い。が、翻ってみると、「特殊なネタ→一般化」を駆使する病というのは、マスメディアに限らずあたり一面に蔓延しているのである。もうこれは風土病などというレベルの騒ぎではない。数十年も前から発生している、思考的疾患のアウトブレイクである。 かく言う私も「一般化病」を長年患っている患者の一人である。筋金入りの患者といってもいい。病気自慢を貫徹する為にも、ひとつこの病気について一般化を行ってみよう。一般化病患者の辞書に「自己撞
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